~織口 信勝~ 3
「信勝さま……」
胡蝶義姉さまが涙の溜まった瞳でオレを見上げた。
俺はありったけの理性を総動員して、微笑み返した。
「胡蝶義姉さまにしかできないことがあるでしょう?
胡蝶義姉様が隠しても、兄上を見ていれば分かります。
私は、兄と血を分けた、弟ですから。
誰が、何と言おうと。
兄上には、胡蝶義姉さまが必要です。
だれか他の人が言ったことなど、気になさらなくていいのです。
胡蝶義姉さまには、胡蝶義姉さまにしかできないことをなさってください。
それで――充分です」
胡蝶義姉さまがつぶやいた。
「――わたくしが、できること……」
「ええ、そうです。
胡蝶義姉さまにしかできないことです。
あるでしょう――?」
ただ、そこにいらっしゃるだけでいいのです。
兄上のそばに、いてあげてください。
ただ、欲を言えば――ごくたまにでもいい。兄上に、微笑みかけてあげてください。
胡蝶義姉さまは、もう一度俯いた。
「あり……、ます……」
……よかった。
オレは頷いた。
「胡蝶義姉さま。
私は当主としての力を失った。
これからは、兄上が織口家の当主です。
織口家は今、窮地に立たされています。
我々は、内戦で力を失いました。
外敵は今がチャンスと狙っています。
北からは美濃と岩倉家。西からは今川家。
兄上は、それに立ち向かわなくてはならない。
どうか、胡蝶義姉様が。――兄上を支えて差し上げてください」
胡蝶義姉さま。
兄上の、最愛の人。
どうか。わたくしの兄上を――。
支え、見守ってください。
胡蝶義姉さまが顔を上げた。
先ほどまでとは、姿勢も、表情も、醸し出す雰囲気も、何もかもが違う。
ああ。蛹から、蝶が羽化する瞬間も、このように眩しく尊く、美しいのだろうか。
「ええ、そういたします」
傷つき、震え、涙を流し。
それでもしなやかに微笑んでみせるその姿に、オレの胸が鋭い痛みを訴える。
「たった今、自分の、進むべき道が見えた気がいたします。
信勝様。ありがとうございます。
信勝様は――胡蝶の、恩人でございます」
――うん。これでいいんだ。
オレも微笑みを浮かべ、前を向く。
疼くような胸の痛みに気づかないふりをしながら、オレはひとり、屋敷へ戻った。




