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慈悲深い魔女たちの話  作者: けものへんにまし
第五章 救済の魔女 アニカ
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救済の魔女 アニカ③

 男は、死が怖かったのです。


 病でも、老いでもありません。ただ、死というものが怖かった。夜ごと目を覚まし、自分がいつか消えるという事実を、何度も何度も確かめるようにして生きていました。妻がいました。子がいました。仕事もありました。それでも、眠れない夜の暗闇の中で、男はいつも同じ問いを繰り返して怯えていました。


 死んだら、どこへいくのか。

 自分は、どこへいってしまうのか。


 ある晩のこと。灯りを落とした寝室で目を開けていた男の枕元に、救済の魔女アニカが現れ、男の顔をのぞき込みました。


「かわいそうに。ずっとそんなことを考えて怯えているのね」


 アニカはそう言ってから、首をかしげて男を見つめました。


「……困ったわ。記憶だけを抜いても、あなたの身体そのものが、震え方を覚えているのね。これでは、中身を空っぽにしても、また新しい恐怖を詰め込んでしまうわ」


 彼女は少し考えるふうでしたが、やがてひとり頷き、その真っ白な痣のある掌を、男の胸にあてました。


「こうすれば、もう二度と、喪失に怯える必要なんてなくなるわ」


 男は声を上げることもできませんでした。


 彼から引き剥がされたのは、記憶ではありません。

 もっと、ずっと深いところ。

 男の名前を呼んで泣いた母のこと、初めて魚を釣り上げた朝のこと、妻と交わした言葉、子の頭の重さ。

 羞恥も、未練も、ちいさな意地も、眠れない夜に数えていた問いそのものも。すべてが、するすると抜け出ていきました。


 アニカの掌の上で、それらはひとつの果実になりました。

 ずしりと重く、皮が張り裂けそうなほど実の詰まった柘榴。アニカはそれを両手でそっと持ち上げ、しばらく眺めました。


「……これは、割ったりしてはいけないわ。この子はずっと、自分がこわれたり、なくなったりすることを怖がっていたもの」


 アニカは柘榴を口元に寄せ、そのまま、丸ごと呑み込みました。

 皮も、種も、重さも全部。

 男という存在が、形を保ったまま、彼女の中へ落ちていきました。


「もう怖くなくなったでしょう? よかったわ、あなたを救けてあげられて」




 寝室では男の妻と子だけが、まだ深い眠りについていました。

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