10話・珠弥子の眠れない夜
曰く、統率の取れた動きをしていた狼怪獣たちは突然散り散りになり混乱していたということだった。
「それで本部からミャー子先輩がやばいって聞いて、そっちに向かって行ったんですよー」
治療室で精密検査を終えた私に透馬くんが言った。
「護塔先輩ができるだけやっちゃってくれたんですけど、なんか逃げてく感じだったので追うのはそこそこにして来てくれたって感じですね」
念の為と頭に保冷剤を包帯で巻いた私に透馬くんが差し出してくれた水を飲む。
「ありがとう」
「いえいえ。部屋戻りますよね、送って行きます」
護塔先輩はまだ本部に報告をしている最中らしい。申し訳ないなと思いながら、廊下に出て透馬くんとエレベーターに乗った。
「あれ、どういう状況だったんです?」
エレベーターが上昇していく。エレベーターの照明に照らされて出来る影に生きていると実感する。
「護塔先輩が言うには、あの金髪のおかげだって言うんですけど」
「……そんなこと、ないよ」
そんなことない。まだ違和感のある頭に言い聞かせる。
だって彼は怪人だ。怪獣だ。あの人を殺した人外の仲間だ。
なのに守ってもらったなんて。おかげだなんて。足元で私に従って形を変える影に、素直に認められない。
エレベーターが居住フロアに着いて、部屋の前で透馬くんと別れる。
ベッドに寝転んで顔を手で覆う。
どうやったって、眠れそうもなかった。体はこんなに重くて、頭は奥から痛むのに。
もう目覚めることはないあの日焼けした顔が瞼に焼けついて離れない。
「あ、あ、ああ」
口を塞ぐ。手の隙間から声が漏れる。聞かれるわけにはいかない。
枕に顔を押し込んで嗚咽を殺す。喉の奥に骨が引っかかったような途切れ途切れの自分の声が耳に届く。
ごめんなさい。ごめんなさい。
私を信じて行かせてくれたのに。
ごめんなさい。ごめんなさい。
私を信じて守らせてくれていたのに。
私の姿に娘さんのことを思い出していたのに。
父を失った娘さんの心境に想いを馳せる。後ろめたくてしょうがなかった。何も見たくない。胸元に着けているネックレスの冷たさを感じた。自分の体すら見たくない。
暗闇以外、見たくない。
どれくらいそうやっていたのかわからない。体の奥底が空っぽになったと感じて体を起こした。
「……眠い」
寝られない。お腹がすいた。感じることすら罪悪だ。自己嫌悪が無駄に足を動かした。部屋の扉を開ける。エレベーターに乗る。
「外出します」
告げて、セキュリティにIDを翳して特対の門を出た。
日付が変わっていることを、タクシーの中でラジオが教えてくれた。
カードで支払ってタクシーを降りる。目の前に広がる東京湾と、赤から黄色に色を変えて明減するLNG基地のライトが見えた。
あれほど大きく見えた球体も指先ほどの大きさしかなくて、自分の無力さを痛感する。──ごめんなさい。
東京湾に浮かぶ灯りが、向こう側の夜景が揺れる。ビルの光が涙と共に崩れ落ちた。
ごめんなさい。ごめんなさい。
心の中で何度も呟いて、その重さに首を垂れる。
私が浅はかだったから。わたしが弱かったから。
足元に黒い染みが落ちる。侵食するようにそれが増えて、うなじに冷たいものを感じて雨だと気付く。
気づいた途端に雨足が強まったようで、足元を黒が侵食していく。前髪から、雫が落ちた。頭に重さが増していく。
輪郭に触れる冷たさが染み渡っていく。体の芯まで届きそうで内から震えそうになったその前に、雨が止んだ。
前髪から一滴、重さに耐えかねて雫が落ちた。
「……あなたですか」
止んだと思ったのは錯覚で、私の周囲にはまだ雨が降っている。傘のように私の頭上に差し出されたのは、黒い鋏。
振り向くと八つの赤い目が光っていた。ざらざらとした攻殻の上を雫が滑っていく。
サソリ怪獣は私と目が合うと、折れ曲がった細い足を動かして私の頭に鋏を翳したまま、一歩後ろに引いた。
「怖くありませんよ」
天と地を結ぶ雨の糸が翳された鋏の外側に降っている。言葉は通じている、と根拠もなく思う。
「……こんなところにいていいんですか?」
赤い双眸八つの目に首を傾げた私が映る。
「きっと、怪獣形態だと話せないんですよね。傘、ありがとうございます」
私、大丈夫ですので。
そう言ってやっと、黒い体が後ろに後退する。頭上になくなった鋏に再び雨粒が頬を伝う間に、どろりと体が溶けて人の体躯が現れた。
高い鼻筋と、先ほどの容姿を残した、赤い双眸。雨は、容赦なく金色の髪にも降る。
「……どうしてここに?」
こんな風に話すなんて間違っているだろうか。ためらってから聞いた私に、怪人はへらへらした顔で話し始めた。
「やー、行き場がなくなっちゃってねえ。ほら、今日の。俺どうやら組織を怒らせちゃってるみたいなんだよねえ。陽の光に当たれないから、夜が明ける前になんとかしないとなあって考えてたところ」
暗闇でも、赤い目はよく目立つ。
雨は金色の頭を濡らしていく。
「どこに行こうかなあ。あ、悪さしないよって言ったら信じてくれる? 信じてくれないよねえ?」
だめかなあ、と子供みたいに呟く姿に、何もしない私多分間違っている。斜かいに降りしきる雨は、まるで切り取りの線のようだった。
「捕まえた」
向けられた外套を摘んだ。振り払われれば容易く話せる強さで掴んだのに、振り払われやしなくて、振り返った顔には驚きが滲んでいる。
「私の組織に来ませんか」
その。──考えるより先に言葉が出た。
「……怪人を解析するチャンスなので」
「あはっ」
「手をつないでくれるなら行くよ。繋いでくれないなら俺逃げちゃうかも」
「ふざけたこと言わないでください」
逆に手首を掴まれた。雨で濡れた冷たい白手袋は確かに人の輪郭をしていた。
「……タクシーには、乗れますよね?」
私の言葉に、彼は少し考えるような素振りをして、笑った。傾げた金色の頭から雫が落ちる様を見てられなかった。




