5.狂った行先に祝福を
詩乃美と加賀美君が日本に持ち込んだのは、推定価格ン千万、いや、カットした後で鑑定すれば、もしかしたら億に届くかもしれないという極上緑玉。
あの黒メガネ集団は、元の持ち主が付けてくれたボディカードだそうで、無事日本へ入国出来れば良し、もし移動中に、石が誰かに盗まれたり行方不明になったりしたら大変だと無理やりつけられたらしい。
ゴタ・デ・アセイテ、〝一滴のオイル〟という意味。エメラルドの中でも、最高級の逸品を称する等級だそうな。
「なにをどうすりゃそんなモンを交換で手に入れられんのよぉー」
額に冷えピタを張って自宅のソファーに沈むわたしは、どう見たって死にかけの病人だろう。
実際、ヤバかった。
空港で、詩乃美達が持ち込んだ石の正体を聞いた後からの記憶がほとんどない。
「どう、と言われてもな。現地の畑と交換したんだ」
「はい?」
畑だと。つまり、土地ってこと?
「ああ、色々あってな。アメリカを出た後も交換実験ができたんだが、とうとう持てあましていたとかいう畑を丸ごともらったんだ」
「持て余してって」
「なんでもつい先頃、遺産相続で押し付けられたらしい。ところがそいつは都会育ちで農業の〝の〟の字も知らないときてる。で、売却に手間取っていたところへワタシたちがやってきて、交換実験を持ちかけたというわけだ」
「そんな都合のいいことって」
「確かにその通りなんだが、事実なんだから仕方ない。それに、偶然ってわけでもないぞ。ワタシたちはその畑に用が出来て訪ねて行ったんだからな」
なんかもう前後の事情を聴くのが怖くなってきた。
「そこでは随分出来の良い、Co――」
ん?
何かを言おうとした詩乃美の口を、加賀美君がぱっと押さえた。
コ?コってなんだ、南米で有名な作物かな。えーっと、なにがあったっけ、コで始ま…る…。
こ、こ、こっ――コケコッコじゃなくて、まさか。コ、Coca…。
「コーヒーだよ。結構品質の良い豆が取れてたみたいだ」
加賀美君がきっぱりと宣言した。
「あ、ああそうか…あっちはそれで有名だもんね」
そうだよ、コで始まる作物なら、Coffee豆だよね。ハハハ、コーヒー万歳。
「詩乃美、あんたなんだってアメリカから出る羽目になったのよ」
なんとか息を整えて、一番知りたかったことを訊ねる。
「ああ、それか。いや大したことじゃないんだが、滞在先のパーティで例のアンティークな宝石箱を披露していたら、ぜひ自分の持ち物と交換して欲しいと申し出があってな」
加賀美君が例のノートを寄越した。かなり後ろのページを開いて。
そこには英文が書かれている。あちらの人仕様だ。当然、承認サイン筆記体。流石は上流階級と感心する流麗さ。
まぁそれはいいとして、交換内容は。
「マヤ文明の遺物?」
「ああ、持ち主はとある名門のマダムだ。彼女の祖父はその筋の学者で、彼が1900年代の初頭に現地で発掘して、米国に持って帰ったものだそうだ。当人は既に亡くなって、この人形を含む遺品と遺産は彼女が相続していてな。それと宝石箱と交換することになったんだ」
「…本物だったの、これ?なんか、金って書いてあるけど」
「ああ、混じりっけなし、時代考証もばっちりの逸品だった。ワタシの目には大した物に見えたんだが、そのマダムは、ヴィクトリアン調の品々が好みだとかで、どうにもギョロ目の古代人形は気味が悪いと言って、嫌っていた」
ああ、確かにその二つじゃ対極的だわね。
しかしそれにしても、どこが大したことじゃないって?それどころか、大金持ちを巻き込んだ時点で充分大事になってるじゃない。
「とは言え、大好きだった祖父の形見だから捨てるわけにもいかず、ずっと屋敷の片隅で放置されていたそうだ。物の価値を知る者にしてみれば、頭を掻きむしりたくなるような話らしいがな」
「なんか、えらくリアルな感慨ね」
「そりゃそうだ、実際目の当たりにしたからな」
「へ?」
「一応古代遺物だから、きちんとした鑑定結果が必要かと思ってな。マダムの祖父が残した研究ノートやフィールドワークの記録も一緒に引き取って、その筋の専門機関に持ち込んで調べてもらった。で、研究員が発狂するところまでじっくり見物してきた」
詩乃美がしみじみと言えば、加賀美君も大きな息を吐いて述懐する。
「あれは本当に呆れたよ。曲がりなりにもいい大人が、奇声を上げてしゃがみ込むんだから。何事かとびっくりした」
「間違いなく本物、博物館クラスの貴重な資料でもあるとかで、なんとか譲ってくれと懇願されたんだが、こちらの交換検証に同意してもらえなかったんで、揉めに揉めてな」
いやそりゃ、まともな大人ならそんな冗談みたいなこと言われてもねぇ。
「どうせ物は溢れるほどあるんだから、適当に出せばいいものを」
溜め息混じりに詩乃美が言えば、加賀美君が苦く笑ってたしなめる。
「仕方ないよ、ああいう所は集めて仕舞い込むのが仕事なんだから」
「そんなんだから泥棒呼ばわりされて、返せ返せと世界中からつつかれるんだ。英国立と並んで、完全に盗品窟扱いだろうが」
なんですって?
