年明け ~陽の巻~
一益が伊勢から帰ってきて、年が明けた。
伊勢では目立った収穫は無かったらしい。まあ、しかたないか。
俺は左手でも物がつかめるようになり、少しづつ日常を取り戻していく。
弓を撃つときは左手で弓を強く押す。弓を握るのはまだ少し痛いが、火縄銃なら問題なく撃てる。俺は毎日、屋敷の庭で火縄銃の練習をする。
伊勢から帰った一益は胡蝶の部屋でしばらく話し込んでいた。
胡蝶の部屋で、一益が胡蝶の手を握っているところを見た者がいるという。俺は見間違いだと一蹴したが、内心穏やかではいられない。
その後、一益は不在がちになり、帰宅も遅くなることが続いた。
いつものように早朝から出かけていた一益が、今日は昼前に戻ってきた。一益は俺に声もかけず、まっすぐに胡蝶の部屋へ行く。
その時、俺は庭で火縄銃を撃っていた。胡蝶は庭に面した自分の部屋で、俺の方を見て座っている。
胡蝶の部屋の扉は開け放してあった。俺のいる庭から、胡蝶の部屋と、その先の廊下が丸見えだ。
火縄銃を構える俺の目の端に、一益が胡蝶の部屋の前でうろうろしているのが見える。
一益は何度か廊下を行ったり来たりした後で、胡蝶の部屋に入った。胡蝶が振り返り、二人は話し始める。
一益が立ち上がり、庭と胡蝶の部屋の間の扉を閉めた。まるで俺から目隠しをするみたいに。
俺は気にしないふりをして火縄銃を撃ち続けた。だが、実際は気もそぞろだ。
しばらくすると、屋敷の裏口から一益と胡蝶が出て行くのが見えた。2人は町民の着るような地味で粗末な着物を着ていた。一益が先に立ち、人目につかないよう俯いて速足で通り過ぎる。その後を、目を伏せた胡蝶が続いた。
――どういうことだ……?
俺は。何も聞いていない。
いてもたってもいられない。
俺は火縄銃を置き、2人の後を追った。
一益と胡蝶は黙ったまま俯いて、人ごみの中をするすると通り抜けていく。
俺は必死で二人の後を追う。
やがて二人はにぎやかな通りを抜け、人通りのない裏道へと入っていく。
一益が足を止めたのは、人々から忘れ去られたようなあばら家だった。
俺はとっさに、建物の陰に身を潜めた。
ここで初めて一益が、胡蝶を振り向いた。その目は真剣そのものだった。
「なあ、胡蝶――本当に――」
俺の耳に聞こえたのはそこまでだった。
「――いいのか……?」
一益の口は、そう動いたように思った。
胡蝶の表情は俺の位置からは見えない。だが胡蝶は黙って頷き、一益の着物の袖をきゅっと握った。
一益がかがんだ。その耳に、胡蝶がくちびるを寄せて何かをささやく。
俺の位置から、胡蝶の横顔が見えた。
胡蝶の目には、こちらが泣きたくなるほどの切なさが溢れていた。
一益はざっと周りを見回すと、そっとあばら家の入り口を開いて胡蝶の背を押した。
胡蝶はそのまま、一益と共にあばら家の中へ消えていく。
――なっ……
なっ……
なっ……。




