〜陽の巻〜
蔦は目を伏せている。
胡蝶が萌を見た。先ほどとは打って変わって、瞬時に声が柔らかくなる。
「そうは言っても……。
萌もいつかは嫁ぐでしょう?
胡蝶姉さんが、萌にぴったりの、これ以上ない縁談を探してきます。
萌は、どんなお相手に嫁ぎたいの?
萌の求める条件を教えてちょうだい」
萌はふるふると首を横に振った。
「萌は……。
萌は、お嫁になど行きたくないのです。
萌は、胡蝶姉さまと和颯兄さまが、世界で一番大好きです。
萌は、ずっとずっと、死ぬまでずっと、ここにいたいのです」
蔦は下を向いたまま凍りついている。
胡蝶が困惑顔で俺を見た。
俺は胡蝶に「心配ない」と目線で伝え、そのまま萌に笑いかけた。
結婚もせずに、ずっとここにいたいなんて。
うんうん。
萌はまだまだ子供だなぁ。
「そうか。
じゃあ、この話は一旦保留にしよう」
俺は穏やかに言って、手紙の山を隅によせた。
縁談はまだ、萌には早すぎたみたいだ。
「結婚相手は、萌にとってはとても大切なことだ。だからきちんと選ばないと。
でも、萌はまだ14歳だ。焦る必要はない。
機が熟してから、また考えることにしよう」
もう少し経ったら、萌も縁談に興味を持つようになるはずだ。
萌と蔦は目を伏せている。
胡蝶が何か言おうと口を開き――。
「和颯様っ!」
屋敷の外から大声で呼びかけられる。
「大変です!
岩倉家が、正眼寺を、砦に改築しようとしています!」
――ななな、なんですと――っ!!?
まずい。
これは、まずい。
俺はこめかみを押さえた。
胡蝶の父・斎藤道三は、息子・斎藤義龍に殺された。
斎藤道三は俺の後ろ盾であり、同盟者だった。それなのに斎藤道三が亡くなるとき、俺は何もできなかった。
だから、尾張の北側にいる者は、俺よりも斎藤義龍が強く、頼りになると判断した。
岩倉家と織口家は、昔から小競り合いを繰り返していた。
その岩倉家が、斎藤義龍についた。
今までは表面上は仲良くやってきたが、とうとう表立って、織口家に敵対するようになっている。
最近の岩倉家は、清州の近くまでやってきて、村に火をつけたり、作物を奪ったり、やりたい放題だ。
反撃しようにも、俺たちにはもう、そこまでの力は残っていない。
俺と信勝は兄弟で争い、力を失った。
これ以上、尾張国内で戦ったら、今度こそ、西の今川家に攻め込まれてしまう。
俺は歯を食いしばり、なんとか領民をなだめ、ぐっとこらえていた。
そんな中、岩倉氏が正眼寺を改築するという。
――いくら何でも、さすがに、これは、まずい。
正眼寺は、清州から7kmしか離れていない。こんなところに岩倉氏の砦を築かれたら、いつ清州が攻められるか分からない。
しかも正眼寺は、港町・津島とも10kmしか離れていない。
津島は、俺たちにとって大切な収入源だ。津島を岩倉氏に奪われるわけにはいかないぞ。
俺は大声をあげた。
「貞じいっ! 一益っ! どうしよう!?」
バタバタと足音がして貞じいが現れた。一益もいる。
胡蝶が口を開いた。
「――正眼寺の周りには、うっそうと藪が茂っております。
あの藪を切り払ってしまったら、砦としての防御力が落ちるのでは……?」
貞じいが頷いた。
「藪を切り払うだけなら、非戦闘員で対応できます。
町人を集めては?」
一益が言う。
「砦の工事が始まってからだと、こっちが攻撃されちまう。
ぐずぐずすんな。やるなら、早くしねぇと」
俺は頷いた。
「よし、やろう。
今、すぐだ。
藪を刈る者たちと、護衛の兵士が必要だ。
荷車も用意。
藪は、刈り取ったものが持ち帰っていいことにしよう。
大急ぎで人を集めてくれ。
俺も出る!」