ちょっと待て、それってつまり…。
「あんたら、鑑定って、発狂した研究員って」
「ああ、スミソニアンだよ。ワタシが知ってて信用できる鑑定機関は、アメリカじゃあそこだけだったんでな」
アメリカどころか世界的にも最高峰の博物館で騒ぎを起こすな!
頭を掻きむしったという研究員に同情する、心から。わたしだって、何度そういう目にあってきたことか。
「でもあいつのせいだろう、メキシコ政府からの横槍が入ってきたのは」
加賀美君が、謎のツッコミを入れてきた。
なんですと?
「メキシコ?え、それって」
「よくある話だよ、マヤ文明の発祥はあの国だろう。だからその遺物はウチの国の物だ、さっさと返せと政府筋から申し入れてきたんだ」
あっちゃあ。
「そもそもあの研究員が悪いんだ。モノ欲しさであちこちに相談を持ち掛けたせいで、目ざとい外国諜報員にまで情報が漏れたんだから」
それは完全にアウトね。
「しかし、あの人形の出自ははっきりしている。アメリカに持ち出された年には、まだ持ち出しを禁止する法は整備されていなかったし、略奪や窃盗ではなく、純粋に学術研究のために発掘した当人が所持していたと言う事で、国際法を盾に強引な返還を強行するのはちょっと無理だった」
はぁ、そんなもんなのかしらね。
「事が大きくなって、元の持ち主であるマダムがかなりビビッてしまってな、物々交換とは言え、今の所有者はワタシだからと、丸投げしてきたんだ」
もしかして、カリブ海にバカンス――いや到達した理由って…。
「で、ワタシの交換検証のことを説明したら、頭の固いアメリカ博物館とは違って、なんでも好きなものを選んでくれと言われたんだ。それならいっそ里帰りさせるのもいいだろうと、思い切って現地に飛んだ。マヤっちも知ってるだろう、ワタシがスペイン語を話せることは」
どうしてそうなる!?
いや確かに詩乃美がスペイン語を扱えるのは知ってる。小学校高学年の頃、世界で公用語となっている言語が~という話をたまたま聞いた際、英語・フランス語・スペイン語・アラビア語の順だと知った。
すると詩乃美の好奇心――いや、研究者魂に火が着き、その四ヵ国語をマスターするんだと言い出して、猛勉強を始めたのだ。
別にそれはいい。知識や言語を広げるのはよろこばしいことだし、詩乃美の家は加賀美君ほどじゃなくても充分金持ちだから、娘が外国語教室に通うくらいの塾代は楽に出せた。
だがしかし、本業である学校の授業をそっちのけにして言語習得に励むのはいかがなものか。国語も算数も理科も社会も、語学の前に敗北した。
その年その学期の詩乃美の成績表はドカンと低評価が付き、さすがに危機感を覚えた彼女の両親が、それを咎めると――。
『ふむ。確かにその他学業を疎かにしては、言語知識が増えても活用の幅は狭まるな』
と宣い、次の学期には元通りどころか、さらに上を行く成績を叩き出したのだ。
以来、渡瀬詩乃美の学業評価は、常に学年どころか全国的にもトップクラスをキープしている。
解せぬ。どうしてこんな我儘ばかりしている女が、ガリ勉連中より高得点をあげるんだろう。つい、その疑問を口にしたら。
『多少素行に問題があっても成績さえ良ければ大抵のことは許されるのが学生の特権だからな』
と、返された。
要は、自分の趣味と好奇心に走った行動を邪魔されないために、好成績を維持しているというわけ。
大学受験に血道をあげている連中には聞かせられない。
「せっかく国を挙げて実験に協力してくれるんだから、大使館の置物なんてしょぼい品じゃ、もったいないだろう」
一国を相手取って下らない実験をするな!
