~陰の巻~ 北の屋敷(新しい和颯の屋敷)
日当たりのいい広い部屋。胡鳥はため息をついた。
目の前には手入れされた庭が広がる。
隣には侍女の控室と、侍女頭の部屋として使われていたと思われる空間。さらに庭に出やすいように工夫されている部屋まで併設されていて、これはおそらく子供部屋として使われていたのだろう。
いかにも正妻の部屋、という風格をもつこの場所に、身の回りの品物が入った行李をいくつか運び込んだら、胡蝶の引っ越しは終了だ。
胡鳥としては、この部屋は、萌と侍女たちが使うのにちょうどいいと思ったのだが、萌はかたくなにそれを固辞した。
まあ、確かにその方が、合理的ではある。
萌の輿入れが発表されれれば、和颯は尾張の守護・斯波義銀さまの縁者になる。
自分の娘を和颯さまに嫁がせたいと願う大名たちが、どっと押し寄せてくるに違いない。胡鳥としても、しかるべきお相手が見つかれば、正妻の座は速やかに譲り渡すつもりだ。
だが守護の婚礼ともなれば、必要な準備は膨大だ。萌の輿入れには時間がかかるだろう。萌の婚礼が終わる前に、和颯さまの縁組が先に整う可能性もある。
となれば、萌がこの屋敷に住んでいる間に、正妻の部屋をふさわしく整えておく必要があるわけで、萌や侍女たちが婚礼準備の途中に部屋替えをするくらいならば、そもそも初めから別の部屋を使わせた方がいい。
胡鳥は萌と侍女たちに、別の部屋を割り当てた。
奥回りの引っ越しの管轄は胡鳥の仕事だったが、こちらもあっという間に終わった。皆に、荷造りと荷解きの仕事を割り振って指示を出し、監督する。トラブルがあれば話を聞いて、個別に解決するだけ。簡単だ。
胡鳥は、もう一度ため息をついた。
しかたなく、明後日の方向を向き、硬い声で冷ややかに声をあげる。
「そこにいるんでしょう?
用があるなら、入ってきたら?」
もう一時間近くも廊下でうろうろしていた足音がぴたりと止まり、覚悟を決めたように扉に手をかける気配がした。
応えるのも、硬い声。
「蔦でございます。
胡鳥様に、どうしてもお伝えしなければならない話があり、参りました」




