2.始まり、そして文明社会への反証
取り替えてくれと言われても、ポケットティッシュ一つに相当する物ってなんだろう?
机の上を見る。登校してきたばかりなので、鞄はまだ机の上に出したまま。続いて各所のポケットを探る。ハンカチに生徒証に小さいサイズのボールペン。
うーん、こうして改めてみると、意外と手放したくない物が多いな。一応気に入って購入したものばかりだし。
あ、そう言えば。
机の中から、小さなケースを一つ取り出した。百円ショップで買った小物入れだけど、日常使いの小物をアレコレ入れてある。
その中から、色のついた付箋を一つ。
「これで、どうかな」
三分の一ほど使ってあるけど、まだそれなりに量はある。
ホームセンターで六色セット売りしていた、最後の一つ。ピンクとか黄色とか、他の色はまぁ気に入ってたけど、これは青とも紫とも言えないビミョーな色合いで、結局最後まで残ったのよね。
しかもこの間新しいセットを買って、未だ封切り前でスタンバイしてるから、これはもういいかってところだわ。
「ふむ、なるほど。確かに妥当なところだな」
付箋を自分の机に置いて、例のポケットティッシュと並べると、スマホで写真をパシャリ。
「それからっと」
次いで取り出したのは、A4サイズのダブルリングノート。どうやら新品らしく、表紙を開くと罫線のみのまっさらなページが現れた。
「日付と、時間。交換品と元の持ち主を…」
「待ってくれ、詩乃美ちゃん。それは僕にやらせてくれないか」
横から喰いつき気味に加賀美君が名乗り出た。なんか、異様に興奮してるような。
「折角だから、記録係を請け負うよ。詩乃美ちゃんは、交換品の吟味と保管方法を考えてくれればいいから」
「それは助かるな、じゃあよろしく頼む」
案外あっさりと詩乃美はノートを彼氏に預けた。
――あー、確かに賢明な判断かもしれない。詩乃美の悪筆と、まとまらないノート使いはよく知っているからね。
おかげで、今まで何回わたしのノートを分捕られ――いや貸し出しさせられたことか。せめて自分で自分の字や文書を解読できるようにはなってくれ。
これで成績は学年トップクラスなんだから、世の中どうなっているのか。
加賀美君の綺麗な字で交換記録が記入され、それがずずいとわたしの前に差し出された。
「じゃあ和田さん、これにサインをくれるかな」
見れば、ポケットティッシュと付箋交換、その日付と時間、交換元――と書かれている。
なるほど、元の持ち主が承認したという証左が必要というわけね。
ま、ここは素直に従っておこう。
わたしはさらさらっとノートに自著して、加賀美君に戻す。それを確認した美少年は、とても満足そうに笑って受け取った。
あ、これはちょっと危険かもしれない。
ぞっこんの彼女がいるとは言え、加賀美良一を慕う者は大勢いる。そういう連中が、この笑顔見たさだけで、物々交換実験に参加する可能性は大だ。
しかも、そういう連中って男女関係なくいるものねぇ。
それから間もなく予鈴が鳴り、担任が登場したので、危機感溢れるも安っぽい物々交換は一旦休みになった。
加賀美君も未練たらたらな様子ながら、自分のクラスに帰って行った。ただし、その腕にはダブルリングノートがガッチリと抱え込まれていた。
そして、休み時間になるたびに、詩乃美は例のイカれたタスキをかけて、クラスメイトの間を回る。
当然ながら加賀美君がその後をぴったりくっついて、なにかを交換するごとに、ノートに書き込みを行っていた。
わたしは、それを横で見つつも、敢えて手を出さない。
なぜか。そりゃもちろん馬に蹴られたくないから。
実証実験とやらをやっている詩乃美は実に楽しそうだし、その後ろに控える加賀美君は実に幸せそうだ。愛し合っている二人の共同作業にお邪魔する気は毛頭ありません。
と言うのは建前で、本音はちょっと違う。
最初から手を出すと、一番肝心なところで止められないかもしれないから。
詩乃美の行動は、突拍子もないものであればあるほど、危機感というか、常識や倫理的なものが麻痺していく傾向がある。付き合っているうちに、〝こんなもんか〟とか〝まぁ、この程度なら〟という感覚が、どんどん上昇していくのだ。
そして終いには、世間的に完全アウト!でも、平気で通してしまう。
あれはヤバい。気づけば司法機関のお世話になるような事まで、常識の内だと錯覚してしまうのだから。
今回の実験とやらは、久々にそこまで行きそうな予感がする。
今はどうやら文房具やちょっとした小物などをやり取りしているだけだが。いずれなにかとんでもないブツが出てくるに違いない。
だとしても詩乃美のことだ、目的の妨げにならない限り、平気で受け取ってさらにどこかに流すだろう。
止めて止まるものじゃない。であれば、今はまだわたしは静観するだけにしておいた方が良い。
そんな感じで、ある意味開き直っていたのだけれど。
それは、実証実験とやらが始まって、一週間程が過ぎた頃。
【こんにちは皆さん、お昼の放送です。放送部の穂積七菜香がお送りいたします。本日は最近精力的に校内を巡っておいでの二年二組、渡瀬詩乃美さんをお招きして、お話を伺いたいと思います』
【よろしく】
危うく口からウーロン茶を吹き出しそうになった。
な、な、なんじゃこりゃ、なにが起こってるの?
