陽の巻
カタン、と音を立て、俺は目の前にある棚の上に鉄を乗せた。
――よし、やりきった……!
俺はほっとして、鉄から左手を放そうとした。しかし俺の手のひらはぴったりと鉄に張り付いている。
――まずい!
突如、叫びだしたくなるほどの焦りが俺を襲う。
どうしよう! 手が剝がれない!!
そう思った瞬間、俺の手の平全体に、かつて感じたこともないほどの激痛が走った。
熱い熱い熱い熱い。痛い痛い痛い痛い。痛い痛い痛い熱い。
執行人が恐ろしい形相でたらいを持ち上げ、中の水を勢いよく、俺の手にぶちまけた。
吸いつくように手のひらを鉄に張り付かせていた力が、少しだけ弱まった。
俺は力任せに、鉄から手を引き剥がした。
びりり、と皮膚がはがれる感覚があり、俺の手は鉄から離れた。
手の平全体が、焼けるように痛かった。絶対に出血している。
俺はとっさに左手を袖の中に隠し、さらにその手を右手でかばった。
目の前の景色が、くらくらする。倒れそうになるのを、なんとか踏ん張った。
気迫だけで、最後の言葉を口にする。
「全員、間違いなくしっかりと見たな?」
なんとかそれだけ言って、後ろを向いた。
――屋敷まで。なんとかして、どうにかして。とにかく戻らなくては。
――帰りたい。
頭の中で考えていたのはそれだけだった。
視界の端に、礼を言うのも忘れ、唖然としている甚兵衛が見えた。
佐助は信じられない、といった顔で俺を見ている。
裁判官は蒼白だった。
全員、鬼気迫る凄絶な戦いを見た時のように、度肝を抜かれていた。
ふらつきそうになる足元。それを隠して必死に地面を踏みしめ、なんとか俺は帰宅した。
どうやって屋敷に戻ったのか、正直よく覚えていない。
這うようにして、どうにかこうにか玄関にたどり着く。
――やっと……なんとか……戻ってこられた……。
すっ、と座敷の扉が開いて、胡蝶が現れた。それだけで俺はもう、泣きそうになる。
胡蝶は、朝と同じ、臙脂色の着物を着ている。当然だ。朝、屋敷を出てからほんの数時間しか経っていないのだから。
胡蝶は、怪訝そうな顔で俺を見あげた。胡蝶の視線が、俺の全身をざっと見回した。
――ああ。俺は。帰ってきた……。
俺の中で限界まで張りつめていた糸が、ぷつりと切れた。
俺の視界は暗転し、そのまま全身から力が抜けていく。
胡蝶の、高く鋭く長い悲鳴。倒れ込んでいく俺の下に、なんとか自分の体を滑り込ませようとする胡蝶の長い髪が、見えた気がした。




