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俺の妻は忍(しのび)ですか?  ―― そして、次に殺される男は俺ですかっ!?  作者: ひの
20、稲生

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清須・和颯の屋敷 午前11時

 昨日の雨が嘘のように晴れた日の朝。

 泥を踏む馬の足音が聞こえる、と思ったら屋敷の外が騒がしくなった。

 一益が、本家・末森に配置していた偵察部員が、駆けこんできたらしい。


「柴田勝家殿は、末森の本家を出発し、こちらへ向かっております!

 その数1,000人っ!」


 ――げげっ。1,000人!?


 ……俺たちは700人にも満たない。


 でも、先に挑発したのは俺だ。

 おめおめと、引き下がるわけにはいかない。



 1,000人の兵士なら、見たことがある。

 俺が村木砦に行ったとき、斎藤道三が派遣してくれたのが1,000人だった。あの時は、突然現れた大軍に本家がひっくり返っていたっけな。

 だけど結局、彼らは戦闘はせずに美濃へ帰っていった。


「――分かった。出陣する」

 俺は立ち上がった。



 ――信勝め。いきなり本気出してきたな……。


 俺たちは――俺たち兄弟は。

 いよいよ後戻りできなくなる寸前まで来ている。

 引き返すなら、今だ。


 俺には分かる。信勝も。それを望んでいるはずだ。

 だからこその1,000人。

 信勝軍は、ほとんど農民だ。農閑期ならもう少し人数も集められただろう。

 だが、今は稲刈りの時期で、皆忙しい。数日の間に1,000人も集めるのは相当に大変だったはずだ。

 信勝は、織口家当主としての地位をフル活用して、速攻で搔き集めた目一杯の人数を勝家に預け、こちらに向かわせている。


 俺たちは700人。

 この日に備え、稲生村の外れに、砦を作っておいたが……。

 1.5倍の敵を前にして、簡単に勝てるとは思えない。甚大な被害を被った挙句、こちらが負ける可能性も高い。


 ――ねえ兄さん、戦うのはやめようよ。

 それが信勝からの、渾身のメッセージだ。



 信勝は、俺が、自分の兵士たちをものすごく大切にしていることを知っている。彼らは俺の部下で、家族で、友達で、仲間だ。俺は皆を、殺されたくない。


 信勝の声が聞こえるようだ。

 ――兄さん、よく考えてよ。降伏以外に方法はないでしょ?



 今、俺が鎧に袖を通さず、稲生村に行って土下座して謝れば、きっと信勝は許してくれる。


 そうすれば、俺たちはまた、昨日までの関係に戻れる。

 しばらくはぎくしゃくするかもしれないが、それでも、きっと、以前のように笑って、泣いて、相談しあえる関係になる。

 ただし、信澄を人質に出す、という条件付きで、だ。


 ――それは……。

  ――嫌だ――!


 信勝は――。信澄のためなら『毒だと分かっている酒を、旨そうにあおる』ことができる、と言っていた。

 だけど。どんなに旨そうに飲めたって。

 毒は、毒だ。

 飲ませてたまるか。

 信勝は――。たった一人の、おれの弟なんだぞ。


 俺は、生まれたばかりの甥っ子を人質に出して、まやかしの平和の上に座った挙句、真綿で首を絞められていくくらいなら、今ここで大声で異を唱えた方がいい。

 たとえ、負けると分かっていても。


 それが、俺の、正義だ。


「鎧を!」

 鎧はもう用意されていた。俺は手早くそれを身に着ける。


「申し上げます!」

 先ほどとは別の声が駆けこんできた。

「那古野に兵士が集結しています。その数、およそ700人!」


 ――そうか。敵は、1,000人じゃなくて、1,700人か。

 俺たちの2.5倍だ。

 もはや清々しいような気持ちになる。


 野戦では。兵力差が3倍になると、もう勝負にならなくなる。

 常識だ。


 それでも。

 俺は。行く。

 

 人は必ず死ぬ。

 どうせいつか死ぬなら。

 妥協なんかしたくない。


 俺は。この命尽きる最後の瞬間まで。

 理想を追って、正義を求めて、力いっぱい戦って、胸を張って死にたい。



「出陣する」

 俺は部屋を出た。

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