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世界No.1の外科医、異世界転生!?  作者: 阿門 甲斐吽


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9/23

【第9話】眠りの向こう側


 天明(てんめい)五年(ごねん)の夏(なつ)が過(す)ぎようとしていた。


 華岡青洲(はなおかせいしゅう)は、朝(あさ)から診療所(しんりょうじょ)に座(すわ)っていた。


 父(ちち)・直道(なおみち)が亡(な)くなってから、青洲(せいしゅう)の生活(せいかつ)は大(おお)きく変(か)わった。


 朝(あさ)は患者(かんじゃ)を診(み)る。


 昼(ひる)も患者(かんじゃ)を診(み)る。


 そして夜(よる)になると、研究室(けんきゅうしつ)へ籠(こ)もる。


 医学(いがく)を学(まな)び。


 薬草(やくそう)を調(しら)べ。


 診療記録(しんりょうきろく)を書(か)き。


 実験結果(じっけんけっか)を残(のこ)す。


 それが青洲(せいしゅう)の日常(にちじょう)になっていた。


 しかし。


 忙(いそが)しさを苦痛(くつう)に感(かん)じることはなかった。


 2025年の世界(せかい)で、華岡蒼真(はなおかそうま)は長(なが)い年月(ねんげつ)を医師(いし)として生(い)きてきた。


 何度(なんど)も手術(しゅじゅつ)をした。


 何度(なんど)も患者(かんじゃ)を救(すく)った。


 そして。


 救(すく)えなかった命(いのち)もあった。


 そのたびに思(おも)った。


 もっと医学(いがく)が進(すす)んでいれば。


 もっと早(はや)く発見(はっけん)できていれば。


 もっと良(よ)い薬(くすり)があれば。


 もっと優(すぐ)れた手術方法(しゅじゅつほうほう)があれば。


 救(すく)えた命(いのち)があったのではないか。


 その思(おも)いは、今(いま)も変(か)わらない。


 だからこそ。


 青洲(せいしゅう)は研究(けんきゅう)を続(つづ)けていた。


「次(つぎ)の患者(かんじゃ)をお願(ねが)いします」


 診療所(しんりょうじょ)へ一人(ひとり)の女性(じょせい)が入(はい)ってきた。


 年齢(ねんれい)は五十歳(ごじゅっさい)ほど。


 顔(かお)には疲労(ひろう)が浮(う)かんでいる。


「先生(せんせい)……少(すこ)し相談(そうだん)がございます」


「どうぞ」


 女性(じょせい)は胸元(むなもと)を押(お)さえた。


「ここに痛(いた)みがあります」


 青洲(せいしゅう)は診察(しんさつ)を始(はじ)めた。


 慎重(しんちょう)に患部(かんぶ)を確認(かくにん)する。


【生命解析(せいめいかいせき)】


【対象(たいしょう):成人女性(せいじんじょせい)】


【局所異常(きょくしょいじょう)を確認(かくにん)】


【腫瘤(しゅりゅう):確認(かくにん)】


【炎症反応(えんしょうはんのう):軽度(けいど)】


【悪性所見(あくせいしょけん):現時点(げんじてん)では確定不能(かくていふのう)】


 青洲(せいしゅう)はすぐに結論(けつろん)を出(だ)さなかった。


 現代医学(げんだいいがく)でも、触診(しょくしん)だけで癌(がん)を断定(だんてい)することはできない。


 まして、この時代(じだい)には画像診断(がぞうしんだん)も組織検査(そしきけんさ)もない。


「少(すこ)し様子(ようす)を見(み)ましょう」


「治(なお)りますでしょうか?」


「今(いま)の段階(だんかい)では断言(だんげん)できません」


 青洲(せいしゅう)は患者(かんじゃ)を安心(あんしん)させるためだけの言葉(ことば)を選(えら)ばなかった。


「ですが、状態(じょうたい)を記録(きろく)しておけば変化(へんか)を追(お)うことができます」


「記録(きろく)……ですか?」


「はい」


 青洲(せいしゅう)は症状(しょうじょう)を紙(かみ)に書(か)いた。


 大(おお)きさ。


 痛(いた)み。


 硬(かた)さ。


 位置(いち)。


 いつから始(はじ)まったか。


 変化(へんか)があるか。