聞こえてきたのは、耳慣れた親友の声。ブレも照れもない、まったくもって平常心なド変人の声音。
【渡瀬さん、聞けば随分精力的に校内を回っていらっしゃるそうで、それはそのタスキに書かれている通り、物々交換による実験だそうですが、具体的に、一体何を追及していらっしゃるのでしょうか?】
あのタスキを掛けたままインタビューに答えてるのか。
【そうだな、端的に言えば物品に於ける有用性と、個々の価値観の違い、尚且つそこにある譲れないモノの検証、と言ったところかな】
コイツは本当に高校生なんだろうか。
【はぁ、随分と高尚な目的のようですが…わたしにはよくわからないです】
ちょっと困ったかのようなインタビュアー。うん、貴女の反応は正常だと思うわよ。
【まぁ仕方ない。大抵の人間はそんな事いちいち考えもしないだろうからな。ワタシだって、販促品をもらって気づくまで、意識すらしなかった】
【そうなんですか。ではその辺りをご説明ください】
【そうだな――その前に穂積さん、貴女は今自分が身に着けている物全て合わせると、どれほどの金額になると思うかな?】
【は?身に着けている、ですか。それは、あの、制服とか靴とかのことでしょうか】
【それも含めてだ。頭のてっぺんからつま先まで。見ればヘアクリップや腕時計もつけているようだが、それだけじゃない、下着や靴下、ポケットに入っているだろうハンカチなどの小物類まで全てだ。まぁ、学生証などは配布されるものだから違うとしても、それを入れているパスケースなどは案外皆自分で購入したりしているだろう】
【そうですね】
【で、だ。見方を変えると、貴女はそれらが揃って初めて人前に姿を現すことができる、引いては学校に登校することができた、と言うわけだ】
【まぁ、言われてみれば】
【それらは全て――かどうかは人にもよるが、ほとんどは金銭で贖われている。制服はもちろん、下着も靴下も腕時計もそうだ】
詩乃美の声に迷いはない。そりゃ言ってることはその通りなんだけど、なんだかなぁ。
インタビュアーの穂積さん、心折られないといいんだけど。
【それは、そうですね】
【人は大抵物品を購入する際こそ金額を気にする。終生的に財産価値のある物ならまた話は別だろうが、習慣的日常的に使用する物に対しては、購入後には利用のし易さや有効性こそ気にするものの、金銭的価値など思慮の他だ。違うかな?】
【ええっと、それは大事に使うとかそういうことではなく?】
【そうだ、一旦金を出して買い求めた以上、その物品をどう扱うかは自由だ。だが大切に扱うことと、必要があって使いまわすことはいささか違う。身に着けているその服のように、これが無ければ生活できない、やるべき事が不可能になる。そういう物に対する意識は、要するに“あって当然”だ】
【つまり…どういうことでしょうか?】
段々インタビュアーの態度が崩れてきたわね。
そろそろ危険な香りがしてきた、と思う間もなく、詩乃美の狂気が爆発した。
【穂積さん、もし、もしもだが】
マイクの向こうで、ぐっと身を乗り出したのが、目に見えるようだわ。
【今、貴女が身に着けている物、そうだな、制服や何かをひっくるめて大体五万円程度だとしよう。それらを全て脱いで金銭と交換してくれと言われたら、承諾するかい?】
【は、はぁあ!?まさか、しませんよそんなこと】
なにいってんだこいつはぁ!
