1.一日目 朝
「おはよー、…なにしてるの?」
天気の良いさわやかな朝だった。
教室に入って、天性トラブルメーカーたる我が友が、真摯な表情でなにかを睨みつけているのを見るまでは。
「おはよう、今日と言う日にキミに逢えたのは、実に僥倖だ」
「いや、毎日会ってるし」
なんせ同じクラスで席も近いし。それでなくとも、付き合いは長いんだから。
おかげでこの友人が引き起こすアレやらコレやらに、そりゃもうどっぷりと巻き込まれてる。
「…で、今度は一体何をしでかすつもり」
事によっては担任や親だけじゃない、校長にも知らせて、あ、いや、少年課のおっちゃんのほうが先かな。
「しでかすとは失礼な。ワタシはいつだって真剣に世の有り様を解き明かすべく、切磋琢磨しているだけだと言うのに」
「いや、あんたをこそ解き明かしたいと思ってるんだけどね」
「ワタシの成すべきことは、この世の条理と不条理の間にある、誰にも知られていない事実の検証だよ。それを追求するための努力を、何人たりとも邪魔させない」
「それは邪魔じゃなくて、阻止って言うんだけど」
思えばコイツ——渡瀬詩乃美に出会ったのは、同じ小学校に入学して同級生になった時だったわね。
わたしのフルネームは和田真矢。
“わだ”と“わたせ”。わたしたちは、あいうえお順で並ばされて以来、ずっと付き合いが続いている。
それは、彼女の突拍子もない行動に、延々付き合わされているということで…。
「これを見たまえ」
と言ってズイッと差し出されたのは、とても見慣れた物。
「あー、詩乃美、コレは…なんなの?」
「見てわからんとは、マヤっち、君の脳髄は溶けてるのか?それとも眼が機能不全を起こしているのか」
「いやどっちも正常だと思うんだけどね」
わからないのは、コレがなんでそんな特別扱いされるのかってことなんだけど。
「では、これがなんなのかはわかるだろう」
「…ポケットティッシュ」
「うん、その通りだ。なんだ異常が出ているんじゃないのか」
「なんでそんな残念そうなのよ」
仮にも友人の心配はしないのか…しないだろうな、この女なら。
「で、そのティッシュがなんなの」
深く追求しちゃダメだ。詩乃美の好奇心や探求心(?)を刺激したら、絶対ロクなことにならない。
いや、もう遅いのか、ひょっとして。
「うむ、これはな、昨日入店した家電量販店で配布されていた物だ。いわゆる販促品と呼ばれるものだな」
ああ、なるほど。よく見ると、時々耳にする企業名が描かれている。
「電池が欲しくて、どうせなら種類が揃っている店で買おうと思ったのだが、思わぬ収穫だった」
「はぁ、電池くらいならそこらのコンビニでも売ってるのに、わざわざ」
この女は、そういうところがちょっと面倒くさい。謎のこだわりと言うか、自分ルールで満足できないと気が済まないんだから。
「そんなことはどうでも良い。問題はだな、このティッシュが無料で手に入ったという点だ」
「??なにそれ」
ティシュ配りなんて、別に珍しいことでもないでしょう。貰うと、なんだか向こうの押しに負けそうになるのが不快だけど。
「なぁ、マヤっち。今現在この世に於いて、金銭授受を介さずに物を得ると言う事が、どれほど稀有なことか、考えたことがあるか?」
「…無料サービスなら、喫茶店の水やオシボリは世界的に見て驚きだそうだね」
「それとこれとは微妙に違う。この無料配布されていたティシュだって、作成するにはそれなりの費用が掛かっている。しかも中身だけじゃない、パッケージだって材料費の他に、成形してロゴを印刷してとそれなりの技術料がかかっているはずなんだ」
「まぁ、言われてみれば」
「にもかかわらず、このティッシュは無料で、有象無象関係なく配布されていた」
それは、それなりに高額の物品を売りつけるためです。
という突っ込みは、とりあえず避けよう。余計ややこしくなるから。
「では、このティッシュには、一体どんな価値があると言うのか」
「鼻かんだり、汗拭いたりとかじゃない。あと、化粧直しとかにも使えるよ」
「実用の目的ではない。純粋に、物品の価値だ」
知るかそんなもん。
「これは検証せねばなるまい」
まったく冗談を感じさせない口調で、十年来の幼馴染は宣言した。
あ、こいつはヤバい。
「いやちょっと、そんな意味のないことで、貴重な青春を無駄にするもんじゃないわよ」
「なにを言っている、これは大変に意味深く、尚且つ青春という世間から暴走を許された今しか出来ない、有意義な実証実験ではないか」
今だろうがアオハルだろうが、やっていいことと悪いことに違いがあるもんか。
ついでに言うなら、青春とはなにをやってもいい時期ってもんじゃない!