「次(つぎ)に来(こ)られた時(とき)、今回(こんかい)と比(くら)べます」


 女性(じょせい)は不思議(ふしぎ)そうに紙(かみ)を見(み)た。


「そんなことまで書(か)くのですか?」


「大切(たいせつ)なことです」


 患者(かんじゃ)が帰(かえ)る。


 青洲(せいしゅう)は記録(きろく)を保存(ほぞん)した。


【完全記録(かんぜんきろく)】


【症例登録(しょうれいとうろく)】


【経過観察対象《けいかかんさつたいしょう》】


 そして。


 青洲(せいしゅう)は一(ひと)つのことを改(あらた)めて確信(かくしん)した。


 記録(きろく)は。


 医学(いがく)を変(か)える。


 一人(ひとり)の医師(いし)の経験(けいけん)には限界(げんかい)がある。


 しかし。


 十人(じゅうにん)。


 百人(ひゃくにん)。


 千人(せんにん)。


 患者(かんじゃ)の記録(きろく)が積(つ)み重(かさ)なれば。


 そこから病気(びょうき)の傾向(けいこう)が見(み)えてくる。


 治療(ちりょう)の効果(こうか)も分(わ)かる。


 薬(くすり)の副作用(ふくさよう)も分(わ)かる。


 青洲(せいしゅう)は記録帳(きろくちょう)を閉(と)じた。


「この時代(じだい)に、それを残(のこ)す」


 それが自分(じぶん)の役割(やくわり)の一(ひと)つなのかもしれない。


 夕方(ゆうがた)。


 診療(しんりょう)が終(お)わる。


 青洲(せいしゅう)は研究室(けんきゅうしつ)へ移動(いどう)した。


 そこには、薬草(やくそう)が並(なら)んでいる。


 曼陀羅華(まんだらげ)。


 草烏頭(とりかぶと)。


 白芷(びゃくし)。


 当帰(とうき)。


 川芎(せんきゅう)。


 そして他(ほか)の薬草(やくそう)。


 青洲(せいしゅう)は一(ひと)つずつ確認(かくにん)した。


【生命解析(せいめいかいせき)】


【曼陀羅華(まんだらげ)】


【鎮静作用(ちんせいさよう):高(こう)】


【毒性(どくせい):高(こう)】


【作用発現(さようはつげん):条件依存(じょうけんいぞん)】


【草烏頭(とりかぶと)】


【鎮痛作用(ちんつうさよう):高(こう)】


【毒性(どくせい):極高(きょくこう)】


【循環器系(じゅんかんきけい)への影響(えいきょう):要注意(ようちゅうい)】


 青洲(せいしゅう)は眉(まゆ)を寄(よ)せた。


「問題(もんだい)は、どう組(く)み合(あ)わせるかだ」


 単独(たんどく)では危険(きけん)。


 だが。


 複数(ふくすう)を組(く)み合(あ)わせることで。


 それぞれの薬効(やっこう)を補(おぎな)い合(あ)える可能性(かのうせい)がある。


 青洲(せいしゅう)は配合(はいごう)を変(か)えながら研究(けんきゅう)を続(つづ)けた。


【実験番号(じっけんばんごう):028】


【鎮静(ちんせい):中(ちゅう)】


【鎮痛(ちんつう):中(ちゅう)】


【毒性(どくせい):高(こう)】


【判定(はんてい):不採用(ふさいよう)】


【実験番号(じっけんばんごう):029】


【鎮静(ちんせい):高(こう)】


【鎮痛(ちんつう):高(こう)】


【毒性(どくせい):高(こう)】


【回復(かいふく):遅(おそ)】


【判定(はんてい):再検討(さいけんとう)】


【実験番号(じっけんばんごう):030】


【鎮静(ちんせい):高(こう)】


【鎮痛(ちんつう):高(こう)】


【呼吸抑制(こきゅうよくせい):確認(かくにん)】


【判定(はんてい):危険(きけん)】


「まだだ」


 青洲(せいしゅう)は記録(きろく)を見返(みかえ)す。


「眠(ねむ)らせればいいわけじゃない」


 そこが重要(じゅうよう)だった。


 2025年の麻酔(ますい)では。


 患者(かんじゃ)の意識(いしき)を落(お)とすことだけが目的(もくてき)ではない。


 手術(しゅじゅつ)に必要(ひつよう)な状態(じょうたい)を作(つく)り。


 その状態(じょうたい)を維持(いじ)し。


 最後(さいご)に安全(あんぜん)に覚醒(かくせい)させる。


 青洲(せいしゅう)はその知識(ちしき)を持(も)っている。


 しかし。


