陰の巻
――ごめんね、カワセミ。使わせてもらうわよ。
「和颯様はこの傷の存在を知らない。
滝川一益さまはこの傷について知っていて――しかも、何度も見たことがあるわ。
意味は――言う必要はないわね?」
萌は泣いている。
「嘘です!
萌は信じません!」
「信じなくてもいいわ。
でも、それが真実よ」
「嘘だと言ってください!」
胡鳥は自分の脱いだ着物を手早く身に着けた。
「わたくしは嘘はついていない。
――一益さまの心臓に誓うわ」
萌が唇を震わせた。
胡鳥は萌の着物を拾い上げ、丁寧に着付ける。
「本当のことよ。
わたくしは今まで、何度も和颯様と離縁しようとしているの。いまだに成功はしていないけれど。試みてはいるの。
一益さまのことは……。
あなたから、和颯さまに伝えてもらっても構わないのよ………。――ああ、でも、一益さまが困らないように配慮はしてね……。」
「そんな――。
和颯兄さまが――。
かわいそうです……」
「そうね。
かわいそうな和颯様。哀れで、哀しい。
事実上織口家の当主で、義銀さまの信頼も厚いのに、このままでは跡継ぎも生まれない。
……みんな、困ってるわ。
わたしたちはずっと、和颯様のお相手を探している。
なのに、ぴったりの相手が見つからないの。
――ねえ、萌……。
……。
…………。
どこかに……。かわいそうな和颯様を慰められる、良い人はいないかしら……?」
「胡蝶姉さま――」
萌が膝をつき、真っ赤になった目から、涙をこぼしながら、胡鳥を見上げた。
「萌は――。
萌は、萌は、萌は――。
ずっとずっと幼い時から。
ずっと、和颯兄さまが好きでした――!」
胡鳥は萌の髪をなでた。
「そうだったのね――。
――知らなかったわ」
萌は泣きじゃくった。
「萌は――。
胡鳥姉さまは和颯兄さまのことを愛していらっしゃるとばかり――。
萌は、和颯兄さまが好きでしたが、胡鳥姉さまの事も、この世で一番大好きで。
だから――。
わたくしの想いを口にしたら、胡鳥姉さまが、苦しまれると思って――。
どうしていいか分からずに――とても、辛くて――苦しい思いをいたしました」
胡鳥は萌を抱きしめた。
「そうだったのね。
気付かなくてごめんなさいね」
萌は泣きじゃくっている。
自分も。
喉が――つまりそう。
だけど。
わたしは……。
……。
人を騙すのは、得意なの――。
「――ねえ、萌……。
…………。
わたくしのことは――きにしなくて、いいのよ……。」
胡鳥は萌の髪に頬を寄せる。
「胡鳥姉さまも、萌が、この世で一番大好きよ。
胡鳥姉さまが協力してあげる。
萌なら、きっと和颯様を幸せにできるわ。
わたくしは――和颯様には……ふさわしくなかったけれど、
和颯様なら、きっと、萌を幸せにしてくれる」
――たとえ世界中探したって、彼以上の人なんていないと、自信をもって断言できるわ。
「――ねえ。憶えていて。
わたくしは――あなたに隠し事はしたけれど……。
わたくしは何があっても、萌にだけは、幸せになってもらいたいの。
できれば、和颯様にも、ね。
萌の想いは、必ず成就させてあげるから。
萌は、胡鳥姉さまの言うとおりにするのよ――」
それに――。わたしは……。
嘘は、言わなかった。




