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俺の妻は忍(しのび)ですか?  ―― そして、次に殺される男は俺ですかっ!?  作者: ひの
22、萌

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陽の巻

 萌は、座ったままで上体をひねり、自分の脇に置いた。

 そして新しい、あの酷い匂いのする薬が塗られた和紙を手に取り、俺の左手に貼り付けていく。


 こんなに臭い薬を扱っているにもかかわらず、萌の手は白く美しく、(けが)れない。

 それはまるで、泥の中に埋まっていても、汚れのないみずみずしく美しい花を咲かせる蓮の花のようで、とても萌らしいと思う。

 萌は優しくて穏やかで美しく、非の打ち所もない。


 萌は全ての和紙を張り終えた。

 先ほど感じたひりつきは、麻痺したようにもう感じなくなっている。


「萌――」

 俺は右手を伸ばし、萌の手に触れた。

「あっ……」

 俺の手に貼られていた、和紙が一枚、はがれて夜具の上かけに落ちた。


「もう。剝がれてしまったではありませんか。

 和颯様、布を巻く前に動かないでくださいませ」

 萌が優しくたしなめる。

 でも、本気で怒っているわけではないのは分かる。


「ああ、済まなかった――」

 俺は背中側に肘をついて、少しだけ身を起こした。右手で、夜具の上に落ちた和紙を拾い上げる。


「まあ、夜具にまで薬が」

 この軟膏は滑らかで、とても柔らかい。

 俺の夜具には、べったりとした緑色の染みができていた。


「俺は、この匂いは嫌いだ」

 俺は少しだけふてくされたふりをして、萌を見上げる。


「では、先にお薬を済ませてしまって、その後で夜具を取り換えましょう」

 萌は優しく言って、俺の手から和紙を受け取った。


 ――きっと。

 これが幸せというものなんだ。

 俺は今、とても幸せなはずだ。

 

 俺は、この先も、ずっと。

 萌と一緒に、穏やかで幸せな暮らしを――。


 萌は木のへらで、落ちた和紙の軟膏を伸ばし直した。そっと俺の左手を取り、再び俺の患部にその最後の一枚を乗せる。



 ――あっ……



 妙な違和感があった。

 

 他の部分はすっと痛みが引いていったのに、最後の一枚に覆われた部分だけが、かすかに(うず)く。

 それは本当にごくわずかな違和感で、そんなものは無視してしまと脳が叫ぶ。


 ――そうだ。気のせいだ。

 俺は手のひらと、心に感じる違和感から目を逸らした。



「では、こちらをお飲みください」

 萌が湯呑(ゆのみ)を差し出した。

 湯呑に入っているのは、手のひらの水ぶくれが大きくなった時に飲む薬だ。

 これを飲めば、明日の朝には水ぶくれは綺麗に消えている。

 俺は萌の手を見る。

 萌の手は、白くきめ細やかでふっくらとしている。この世の醜くさも、苦しさも、汚らわしさとも無縁な、清らかな手。

 俺はこの先ずっと、この美しい手に支えられ、この世の穢れからこの手を守り(いつく)しんで、生きていく。それが、一人の男としての、正しい生き方のはずだ。


 俺は上体を起こして夜具の上に座り、湯呑を受け取った。


 俺が湯呑に口をつけるのを見て、萌が床に手をつき、立ち上がろうとした。

「では。わたくしは新しい夜具を取ってまいります。

 和颯様はお薬を飲みながらお待ちください」

「うん、分かった。

 ――だけど、萌……」


「なんでしょうか?」

 萌が俺を見た。俺は萌に微笑みかけた。

「重たいものは持つな。

 俺は、萌の体が心配だ。

 夜具は侍女にでもに運ばせるようにしてくれ」

 萌は花がほころぶように微笑んだ。

「お心遣い、ありがとうございます。

 萌は――この世で一番、幸せでございます」


 萌は立ち上がり、部屋から出た。


 ――そうだ。これが、俺の。幸せだ。

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