7.必須な要素とセーフティーライン
この重くなった空気をどうするべきか。
一気に緊張が走った応接室内で、わたしは内心パニック寸前。けれどもそんなことを表に出すわけにはいかない。
シレっとした顔で王子殿下を見つめている詩乃美は…多分全然動じてない。心の底から通常仕様。
少しは危機感ってものを持ってちょうだい。外国の――それも、外交的重要国家のトップが目の前にいるっていう状況で、よくまぁそこまで不遜な態度を貫けるものね。
「ワタシはアラビア語はそれほど堪能ではないし、他の面々に通じないのも困る。この先は日本語で行かせてもらうので、通訳よろしく」
と、外務省を看板にしょってるオジサンに語り掛ければ、校長先生たちがあからさまにほっとした。
よく言うよ。そりゃあ英語やスペイン語ほどじゃないけど、日常会話程度ならアラビア語圏内で不自由しないくらいは会得しているくせに。
ちなみに、わたしはそっち方面はからっきし。簡単な挨拶くらいなら詩乃美に教わったが、会話ができるほどの語学力はない。
以降は、通訳を介するか、詩乃美の注釈が頼りの会話である。
「代金を受け取ってもらえないとなると、別の宝石で良いだろうか?」
「もちろんだ。ただ、あまり高額に過ぎる物は控えようとしているところでな、下手をしたら国宝クラスになるような石は遠慮したい。まぁ、そちらがどうしてもと言うなら一考するが」
「良ければ我が国の油田、その一部という手もあるが」
「あー、それは。すまないが、いささか都合が悪い」
「と言うと?」
「実は、先の北米南米行きの行程が問題視されてな。保護者や学校だけでなく、司法関係からも色々物言いがついてしまったんだ」
「ほう、それは初耳だが」
「つい最近、それについての会合があって、色々決まりごとを約束させられたばかりだからな。対外的な告知もまだなんだ」
「こちらに聞こえた君の評判だと、かなりリベラルでフリーダムな御仁だということだったが」
「こちとら未成年だ。後一年ほどとは言え、保護者の意向を全く無視して活動を続けるわけにもいかない。大変申し訳ないが、交換品にいくつか条件を付けざるを得なくなった」
「なるほど、それは確かに納得できる」
「ワタシとしても不本意なのだが、仕方がない。交換実験そのものを禁止されなかっただけ僥倖だとあきらめた」
「では、その条件とやらを提示してくれ。範囲内で出来る限りの好物件を選択しようではないか」
同席している面々が口を挟む間もなく。これだけのやり取りがなされた。何度も言うが、一国の首長相手に、だ。
ええい、怖いもの知らずが最も怖い。と思ってビクついていたら、いきなりこっちに話を振られた。
「マヤっち、例の交換に対する規制を説明してくれないか」
「え、ああ、うん」
わたしは手にしていたA4サイズのクリアフォルダを差し出す。中にはパソコンで印刷された条文が並ぶコピー紙が数枚。
応接セットのテーブルに置かれたそれに、お客様たちの視線が集中している。
ちなみに、ボディーガードの皆様は微動だにしていないが、注意が向けられたのははっきりわかる。
「えーと、簡単に言えばですね、いくつかの条件の物は交換対象に出来ないことになりました」
これを作るまでどれほど大変だったか…。
つい二日ほど前、先週末。これ以上詩乃美の暴走を放っておけないけど、わたしの力が及ぶ範疇を超えたと判断して、関係者――詩乃美の行動に振り回されている面々を呼び集めて会合を行った。
涙ながらに救けを求めるわたしに、みんな冷や汗を垂らしながら集まってくれた。
集結したのは、詩乃美とわたしの両親たちに、学校の担任教師と校長・教頭。加賀美君の両親は、本人たちが来ることはなかったが、長く付き合っているという弁護士先生を寄こしてくれた。
極めつけに、詩乃美が中学校の頃から何かとお世話になった、少年課の緑川警部。
ちなみに、緑川さんが警部に昇進するきっかけになったのが渡瀬詩乃美だったことを記しておきましょう。あの時の事件は、本当にとんでもなくて――いや、それは今回とは関係ないわ。
とにかく、常識も良識もある大人たちに頼るのが一番だと思ったわけだけど。
結論から言えば、彼らに詩乃美を止めることはできなかった。
〝言うことを聞きなさい!〟と、怒鳴りつけられて縮こまるような可愛げは、渡瀬詩乃美には皆無だものねぇ。
例のエメラルドに至っては、所有権は正式に詩乃美にあると弁護士先生も判断された。
さすが、あの難しい国で成功を治めた古狸――ではなく、実業家。国際法を含めた、ありとあらゆる法律を踏襲した手続きで以て、エメラルドを詩乃美の所有物にしていた。
もし、無理やり取り上げるようなら、強奪の訴えも可能だそうな。
詩乃美ならやる。例え自分の両親・親族だろうと、己の信念を持っての行動を邪魔した存在には容赦しない女だから。
しかも彼女のバックには、加賀美良一という金もコネも潤沢な男が控えている。彼もまた、渡瀬詩乃美への愛に余計な茶々を入れようもんなら、鬼と化す厄介者。
あの二人が両想いになった時点で、最早手の打ちようがなくなったと言っていいんじゃなかろうか。
まぁ、そういうことで。