 知識(ちしき)を持(も)っていることと。


 実際(じっさい)に薬(くすり)を作(つく)ることは違(ちが)う。


「理論(りろん)だけでは患者(かんじゃ)は救(すく)えない」


 青洲(せいしゅう)は筆(ふで)を握(にぎ)った。


 さらに実験(じっけん)を続(つづ)ける。


 そして。


 ある組(く)み合(あ)わせで変化(へんか)が起(お)きた。


【実験番号(じっけんばんごう):034】


【鎮静(ちんせい):非常(ひじょう)に高(たか)い】


【鎮痛(ちんつう):高(こう)】


【筋緊張(きんきんちょう):低下(ていか)】


【呼吸(こきゅう):維持(いじ)】


【循環(じゅんかん):安定(あんてい)】


【覚醒(かくせい):確認(かくにん)】


 青洲(せいしゅう)の手(て)が止(と)まった。


「……これは」


 画面(がめん)をもう一度(いちど)確認(かくにん)する。


「呼吸(こきゅう)が維持(いじ)されている」


 それまでの実験(じっけん)では。


 強(つよ)い鎮静(ちんせい)を得(え)ようとすると呼吸(こきゅう)に問題(もんだい)が出(で)ることがあった。


 だが。


 今回(こんかい)は違(ちが)う。


 青洲(せいしゅう)は記録(きろく)を確認(かくにん)した。


「もう一度(いちど)だ」


 同(おな)じ条件(じょうけん)で再確認(さいかくにん)する。


 結果(けっか)。


 ほぼ同(おな)じ傾向(けいこう)が出(で)た。


「再現(さいげん)した」


 青洲(せいしゅう)の胸(むね)が高鳴(たかな)る。


 だが。


 そこで止(と)めた。


「まだ一回(いっかい)では足(た)りない」


 再現性(さいげんせい)。


 それが重要(じゅうよう)だ。


 さらに条件(じょうけん)を変(か)える。


 薬草(やくそう)の状態(じょうたい)を変(か)える。


 保存期間(ほぞんきかん)を変(か)える。


 抽出方法(ちゅうしゅつほうほう)を変(か)える。


 結果(けっか)を記録(きろく)する。


 すると。


 同(おな)じ配合(はいごう)でも、植物(しょくぶつ)の状態(じょうたい)によって効果(こうか)が変化(へんか)することが分(わ)かった。


「やはり」


 青洲(せいしゅう)は頷(うなず)く。


「薬草(やくそう)の品質管理(ひんしつかんり)が必要(ひつよう)だ」


 現代(げんだい)の製薬(せいやく)では当然(とうぜん)のこと。


 だが。


 この時代(じだい)では難(むずか)しい。


 誰(だれ)が採取(さいしゅ)しても同(おな)じ薬(くすり)になるようにする。


 それができなければ。


 患者(かんじゃ)によって効(き)き方(かた)が変(か)わってしまう。


 青洲(せいしゅう)は新(あら)たな研究項目(けんきゅうこうもく)を追加(ついか)した。


【薬草品質管理《やくそうひんしつかんり》】


【採取時期(さいしゅじき)】


【保存状態(ほぞんじょうたい)】


【使用部位(しようぶい)】


【乾燥状態(かんそうじょうたい)】


【加工方法(かこうほうほう)】


【抽出条件《ちゅうしゅつじょうけん》】


「一(ひと)つずつ決(き)めていく」


 研究(けんきゅう)は終(お)わらない。


 しかし。


 少(すこ)しずつ前(まえ)へ進(すす)んでいる。


 その夜(よる)。


 青洲(せいしゅう)は庭(にわ)へ出(で)た。


 空(そら)には星(ほし)が見(み)えていた。


 静(しず)かな夜(よる)だった。


 青洲(せいしゅう)は空(そら)を見上(みあ)げる。


「蒼真(そうま)……」


 ふと。


 前世(ぜんせ)の名前(なまえ)が頭(あたま)に浮(う)かんだ。


 華岡蒼真(はなおかそうま)。


 2025年を生(い)きた外科医(げかい)。


 世界(せかい)No.1と呼(よ)ばれた男(おとこ)。


 その人生(じんせい)は。


 雨(あめ)の日(ひ)の事故(じこ)で終(お)わった。


 子供(こども)を助(たす)け。


 自分(じぶん)が死(し)んだ。


 そして。


 目覚(めざ)めた先(さき)で神(かみ)に出会(であ)った。


 あの神(かみ)は言(い)った。