「だがもちろん、世間に要らん迷惑をかけるのはワタシの本意ではない」
「嘘やっ!」
コイツと知り合って以来の、アレやらコレやらが思い出される。世間を騒がせた回数は、両手で数えてもまだ足りない。
「ふっ、マヤっち、君はまだワタシを理解していないのだな」
ニヒル?を気取ったらしい、気色悪い笑みを浮かべて、奴はトンチキな事を言い出した。
「…あんたを理解できるのは、世界征服を企む狂人くらいだと思うけど」
「人は日々成長しているのだよ。ワタシももちろん――いや、人より更なる高みに登るべく、進化しているに決まっている」
「…」
あかん、コレは久々の暴走が始まる兆候だわ。
高校入学以来、大分落ち着いてきたと思ったのに…。
「だから、見ろ!」
机の中から、何やら長細いモノを取り出し、バーンとわたしの目の前に掲げて見せる友人。
「これなら、なんの面倒も憂いもなく、実証実験が推進できる!」
のは、ナニユエに?
「いや、これなに?」
布製品みたいだけど、リボンにしては大きいし、帯?なんか派手な縁取りがされているけど。
「ん?ああ、しまった、裏側だった」
と言うと、その細長い布をくるりと回してこっちに差し出す。
そこにはやけに麗々しい文字で、訳の分からない文言が…。
≪実証実験:物々交換受付中 求む!協力者≫
「…えーと、つまりこれはタスキ、なの?」
上記の文字は、前後に同文が書かれていて、前からも後ろからも読めるようになっている。
「そのとーり!昨夜、パソコンの専用アプリとミシンを駆使して造り上げた逸品だ。どうだこれなら、ワタシの行動指針と理念が容易に周知されるだろう」
まずは、アンタの頭が疑われるんじゃナイカナー。
いや、過去テレビのバラエティー番組でそんなような企画を放送していた記憶がある。確か、手持ちの色んな物を置いていく人々に、スタジオの面々が一喜一憂していた。
他にも、ラノベだか漫画だかでそんなようなネタが結構あったような。
「あんた、どっかのお笑いイベントにでも参加する気?」
ちょっとしたジョークだと言ってくれ。
「何を言う、これは崇高な理念をもって真摯な疑問を解消するための、本気の実証実験だ」
マジか、これ。
たかだかポケットティッシュ一つで、一体何が始まろうとしてるの。
「そう言う訳でだな…」
友人が更に何かを言い募ろうとした、その時だ。
「詩乃美ちゃんっ!」
ガラピッシャアン!ドゴンッ!
