陽の巻
さっきまでは何ともなかったのに、今はまるで発熱でもしたときのように思考が乱れてまとまらない。
ぐらんぐらんする頭を抱え、それでも俺は萌に微笑みかけた。
「胡蝶から聞いた。
萌には――好きな相手がいるらしい、と」
萌は俯いた。
「はい。
何年も何年も前から、ずっと一途に想い続ける御方がいらっしゃるのです」
――そうか。気付かなかった。
「……ですが。
その御方には、やはり想いを寄せる女性がいるのではないかと」
「……そうか。
それは――辛いな……」
俺の胸が痛む。
「自分が想いを寄せる相手に、別の想い人がいる。
そういう事だな」
萌は顔を上げて俺を見つめた。
「頭では、諦めた方がいいと分かっているのです。
別のお相手を探した方が良いと。
でも――」
萌が言葉を詰まらせたので、俺が後を引き取った。
「諦めようと思っても、どうしても、諦められないのだろう?
相手には想い人がいるのに。それでも想い焦がれる苦しさなら――俺にも……分かる……」
――胡蝶……。
胡蝶の切なげな横顔が俺の頭をよぎり、俺の胸が、よじれるように切なく痛む。
「和颯兄さま――」
萌は俺の切なさが伝染ったかのような表情で俺を見上げる。
俺はあわてて自分の話を打ち切った。
「あ~……。いや……。
俺の話はどうでもいいんだ。
萌の話を聞かせてくれ。
その相手は――萌の気持ちには気づいているのだろうか?」
「――いいえ。おそらくは、気付いていらっしゃらないと思います」
――なんと!
「なにっ! ならば話はそれからだ。
まずは相手に、それとなく萌の気持ちを伝えて――」
「既に、お伝えしたのです」
「ん? どういうことだ?」
萌は悲しそうに言った。
「萌は既にその御方に何度も好きだと申し上げております。
ですが――気付いていただけないのです」
「ええええっ!?」
俺はのけぞった。
萌が、面と向かって好きだと伝えているのに、相手に伝わっていない、だと!?
俺は眉間のしわを押さえる。
そんなこと、起こりうるのか!?
「それは……なんというか――。
その相手というのは、相当に、鈍い男だな……」
「はい。
とても鈍いお方なのです。
それはもう。信じられないほどに」
「むむむ……」
それは――どうしたもんか……。
「それに、その御方がいつもご覧になっているのは、萌ではありません」
「そこは――。
実は、俺は、そこは問題ないんじゃないかと思う。
どうせその男の片思いなのだろう?
萌は、美人だし、気立てもいい。
萌が自分に気があると知れば、きっとその男も萌を好きになるだろう」
「そう――でしょうか?」
「うん。間違いない。
この世に、萌を振るような男など、いるはずがない。
そこは、俺が保証する」
俺は力強く頷いた。
「で、そろそろ教えてくれ。
萌が気になっている相手は誰だ?」
萌は、まっすぐに俺を見た。
「――お分かりになりませんか?」
「ん?」
さすがに分からないぞ?
萌は、俺をじっと見つめている。
「和颯様も、よくご存じの方です」
――なにっ! そうなのか!!?
……誰だろう……。
……。
…………。
いや、ちょっと待て。
いくらなんでもそんなの、俺に分かるわけないだろう。
ヒントは!?
「――やはり、お気づきになっていらっしゃらなかったのですね」
萌は、哀しげに微笑んだ。
萌が、俺ににじり寄る。
「――お耳を、お貸しくださいませ」
「よし、分かった」
内緒話か。うんうん、萌は、女子だなぁ。
俺は、立ち上がった。
萌のすぐ脇に腰を下ろし、萌に向かって笑いかける。
「さあ、教えてくれ」
萌が俺の肩に両手を当て、膝を立てた。
俺は萌の方へ首を傾けた。
萌の唇が俺の耳元すれすれで動き、かすれた声で囁いた。
「和颯様――お慕いしております」
――えっ?
俺は驚いて萌へ向き直る。
刹那、俺の視界いっぱいに広がったのは、いつも胡蝶が身に着けている臙脂色の着物だった。胡蝶のまとう香りが鼻腔をくすぐり、腹の底から突き上げるような切なさと渦を巻くような疼きが俺を支配する。
細くしなやかな両手が俺の首に回される。上質の絹で首の後ろをくすぐられるようだ。ぞくぞくするような感覚が、俺の全身を貫いた。いまだかつて体験したことのない、やわらかくあたたかく湿った感覚が俺のくちびるに合わさった。
するり、と俺の帯が外された。はだけた俺の胸に、熱を持ったなめらかな女の柔肌が、確かな肉感を持って直に触れる。
俺の理性は、そこで弾け飛んだ。




