名前の魔女 ヘルマ②
その町には、壁がありませんでした。
街道沿いに開けた土地で、行商人が立ち寄りやすく、よそ者の出入りも多い。それが町の活気の源でもありましたが、盗賊の目にも留まりやすいということでもありました。略奪が一度あり、また来るという噂が立ち、町の人々はざわつくようになっていました。
そこで声を上げたのが、数人の若者たちでした。
中心にいたのは鍛冶屋の息子で、肩幅が広く、よく通る声を持つ男でした。俺たちで守ろう、と彼が言えば、仲間たちは拳を打ち合わせ、火が点いたように盛り上がりました。退役した兵士の老人も加わり、猟師も、大工も、肉屋の次男も名乗りを上げました。
少し離れたところで腕を組んでいた者たちもいました。商家の手代や、粉屋の主人や、どこかの農夫。町を守ることには賛成でしたが、剣を握ったことはなく、どうすればいいかもよくわからないまま、とにかく集まっていました。まあ、必要なことだから、と思っていました。
夜、広場に集まった彼らは、壁を建てる計画を立て始めました。石を積むか、木を組むか。どのくらいの高さにするか。門はどこに設けるか。
自分たちこそが町を守るものになる、と誰もが思い、熱くなっていた、その時。
突然、男たちの目に映る世界が、溶けました。
仲間が、仲間という概念を失い、ただの「かたまり」に見えました。壁が、壁という言葉を剥がされ、ただの「隔てるもの」に。鍛冶屋の息子は隣に立つ男の顔を見ましたが、それが誰なのか、何なのか、完全にわからなくなりました。
不安に駆られて周囲を見回すと、広場の端の、松明の明かりが届くか届かないかの場所に、銀色の髪の小柄な少女が、静かに立っていました。
誰も、彼女がいつからそこにいたのか、わかりませんでした。
ヘルマは、笑顔で口を開きました。
「あなたたちには、なりたいものがあるのね。とてもすてき」
舌の上の銀色の紋様が、光りました。
「私が、手伝ってあげる」
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翌朝、町の外縁に、壁が立っていました。
石造りの、頑丈そうな壁でした。人の背丈よりずっと高く、隙間なく積まれ、一目で町をぐるりと囲んでいるとわかる。よく見れば、石の色や質がところどころ違いました。赤みがかった箇所、青みがかった箇所、妙に滑らかな面と、荒削りのままの面。
さらによく見ると、壁のあちこちに、人の顔に似た凹凸がありました。
眉のような隆起。目のくぼみに似たくぼみ。口のかたちに割れた継ぎ目。探せば、指のかたちをした出っ張りも、肩のような丸みも、見つけられました。壁全体が、何かをぎゅっと押し固めたような、奇妙な密度を持っていました。
町の人々は、立派な壁ができたと喜びました。
有志たちの姿が見えないことに気づいた者も、数人いました。きっとどこかで祝杯でも上げているのだろうと、みな思いました。
盗賊は立派な壁を見てか、二度と来ませんでした。
壁は今も、町をぐるりと囲んでいます。風雨にも揺るがず、ひびも入らず、そこに立ち続けています。