妙にドスのきいた声と、教室の扉に攻撃をぶちかました音が響き渡った。
「詩乃美ちゃん、聞いたよ。なにか始めるんだってね」
喰いつき気味にズカズカと向かってきたのは、他クラスにいるはずの男子学生。
「どうして真っ先に僕を呼んでくれないんだよ。いつだって君のために馳せ参じる用意をして待ってるってのに」
目が血走り、息を荒げて叫ぶその様は、まぁ普通の女なら百年の恋も冷めることだろう。現に、教室中の女子たちがドン引きして――はいないか。ああ、もうそういう段階は通り過ぎていたんだった。
それもこれも我が親友、渡瀬志乃美に惚れ込んだせい。
一年と数ヵ月前、志乃美に出会ってこの男は人生を狂わされた――いや、本人曰く、惨めなだけの生活から救われた。そして彼女に熱烈なラブコールをして、見事彼氏の地位を得た。
その際の大騒動はまた別の話。てか、思い出したくない。
なんだかんだ言いながらも、詩乃美の方もこの男に愛情を傾けているようで、言い回しは古いけど、今や学校の名物カップルだ。
…ただ、名物と呼ぶか迷惑物と呼ぶかは、人によるわね。
その原因は、当然ながら渡瀬志乃美のぶっ飛び具合と、この男――加賀美良一君のキャラクターにある。
加賀野良一という男はハイスペック中のハイスペック。
見た目は抜群、誰もが‟イケメンやぁ~”と溜息を吐く美形。街を歩けば、逆ナンしょっ中、芸能界のスカウトわんさか。
成績だって常に上位をキープしているし、性格も良い。常ににこやかで人に優しく、意地の悪いからかいなどは絶対にしない。
それだけでも得難いのに、極めつけは彼が大金持ちの御曹司だと言うこと。
日本でも有数の大富豪である彼の実家が経営する会社は、世界中で活躍するグローバル企業。彼の名前を出せば、どこへ行っても特別待遇を受けるに違いない。
しかしながら、そんな彼がべた惚れしているのは、ぶっ壊れ倫理の持ち主、渡瀬詩乃美。
と言うことは、最早ナントカに刃物を通り越しているということで。
「耳が早いな良一、だが別にお前を蔑ろにしたわけじゃない。最近随分忙しそうだろう、ワタシのことで煩わせるのもどうかと思ってな」
「そんなっ!詩乃美ちゃんのことであれば、どんなことよりも優先させるに決まってるじゃないか」
「おいおい、そんなことを言ったら、まともに試験も受けられないかもしれないぞ」
こら親友、学生の本分をなんだと思ってる。
「そんなもの、どうでもいいよ」
君も自分が何を言っているかわかってるのかね。
「ここしばらく忙しかったのは、免許を取るためだって知ってるだろう」
おや?
「免許?加賀野君って、確かバイク免許は取ってたでしょう」
そう、この男は原付と普通二輪の免許を取得済みで、更にやたらと派手目なバイクを持っていたはず。
「違うよ、今回取ったのは航空機の免許だよ」
「はぁっ!?」
サラッととんでもない事を言いやがった。
「な、なん、なん…」
今度は流石に教室中がドン引いてる。女子だけでなく男子もまんべんなく目をかっ開いて、他クラスから突撃してきた哀れな(?)男子を見つめてる。
「あれ、和田さん知らないの。ヘリやセスナの免許は十七歳から取れるんだよ」
知るかい!いや、そういうことじゃない。
「いや、ワタシもそれはどうかと言ったんだが」
ちょっと困ったような表情で呟く女に、ストレートパンチ的なツッコミを入れたくなった。
「だって詩乃美ちゃんのやりたいことをフォローするなら、足はなるべく多い方が良いだろう。残念ながら車の免許はもう少し後だけど、うちの運転手ならいつでも使えるからさ。どうせならもっと遠くまで行けるものをと思ってね」
「うれしいが、かなり高額な費用が必要だったろう」
「いやだな、僕はこれでも優秀なんだよ。一千万もかからなかったさ」
…。教室が無言に包まれる。なにを言えと言うのか。
「それはともかく(ともかくってなんだ)機体はどこで借りる気なんだ。結局使えるかどうかは分からないのに」
「いやだなぁ、借りるわけないだろ」
やめて、それ以上言わないで。
「もちろん買うさ。セスナは発注済で、納品は来月の予定なんだ」
「「「……、!…」」」
二年二組総勢二十四人の沈黙と注目を浴びても、この二人はビクともしない。鋼鉄の恋人同士だ。
「おいおい、今回はそんなものは使わないと思うぞ。身の回りだけで済みそうだしな」
「そっか、でも必要ならいつでも言ってよね。詩乃美ちゃんのためなら、一億でも十億でも安いものだし」
安いわけあるかぁ!
