五、
九尾との戦闘が一時的とはいえ、終了した護たちはそっとため息をつき、その場を離れようとした。しかし、突如周囲に九尾と同等の、いや、あるいはそれ以上に禍々しい気配を感じ、再び周囲を警戒する。
「おいおい……少しは休ませて欲しいぜ」
「だらしないぞ、勇樹」
「そういう護も、もうぼろぼろなんだけど」
「みんな疲れてるわりに、結構余裕そうだよね……」
背中を預けながら、四人がそんなやりとりをしていると、いつの間に目を覚ましたのだろうか、九尾の声が響いてきた。
「窮奇、か……なんの用だ?」
「ふん!無能な狐の死に様を見に来たつもりだったが……死に損なったか」
「ふっ……まだ死ぬわけにはいかぬよ」
九尾はよろよろと立ち上がりながら、巨大な虎の体を持つ妖に言葉を返した。
そのやりとりを見て、護はいま自分たちの周囲を取り囲んでいる妖たちが、一応の連合を組んでいるということが理解できた。
それだけではない。連合を組んでいる妖は、どうやら洋の東西を問わないようだ。
窮奇という名の妖は、聞いたことがない。
さらに、この大妖を取り巻く妖たちも、日本では見ることのない妖ばかりだ。
「……お前ら、どこの妖だ?」
「ふん……異国の方士に教えることなどないわ」
方士、という言葉に月美は引っ掛かりを覚えた。おそらく、自分たちのことを指しているのであろうというが、それならば「術者」と呼ぶのならばまだわかる。しかし、この妖は術者のことを「方士」と呼んでいる。異国、という言葉も気にかかる。
「……中国の妖、『山海経』にある虎の体に鷲の翼……窮奇だな」
護が、今目の前にいる妖の名を口にする。
幼い頃から、陰陽師としての、というより、退魔士としての教育を受けてきたため、だろうか。記憶の奥底に眠っていた、『山海経』と呼ばれる妖怪や神仙について取り扱っている書物に、今目の前にいる大妖が記されていたことを思い出した。
「いかにも。我が名は窮奇、泰山に住まう大妖よ」
「やれやれ……本気でまずいなこの状況」
窮奇の言葉を聞き、護は苦虫を噛み潰したかのような顔をする。
強がってはいたが、実のところ九尾を相手するだけでもぼろぼろだ。だというのに、この上さらに歴史ある書に名を連ねる妖と対決することなど、無謀以外の何者でもない。
実際問題、窮奇の妖気に当てられて、勇樹と桜は気絶寸前といった状態だ。
「……興ざめだ。我は行く」
九尾はそう言って踵を返し、護たちの視界から消えていった。
その様子を見ていた窮奇は先程と同じく、ふん、と鼻を鳴らした。
「満身創痍のこやつらなぞ、いつでも殺すことができるわぃ……今日のところは我らも引き上げるとしよう」
窮奇の言葉に応じるかのように、周囲の妖も次々と引き返していく。
勝ってはいない。しかし、負けたわけでもない。ひとまず助かったという事実に、四人は張り詰めた気持ちが緩んでいくのを感じた。
やがて、誰からとなく、地面に座り込み、気を失っていった。
だが、護は、いや、おそらくこの場にいた全員が思っていたのだろう。自分の無力さと未熟さを、敵の強大さを。そして、自分たちとこれから戦う妖たちとの間にある、明らかな力の差を。
「ちく……しょう……」
最後の最後まで気力を振り絞り、なんとか意識を手放さずにいた護だったが、それも限界に達していたようだ。
意識が落ちていく最中、護は窮奇が去っていった方向をにらみ、消え入りそうな声でつぶやいた。しかし、それが限界だったようだ。霊剣を支えにしながら、ぐったりと、体が地面に吸い込まれていった。
倒れ込んだ護の目からは、一筋の雫が流れ落ちていた。
目を開けると、そこは見知らぬ天井だった。
いや、知らないはずではない。図らずも、何度か見ている天井だった。
「……ここは、病院か……」
護はゆっくりと起き上がりながら、ポツリとつぶやき、周囲を見渡し、月美たちの姿を探す。
自分が眠らされていたベッドの他に、隣にひとつ、向かい側に二つがあった。そして、隣のベッドには月美が、向かい側のベッドには勇樹と桜が寝かされていた。
どうやら、無事だったようだ。
「……まも、る?」
「起きたか、月美」
「う、ん……ここは?」
「病院よ。陰陽寮が管理することになった……警察病院みたいなものだと思ってくれればいいわ」
月美の疑問に答えるかのように、病室の入口から声が聞こえてきた。見ると、そこには陰陽寮の女幹部が立っていた。
普段から不機嫌そうな、どこか憂いを帯びた顔をしているのだが、今日の彼女の目は、どこか怒りを孕んでいるような、恐怖に似た感情を宿させるものだった。
「……わかるわね?私がここに来た理由」
「わかってます……」
いつの間に起き上がったのだろうか、勇樹が吉江の言葉に応えた。
おそらく、勇樹と桜にだけ、何かの厳命が下っていたのだろう。そして、それを破ってしまったがために、こうして上司の吉江が病室まできていたのだろう。つまり、彼女がここにいるのは二人に何かしらの処罰を下すため、ということがわかっているからなのだろう、勇樹の額には汗が滲んでいた。
「そう……ならいいわ。今回の件の報告は、しっかり文章にして提出してね」
そう言って、吉江はひらひらと手を振り、病室をあとにした。
台風が過ぎ去ったかのような静けさが、病室を包んだが、桜の声がその静寂を破った。
「……おとがめ、なし?」
「……みたいだな」
どっと、疲れたを顕にするかのように大きなため息が二人分。そして、その様子を見て、乾いた笑いが二人分。
ともあれ、四人は無事に帰還することができた。
が、それぞれの心の内は未だ晴れてはいなかった。
見逃された、というべきなのだろうか。その事実が、どうしても四人の心の内に残ってしまっていた。
それが、四人の術者としての、いや、一人の戦場に立つ戦士としての矜持を傷つけるには十分だった。




