~陰の巻~ 湯殿
「萌は、胡鳥姉さまとお風呂に入るのは、初めてです!」
嬉しそうに顔をほころばせ、萌は着替えの入った包みを床に置いた。
扉を隔てた奥にある蒸し風呂はちょうど入り時で、もうもうと湯気が立っている。
「それに、萌は、侍女の助けなくお風呂に入るのも初めてです」
「困ったことがあれば、何でも言ってちょうだい」
「はいっ。冒険のようで、楽しいですね」
萌は笑った。
「萌は。
小さいころから何度も、胡鳥姉さまと一緒にお風呂に入りたいと申し上げましたのに。今まで一度もご一緒していただけませんでした」
「――ええ。そうだったわね」
「胡鳥姉さまは、人前でお着換えされることもなかったので、萌は、胡鳥姉さまは、人に肌を見られるのがお嫌いなのだろうと思っておりました」
「ええ、その通りよ。
萌は鋭いのね」
萌はするすると着物を脱ぐ。
白くふっくらとした美しい肌が現れた。
萌が不思議そうに胡鳥を見る。
「それなのに、今日はなぜ、萌と入ってくださるのですか?」
胡鳥は、自分の着替えの入った包みを静かに床に置いた。
「――今日は萌に、ひとつだけ、わたくしの秘密を、教えようと思ったの」
「ひみつ、でございますか?」
「――ええ」
萌は悲しそうな顔をした。
「――では……。
胡鳥姉さまは今まで、萌に嘘をつかれていらっしゃったのですか?」
「いいえ。
わたくしは、萌に、嘘はついていないわ。
ひとつも、よ。
ただ――……。
話していないことも、あるの……」
胡鳥は萌の目の前で、自分の着物の帯をほどき始める。
胡鳥はするり、と着物を脱ぎ落した。
「――っ!!」
萌が両手で自分の口を覆った。目は、胡鳥の胸元に釘付けになっている。
「――胡鳥姉さま!!
その――傷は――!?」
「……憶えてないの。
ずっと昔に、できた傷よ」
胡鳥は指先でそっと傷に触れる。
この部屋には、風呂の湯気が充満してはいるが、醜い黒い蛇がのたうち回ったようなこの傷は、きっと萌にもはっきりと見えているはずだ。
「もう――痛くも、ないの……」
「そんな――知りませんでした……」
萌の肩が小さく震え、目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
「ええ。誰にも言っていないから」
胡鳥は萌の目を見て、微笑んで見せる。
「それでも――和颯兄さまは、ご存じなのですよね?」
「――いいえ」
胡鳥は顔の筋力だけで笑顔を保持した。
なるべく悪い女に見えるように。
「和颯様はご存じないのよ。
私と和颯様は、結婚して6年も経つのに、子供ができない――。
萌は、おかしいと思わなかった?」
「そんな!」
萌が泣き出しそうな目で胡鳥を見つめた。
「じゃあ、和颯兄さまは――」
胸がじくじくと痛む。
胡鳥は痛みに耐えて微笑んだ。
耐えろ。
萌の、ため、だ。
それに。嘘は。言っていない。
「わたくしの、この傷のことを知っているのは、ほんの一握りの人間だけなの。
今は亡き、父・斎藤道三。
ずっと昔に死んだ、各務野。
それから、もう一人――」
胡鳥は萌の耳元に唇を寄せて、小さく、だがはっきりと囁いた。
「滝川一益さま」
「胡鳥姉さまっ!!?」
萌がほとんど悲鳴に近い声を上げた。




