~陽の巻~
「胡蝶でございます。萌を連れてまいりました」
俺の髪を結い直す貞じいの気配が、ぴりりと引き締まった。貞じいは素早く髪を結い上げ、立ち上がった。
「入れ」
音もなく、扉が開く。
一瞬、軽いめまいをおぼえた。
すぐにそれが、二人の着物のせいだと気付く。
胡蝶が身に着けているのは、普段身に着けない薄黄緑の着物。萌が身に着けているのは、いつも胡蝶が着ている臙脂色の着物だった。一瞬、2人が入れ替わったような錯覚に、俺の脳が混乱する。
胡蝶の所作はいつも美しい。
扉を開けて萌を招き入れ、俺の前に座るように促す。自分は扉の脇で手をついて頭を下げた。
「先ほどお話しした件です。
わたくしは席を外しますので――。
萌の、話を――よく。お聞きくださいませ。
そして、ご決断を」
2人の後ろから、氷の上をすべるように一益が現れた。
手に香炉を持っている。
あの香炉は見たことがある。たしか胡蝶の――。
――どうして、一益が胡蝶の香炉を持っているんだ?
一益は、俺の斜め後ろに香炉を置いた。
俺は、立ち上る煙をまともに吸い込んだ。ふわりと体が浮き上がり、目の前がくらくらと揺らめくような感覚に襲われる。
萌の着物を着た胡蝶が、切ない視線を床に落とす。
俺はもどかしい気持ちでいっぱいになり、思わず膝立ちになった。
「待て! 胡蝶!
行かないでくれ!」
体の芯がうずく。
狂おしいほどの衝動に、身がよじれそうになる。
胡蝶。胡蝶。胡蝶。
どうしても今すぐに、胡蝶に触れたくてたまらない。
抱きしめて、頬に触れて、瞼にくちづけをして、それで――。
胡蝶は哀しそうに俺を見た。
「――後ほど、参ります。
萌とのお話が終わりましたら。その後で」
胡蝶が部屋の外に出た。一益と貞じいが後に続く。最後にもう一度振り返りそうになる胡蝶の背中を、貞じいがそっと押し出した。
俺と萌だけを部屋に残し、扉が、閉まった。