と言いたい、心の底から全力で叫びたい。
でも、言えない。言ったらマズいからじゃない、言ったところでまるっきり効果がないか――あるいは妙な曲解をして、ますます泥沼化するのが目に見えてるから。
「そういう訳でだな、ワタシたちはメキシコへ招待されたんだが」
けれども、金無垢遺物は政府御用達の研究所には行かなかった。途中で、別物と交換されたから。
「地元の歴史愛好家に事が知れてな、メキシコシティへ向かう途中で無理矢理招待されたんだ」
「ちょっと、それって拉致とか誘拐とかいわない?」
「まぁ、同行していた政府関係者も一緒にだったからな。最悪殺されることはないだろうと判断したんだ」
いや、そこは違うでしょお!あっちの治安を思えば、殺されて物を奪われても不思議じゃ…。
「マヤっち、ワタシが易々とやられると思うか?」
「…思いません」
詩乃美なら、ゲリラの巣窟からでも平気で脱出してきそうだ。
「それにな、件の愛好家とやらは紳士だったぞ。ニューヨークで世話になった人たちより、自由になる金は多いと見た。案内された自宅とやらは、プールとヘリポート付きの大豪邸で、メイドや庭師、武装したボディーガードがわんさかいたな」
最後のソレは聞きたくなかったよ。
「なるほど。で、政府の招請を蹴っ飛ばして、その大富豪な愛好家と交換実験をしたわけか」
「仕方ないよ、その政府役人が泣いて頼むんだから」
加賀美君がサラリと怖いことを言った。
「ここで逆らったら家に帰れないって、良い大人がベソベソしてね。しょうがないから、詩乃美ちゃんの交換実験を説明したら、却って面白がられたんだ」
「タスキを見せて、金は絶対に受け取らない、命と引き換えじゃ意味がない。なんでもいいから、貴方がお持ちの物と交換してくれと言ったら、爆笑された」
そりゃ、幸運だったこと。
殺されててもおかしくないって、気づいてたのかな。いや、気づいてても平然と交換実験を持ち掛けたに違いない。
結果、それが功を奏したんだろうけど。
「部屋にあった植木鉢を指して、最悪それでもいいと言ったら、実に見る目があるシニョリーナだと感心されて、快く交換に応じてくれた」
「なんだったの、それ?」
「よくは知らんが、どうやら南米でも珍しくて絶滅危惧な一株だったようだ。名前は良一が調べてノートに書いておいてくれたし写真も撮ってある。見るか?」
絶滅危惧種であれば、ヤバいクスリの原料ではない、か。別の意味で怖いけど。
「いや、今はいいわ。後でデータ整理の際に見せてもらうから」
今はとにかく心の平穏をこれ以上乱したくない。
「で、その鉢植えのせいで畑とやらに」
「ああ、なんでも元々はそこで生えていたものを株分けしたらしい。そろそろ新しく土を入れ替える時期だとかで、是非その畑に行ってくれと言われてな。アメリカとは逆側の国境を越えなきゃならなくなったんだ」
「…」
「同行していた政府関係者をメキシコシティで下ろして、すぐに飛行機に乗って次の国へ飛んだ。精力的だろう」
この娘の場合、精力的とは無茶苦茶なスケジュールを気にしないと言う事。
「あの役人は、這う這うの体でどっかへ行っちゃったけど、後で怒られないか心配だよ」
加賀美君、そこは心配するだけじゃなくて、なにかフォローを入れてあげないとマズかったんじゃないかな。
お仕事大失敗して逃げ帰って――今頃、どうなっていることやら。
わたしとしては、親友とその彼氏を守り切れないような役人にかける慈悲もないけどね。
「そうして南米入りを果たした訳だが、畑があったのがコロンビアの片田舎、地主が住んでいたのが首都のボゴタだ。お陰で手間取ったのなんの」
「土をもらうだけなら、直接現地でもよかったんじゃ」
「そうもいかん。後で文句をつけられるのはゴメンだし、元の持ち主だった例の愛好家は、前の地主と懇意にしていた縁で鉢を融通してもらったそうだからな。話は通しておくべきだ」
こういう妙に義理堅い所も、事を迷走させる原因の一つになるわけね。
「で、その畑を、絶滅寸前の植物と交換した、と」
「ああ、そうだ。後でわかったんだが、その畑がなかなか売れなかったのにも、少々事情があったんだ。その辺りを、ワタシが間に入ることで解決した」
妙に自慢げに胸を張る詩乃美。
この娘が間に入って事が鎮まるなんて…あり得るのか、そんなこと。
「本当の事だよ、和田さん。この件ばかりは、詩乃美ちゃんがいたから解決したんだ」
加賀美君が必死のフォローをして来るけど…。
「まぁ、それは信じるとしても…もしかして、事が解決したのは、さらにもっとややこしい別問題が発生したから、とかじゃないでしょうね?」
「え!どうしてわかったんだ?」
このまま何も聞かずに寝ちゃってもいいだろうか…。主に、心の平穏を得るために。




