第六章 ベネディクト①
その年の冬、流行り病が近隣の村を舐めるようにして過ぎ去りました。
いたずら好きだった五歳のケーテも、床に就いたまま春を待たずに逝きました。
兄のルイトドールの嘆きは深く、しばらくのあいだ、彼は何も食べられないほどでした。
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救済の魔女アニカが現れたのは、ケーテが逝って何日かあとのことです。
そのとき、ルイトドールはのそばには、親友の少年が一緒にいました。
思い出話をしたりして、ルイトドールを慰めていたのです。
ルイトドールのすぐ横にあらわれたアニカをみとめると、親友の少年は、のどをひきつらせました。
アニカはその少年のことなどおかまいなしに、その白い痣のある手のひらを、うつむくルイトドールの頭にそっと置きました。
すると、アニカの手のひらの上に、赤く艶やかな苺が現れます。
それは一瞬のことで、親友の少年は、手はおろか、口さえ出す暇はありませんでした。
そっとルイトドールのようすをみると、どうやら眠ってしまったか、気をうしなってしまったかしたようで、すすり泣く声がやみ、寝息が聞こえてきたことに、少年はほっとしました。
少年が見ている前で、アニカはその果実を、口に運び、ほほえみました。
「楽になってよかったわ」
それから、少年にも目を向けたのです。
「あなたにも、喪失の痛みがあるのね?」
そうして迷いなく伸ばされたアニカの手のひらには、青いエンドウ豆があらわれました。
アニカは一瞬それを不思議そうに眺め、ひと齧りしました。
「……おいしくないわ」
少年は、目を丸くしました。
アニカは少しのあいだ、少年を見下ろしました。
そして、食べかけの青い鞘を、すいと丸呑みすると、アニカは消えました。
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少年は翌朝、ルイトドールのもとを訪れました。
昨日、あのまま眠ってしまったルイトドールは、今日はとても元気でした。
落ち込んでいたことすらわかっていないようなそぶりに、そっと様子をうかがっていると、ルイトドールがケーテのことをなにも覚えていないのに気がつきました。
そして自分の中にあるケーテについての記憶が、うつくしくたのしいものばかりになっていることにも。
自分はあのとき、ルイトドールに、ケーテのいたずらの思い出なんかを話していたはずでした。でも、今の自分には、そんなことをされた記憶がないのです。寂しささえありません。
おかしい、と少年は思いました。
あれはきっと、魔女だったんだ。少年は、彼女の手のひらの痣を思い出して、そう思いました。
少年の名前は、ベネディクトといいました。
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ベネディクトが十七になった初夏のことです。
彼の母親の葬儀の夜、ベネディクトはひとり、外に出ました。
白い息を吐きながら空を見上げていると、気づいたときには、隣にあの女が立っていました。
十年前と、なにも変わらずに。
「……あんた」
思ったより低く出た声に、ベネディクトは自分でも少し面食らいました。
アニカの白い痣のある手が、静かに持ち上がりるのを視界に収め、
「待って」
ベネディクトは、その手首をつかみました。
アニカの目が、初めてベネディクトの目を見ました。
「……食べなくていい」
「重そうなのに」
「いいって言ってる」
しばらくの沈黙ののち、アニカはベネディクトの顔と、つかまれた自分の手首を見て、特に怒るでもなく、手を下ろしました。
「……そう」
それだけ言って、アニカは夜の中に溶けるように消えました。
ベネディクトは、手に残った感触を確かめるように、そのまま立ち尽くしていました。