敢えて詩乃美を止めるのではなく、ある程度の線引きをすることで折り合いをつけた。
ただし、その話し合いは、本当に精神力をゴリゴリ削られる修羅場だったわ。
そして、激論の末になんとか。
殺傷・健康被害能力を持つ(兵器・武器・弾薬・薬物等)
所持、もしくは使用に免許・資格が必要
課税対象、または所持に支払いを課せられる
犯罪に関連する
恒常的使用者であっても、名義・所有権は別
未払い金(ローン含む)がある
以上の物は交換対象にしない。という、これだけは守ってほしいルールを作成したのだ。
教室内で文房具を交換していたころとはもう違う。
「このまま放っておいたら、ヤバい意味で世間を揺るがしかねない危険性がある。あの娘を野放しにすれば、遠い未来じゃないぞ」
緑川警部は冗談をまったく感じさせない声音で断言したのだ。
確かに詩乃美の交換実験は止まるところを知らない。下手をすると、一年後、彼女が成人してもまだ続けている可能性がある。
そうなったら、例え親の庇護下にあったとしても、どんなとんでもない品を扱うことになるやらだ。
幸い人の意見を聞く耳は持っているので、まだなんとかなる今の内にセーフティーラインを決めておこうと、皆で必死に意見を出し合い、それを詩乃美に伝えた。
それでも検証の幅がああだこうだと渋っていたが、いくつかを削除したり条件付きにしたりしてすり合わせを行い、なんとか了承してくれた。
その内容を書き出したのが、この紙。
六項目の一つ一つに注釈をつけて、交換に危険が伴わないように斟酌した結果だ。
それを読んだ通訳の人が、アラビア語で王子様に説明をしている。
「内容は承知されたそうです。金銭を受け入れていただけないなら、改めて交換品を選択するので、候補の品をそちらでも選択していただきたいとのことです」
「分かった。では、リストを作っていただきたい」
さあて、この世界的な大金持ちがなにを出してくるのか、これは慎重に検証しないとね。
先日の会合で、わたしは渡瀬のご両親と緑川警部から改めて頼まれたのだ。詩乃美の監視と交換品の安否判断を。
「いいか、くれぐれも世に出したら危険な品は拒否しろよ。でないと、どんな騒ぎを引き起こすかわからんからな」
それはもう必死に言いつけられた。
更には。
「渡瀬の嬢ちゃんは、お前さんと加賀美の坊主しか懐に入れないからな」
とも言われた。なんだかちょっと切ない響きで。
詩乃美との付き合いは小学校入学式以来。
今までに色んな人がわたしたちに関わってきたが、普通の友達ならともかく、詩乃美が本当になついて頼りにして、といった人物は本当に少ない。
彼女の両親にしてからが、詩乃美に信頼されているとは言い難い。なんでだかは知らないが。
渡瀬家の人たちは、ご両親もお兄さんも詩乃美以外は本当にまともなのに、長女だけが飛び抜けた変人に育ってしまった。
時折出てくる、こういう人間は育成環境なんて関係ない、という典型的な例だと思う。
ただ、長女の奇行にまるっきり動じないのが不思議だけど。
小学三年生の時に担任だった女性教師くらいだろうか、詩乃美の思考と行動に指針を与えられたのは。
詩乃美が曲がりなりにも合法性を重視して、誰彼構わず平気で攻撃するような凶暴性を押さえているのは、あの先生のおかげだと思う。
詩乃美にやっていいことといけないことの区別をつけさせた、偉大な存在だった。
ただそのせいで、詩乃美の中に絶対的な正義感と言うか、許容ラインといったものを植え付けたのもまた事実。
その正義感に反する行動でもって彼女とその周囲に相対し、許せる範囲を超えた者を詩乃美は絶対に許さない。徹底的に攻撃する。むしろ、そっちの方が厄介だわ。
救いようがないのは、詩乃美の激怒地雷を踏み抜きながらも、悪意攻撃の手を止めない輩だ。
まだ幼い少女だから。大したコネがあるわけじゃないから。庶民だから。
そんな理由で彼女を舐め切って痛い目を見た連中を、わたしは大勢知っている。
詩乃美に代わってわたしが伝える。
「交換対象になるのは、飽くまで貴方の個人的所有物です。お国の宝であるとか、ご家族の物は認められませんので」
時々いるのよ。自分の会社にあるナニソレとか、親や妻が持っているアレコレを、なんて交換を申し入れてくる輩が。
それはアンタの物じゃないだろうと言っても、〝なんでだ?〟とか、本気で首を傾げる勘違い野郎は、本当に対処に困る。
通訳が王子にその旨を伝えると、彼は大きく頷いて了承の意を示す。
それを見て、詩乃美がふと問いを発した。
「参考までに聞いておきたいんだが、貴方はこのエメラルドを何のために欲しているんだ?」
視線が詩乃美に集まる。
「別に秘匿したいならそれでも構わんが。まぁちょっと興味が湧いたのでな。貴方ほどのご仁なら、もっと金銭的価値のある、更に言うならカットと加工済みの逸品だって楽に贖えるだろう」
それは確かに。その気になれば、ティファニーだろうがハリーウィンストンだろうが、店で一番の宝飾品でもポンと買えてしまうお人のはず。
通訳はさすがにプロといおうか、淡々とその言葉を王子に伝えたようだ。
すると、帰ってきた返答は。
「実は、王子が新たに迎えられる、第三夫人への贈り物だそうです」