【だろうね。更に言うなら、人目のある場所のど真ん中でそれをして欲しいと言われた場合、どうする?】
【普通に通報案件です!】
【その通り。到底許可できる話じゃない。もしワタシがそんなことを言われたら、問答無用で沈めるね】
し、沈めるって、どこによ。
【一体なにが言いたいんですか?!】
ああ、穂積放送部員がついに壊れた。
【つまりだな、金銭を出せばなんでも通るわけじゃないと言うことだよ】
【…それは】
【カネを使うのは文明圏に住まう人間のみの特性だ。第一次・二次・三次と産業が集まって連鎖しているのが人間社会。その中にあって、言わば各種の人知と技術を橋渡しをするのが金銭だとワタシは考える。であれば、どれだけカネがあっても、それだけでは何の役にも立たない】
【役にたたない、ですか】
【カネは食べられないし着られない、暖も取れなければ、病気を治すこともできない。それができるのは現物であり、技術と知識を持つ人間だ】
【え、まぁ…確かに。ですが、なんだかよく】
【現に貴女はどれだけカネを積まれても、人前で衣類を差し出すことはしないと言っただろう】
【関連性がわかりません!】
【羞恥心と社会的立場を金銭に置き換えることは不可能だと、宣言したことに他ならないじゃないか】
【…そういう問題なんでしょうか】
【では問おう、もし病気や怪我をした場合、どうする?】
【それは――お医者様の所へ行きます】
【薬もない、医療機器もない、下手をしたら診察室すらないような状況に陥ったら、医者がいたところでどれだけの事が出来ると思う?】
【え、それは】
【逆に言えば、そういう物が全てそろっていたとしても、扱える人間がいなければ、どうしようもないな】
【それは…】
【そんな状況にならないように尽力した歴史の結果が、現在の流通網であり、人員育成と職業配置だ。総じて、金銭授受を介した文明とも言える】
なんだかなー、反論したい気持ちや、なに馬鹿言ってんだって怒鳴りつけたい衝動は十分にあるんだけど、それをやったら負けって気が…。
これが渡瀬詩乃美の怖い所なんだよな。屁理屈やこじつけにどんな正論よりも説得力を持たせるんだから。
【だからこそだ、敢えて金銭を一切介さず、文明社会を享受するとしたらどうなるか。具体的には、物品の交換のみでどこまでいくか、そこにある個々の価値観を含めて検証したいんだよ、ワタシは】
コイツの検証の前では、倫理や道徳なんてものは最初っから存在しないか、或いはスライムの如く自在に(好き勝手に)形を変えるんだろう。
気が付けば、昼休みにもかかわらず、教室内はシンと静まり返っている。
無理もない。願わくば、詩乃美の毒気に充てられておかしくなる生徒が出ませんように。
さて、全校生徒と教師陣を完全に呆れさせた狂気の放送後、詩乃美と加賀美君の物々交換行脚は加速した。
高校生なんて、結局面白そうな事にはすぐ飛びつく生き物なんである。
ここへきて、さすがにわたしも無視を決め込んでいる訳にもいかなくなった。
加賀美君はブースターにこそなれ、ストッパーやブレーキにはなり得ない。
であれば、もう仕方ない。例え完全に止めることは無理でも、最悪の状況に陥る前に対処しなければ。
…もっとも、最悪がどんなものなのかは、予測もつかないけど。
「マヤっちが手伝ってくれる気になったのは、嬉しいな」
お気楽に言う、タスキかけの女。
…しかしあのタスキ、なんかグレードアップしてない?
最初に見たときには、あんなラメラメは無かった気がするんだけど。
「今日は前々から是非と思っていた人物との会談だ。彼に交換してもらえそうな品が、やっと入ってきたのでな、アポイントが取れたんだ」
「そう…ちなみにだけど、なにをなにと交換したの?」
加賀美君には、敢えて今までの記録を見せてもらってない。多分だけど、見たらしばらく頭を抱えてのたうつ羽目になりそうだから。
だって、傍目で見てただけだけど、職員室や校長室にまで入り込んでいたんだもの。しかも、先生たちはみんな顔色を悪くしていた。
教諭陣の弱みなんて把握済み。そうでなけりゃこんなアホな企画、学校内で大手を振ってやれる訳がない。
まぁ逆に、バレちゃマズいネタを捕まれたと、逆恨みに近い感情を持つ理不尽な輩もいるけど。
「ん、ああ。漫画同好会の部長にな、推しプロの生原稿と、コレを交換してもらった」
と言って取り出したのは、USBメモリ、いや、違う。
「ソリットステートドライブ?」
しかも、新品じゃないの。
確かウチの漫画同好会部長って、その筋ではかなり有名で、同人作家達のイベントでは常連だとか。
そんな人が憧れてるプロ作家の生原稿なんてレアもの、どうやって…。
いや、この際それは追究しまい。
しかしそれにしても、わたしが交換した使いかけの文具が、パッケージもそのままな新品になってるっていうのが、信じらんない。
「ああ、今の漫画作成は、かなりデジタル化しているからな。こういうものは必需品らしい。しかも、ワンテラだぞ。かなりの好条件だ」
それ、結構なお値段のはずよね。
「さぁ行くぞ。我が道は、遥か先まで続く、だ」
頼むからその先に地獄が待っていませんように。
わたしにできるのは、ひょっとしたら祈ることだけなのかもしれない。