 本来(ほんらい)は剣(けん)と魔法(まほう)の世界(せかい)へ送(おく)るはずだった。


 しかし。


 何(なに)かの事情(じじょう)で、この世界(せかい)へ来(き)た。


 そして。


 自分(じぶん)には異世界(いせかい)の力(ちから)が与(あた)えられた。


「なぜ、この時代(じだい)なんだ?」


 青洲(せいしゅう)は考(かんが)える。


 偶然(ぐうぜん)なのか。


 それとも。


 何(なに)か意味(いみ)があるのか。


 答(こた)えは分(わ)からない。


 ただ一(ひと)つだけ。


 確(たし)かなことがある。


 ここには。


 自分(じぶん)を必要(ひつよう)としている患者(かんじゃ)がいる。


 そして。


 自分(じぶん)には未来(みらい)の医学知識(いがくちしき)がある。


「なら」


 青洲(せいしゅう)は空(そら)を見上(みあ)げた。


「やるしかない」


 翌朝(よくあさ)。


 青洲(せいしゅう)は研究室(けんきゅうしつ)へ戻(もど)った。


 昨日(きのう)の研究結果(けんきゅうけっか)を整理(せいり)する。


【SYSTEM (システム)】


【研究進行度(けんきゅうしんこうど)】


【麻酔薬研究(ますいやくけんきゅう):47%】


【薬理作用解析(やくりさようかいせき):81%】


【安全性評価(あんぜんせいひょうか):59%】


【再現性(さいげんせい):確認中(かくにんちゅう)】


【臨床使用(りんしょうしよう):未達成(みたっせい)】


 青洲(せいしゅう)は表示(ひょうじ)を見(み)て微笑(ほほえ)んだ。


「半分(はんぶん)近(ちか)くまで来(き)たか」


 だが。


 まだ先(さき)は長(なが)い。


 そして。


 青洲(せいしゅう)は気(き)づいていた。


 研究(けんきゅう)が進(すす)めば進(すす)むほど。


 最後(さいご)に避(さ)けられない問題(もんだい)へ近(ちか)づいている。


 人間(にんげん)に使(つか)う。


 それだけは。


 動物実験(どうぶつじっけん)では完全(かんぜん)に確認(かくにん)できない。


 人間(にんげん)と動物(どうぶつ)では身体(からだ)が違(ちが)う。


 効(き)き方(かた)も違(ちが)う。


 毒性(どくせい)も違(ちが)う。


 安全(あんぜん)な量(りょう)も違(ちが)う。


 その問題(もんだい)を解決(かいけつ)しなければ。


 麻酔薬(ますいやく)は完成(かんせい)しない。


 青洲(せいしゅう)は研究帳(けんきゅうちょう)を閉(と)じた。


「その時(とき)が来(き)たら」


 静(しず)かに呟(つぶや)く。


「俺自身(おれじしん)が責任(せきにん)を取(と)る」


 その言葉(ことば)の意味(いみ)を。


 この時(とき)の青洲(せいしゅう)は、まだ完全(かんぜん)には理解(りかい)していなかった。


 やがて。


 麻酔研究(ますいけんきゅう)がさらに進(すす)んだ時(とき)。


 青洲(せいしゅう)は人生最大(じんせいさいだい)の選択(せんたく)を迫(せま)られることになる。


 母(はは)・於継(おつぎ)。


 妻(つま)・加恵(かえ)。


 そして。


 自分自身(じぶんじしん)。


 誰(だれ)もが傷(きず)つく可能性(かのうせい)のある研究(けんきゅう)。


 それでも。


 患者(かんじゃ)を救(すく)うためには。


 誰(だれ)かが最初(さいしょ)の一歩(いっぽ)を踏(ふ)み出(だ)さなければならない。


 まだ、その日(ひ)は来(き)ていない。


 今(いま)はただ。


 一(ひと)つの薬草(やくそう)を調(しら)べ。


 一(ひと)つの結果(けっか)を記録(きろく)し。


 一(ひと)つの失敗(しっぱい)から学(まな)ぶ。


 青洲(せいしゅう)は筆(ふで)を取(と)った。


「今日(きょう)も研究(けんきゅう)を始(はじ)めよう」


 朝(あさ)の光(ひかり)が研究室(けんきゅうしつ)へ差(さ)し込(こ)む。


 未来(みらい)の医学(いがく)を背負(せお)った医師(いし)の戦(たたか)いは。


 まだ始(はじ)まったばかりだった。



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