「はは、それはうれしいな。だが、いつも言っているだろう、ワタシは金でなんとかるチャチな物事には真剣に取り組めないんだ」
こ、コイツは。
「詩乃美、アンタ言ってる事がさっきと違うじゃない」
「ん?なにが」
本気で分かってないのか。
「費用がどうとか、価値を調べるとか、完全にお金の問題でしょうが」
言ってやると、奴は派手に吹き出しやがった。
「あははは、マヤっち、それは根本的な間違いだぞ」
あん?
「ワタシは金で解決できることには興味ないと言っているだけだ。金、つまり経済的威力を否定するつもりは全く無い。そしてこの」
ポケットティッシュを視線の高さまで持ち上げて、滔々と語りだす。
「ティッシュは、明らかに産出費用が掛かっているにもかかわらず、販促品として無料配布された。――もちろんその目的が商品と企業の紹介であり、云わば呼び水としての宣伝活動であることは承知している。だがな、敢えて物品そのものの有用性を吟味して等価交換をした場合、どこまで進めるのかという疑問を提示して、実証したいんだよ」
「…」
ナニイッテンダ、コイツ?
なんかもう、理解しようって気になれない。
幼い頃から特殊な疑問を持っては、ソレを追究するためにぶっ飛んだ事を平気でやらかす奴だった。
年を経るごとに、それがどんどんパワーアップしている。今回も、きっと。
「だからこそ、具体的に言うところの物々交換だ。そこに金銭は一切介入させないことを前提にして、これなら相当するという判断の元、持ち物をやりとりするんだ。誰にだってあるだろう、持ってはいるものの、大して使用するわけでもない――まぁ、余り物的な所持品が」
…確かに。
でも、多分ただの実験じゃすまない。そんな予感がひしひしと…。
「さすが詩乃美ちゃんだね。僕には到底たどり着けない高みだよ」
いや、加賀美君。君がたどり着いちゃったら色々ヤバいよ、マジで。
「でもそういう事なら、僕も全面的に協力するよ」
いまさら何言ってんだ、この男は。
「つまりは、このティッシュをなにかと交換すればいいんだね。ちょうどいいや、君にぴったりな指輪を見つけてあってね、石は小ぶりなんだけど、カラーはディーで…」
オイちょっと待てぇっ!
石だと、カラーがなんだって…それはまさか、だ、ダイ―—。
「いやいや、それはちょっとマズい。いくらなんでも飛ばしすぎだ」
!驚いた。
詩乃美が、まともな事を言うとは。
「一気にそこまで行ったら、実証実験にならないだろう。まずはもっと近い所から順々に、だ。慌てるのは良くない」
「そうか、わかったよ」
しゅん、と肩を落とす彼氏君。垂れた犬耳と犬尻尾の幻影が、見えそう。
こいつもなぁ、なんて言うかここまで行っちゃうとは…初めて会った時は、もっとこう、消え入りそうな少年だったのに。
「良一からの交換品は、実験のトリだ。最後の〆にふさわしいモノを、きっと用意できると信じてる」
言われた途端、加賀野君の塩垂れた顔が一気に晴れ上がった。
「うん、任せて!世界中のどこを探してでも、詩乃美ちゃんにふさわしいモノを見つけてくるよ」
「はは、期待しているよ」
耳と尻尾は、ピン立ちしてブンブンと振られて――いや、見えない見えてないって。
「と、言う訳でだ」
ラブラブ彼氏を侍らせながら、奴はわたしに向き直った。
――う、嫌な予感。
「記念すべき実証実験第一号はキミに決まりだ、我が親友よ」
「あ゛、ナンデスッテ?」
「このティッシュとキミの持ち物のなにかを交換してくれ」
…あー、やっぱり、つまり、要するに――そういう事ね。
なんかもう疲れた。やめろと言うのも、身をもって止めるのもしたくない。




