11.堕ち逝く先に誘うのは悪魔じゃない
とうとうあの教師との全面対決、その火蓋が切られてしまった。
わかってはいたのよ、いずれこうなるってね。でもまさか、詩乃美の実験が絡むなんて。
これは思ったより大事になりそう。
三門先生は一年生の担任で、教科は現代社会科。わたしたちとは直接関わることのない教諭だったんだけど。
「生活指導という立場で、生徒を追い詰めようとか、いつの時代の学園ドラマだろうね」
いや、そういうのに時代は関係ないと思うよ、加賀美君。
「何の権利があって、僕の水晶を取り上げるんだ!」
真庭先輩は泣いている。
無理もない、勉学に関係ない私物を持ち込んだと難癖をつけて、交換品である夫婦水晶を無理矢理奪っていったんだ、あの不良教師。
でも、詩乃美のウランは目もくれなかった。
つまり、これは。
「権利?そんなものあの男にあるものか。あの水晶はそもそも地学部の参考品として申請してあるはずだろう」
詩乃美が淡々と言葉を紡ぐ。
「ウラン鉱石はぱっと見ただの石くれだ。カプセルに入っていても、あの見る目のない男には価値があるように見えなかったんだろう。対して真庭部長の水晶は、見た目がキラキラしている分高価な品に見えた。ただ、それだけだ」
やっぱり、あの教師は没収した生徒の私物を返そうなんて気はないんだ。
「そんな、あれは僕が許可を得て採掘した石なんだぞ」
「だからこそだ。もちろん公にではないだろうが、裏のどこで売りさばこうが文句をつけるのは高校生の教え子だけ。なんとでも言い逃れできるだろうと高を括ってるんだ」
「!なんで、そんな」
「あの男が出入りしている裏カジノやら違法風俗店はカネがかかるからな。教師の給料ごときではそうそう入り浸れないんだろう」
「!!」
ああ、言っちゃった。
三門忠正教諭は生活指導を請け負う教師の顔で世間を渡っているが、私生活はかなりヤバい遊戯施設の類にハマっている。
彼の行きつけである裏カジノは、いつ司直の強制捜査があってもおかしくないような質の悪い所らしい。
そんな所に入り浸って、よくまぁ今までバレずにやっているものだわ。
「なんで、そんな…」
怒りも忘れたのか、同じセリフを二度呟いて、真庭先輩が呆然としている。
「大学時代の友人とやらに引っ張り込まれたようだな。ありがちな話だが、最初はバカ勝ちしたらしい」
嘘か本当か知らないけど、一千万近く稼いだとかなんとか。
「で、更に紹介制のクラブに連れていかれた。そこでは美女たちが濃密サービスを施してくれるらしいが、法律では到底許してもらえないような店だそうだ」
人間、色と金で叩かれれば、良心だの倫理観だのが崩壊するのも無理はないわ。
無理はないけど、仮にも教師と言う職に就いている人間があそこまで堕ちるのはどうかと思う。
「そこで嬢の一人にすっかりハマってしまった。俺の天使とか寒いセリフを吐いて、通い詰めているそうだ」
うん、三十半ばの男にそれをやられちゃ、マジで寒いってかキモいわよ。
独身なのが良かったのか悪かったのか。
転落する夫に泣く妻がいないのは良いけど、仮に既婚者であれば、ハマったとしてもそこまで堕ちる前に気づいてもらえたよね、きっと。
「カジノで稼いで、店で大盤振る舞い。首尾よく太客の座をゲットしたはいいが、そんなもの長く続くわけがない」
だろうね。
「そこでやめればいいものを、一度すすった甘い汁は忘れられないようでな、あの男はもうかなりマズい所まで行っている」
それって。
「生徒の物を難癖付けて取り上げ質屋に持ち込む、悪い素行を誇張して親をゆする」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いくらなんでもそれは教師としてというより、既に犯罪…」
真庭先輩が愕然としている。詩乃美の口元が、にやぁ、と嗤いの形になった。
「ゆすられた親が差し出したのはカネだけじゃない、勤め先の機密情報なども最近は標的だ。高校生の子供を持つ親なら、人によってはかなり高い役職者もいるからな」
「…じゃ、じゃあ僕の水晶は」
蒼褪める真庭先輩。
可哀想だけど、今夜にでもあの水晶は三門が懇意にしているリサイクルショップに持ち込まれるはず。本来なら警察署の証拠保管室にあるべきブツでも、平気で取引材料にするような店にね。
詩乃美はただただ嗤っている。さっきから表情が全く変わらない。
これは、彼女が潰すべき標的を見定めた時の…。
「なぁ、あの男は教師として学校に置いておくには、大分ヤバい奴だとは思わんか?」
今のあんたの方がもっとヤバいよ、多分。でも、まぁ。
「そうだね、やってることがもう許容値を超えてるわ」
「ああそうだ、正当な理由なくワタシの実証実験を邪魔する者は、誰であっても許さんよ」
そっちかい!
詩乃美が己に降りかかった理不尽に反発したら、もれなく誰かがブチ切れて廃人化する。
ちなみに廃人化と言うのには二通りの意味がある。文字通り精神をやられてその筋の病院に閉じ込められるか、まともな仕事に就けなくなって、残りの人生をどん底生活で生きる羽目になるか。
どちらも、寿命は大幅に削られるんじゃないかな。
あの外務省通訳のオジサンはまだマシだった。仕事も家庭も最低の評価は付けられたけど、それでも社会人として生きられるだけの生命線は守られたのだから。
三門教諭は…。
前科がついても、教員免許を取り上げられても、せめて正気で生きて行けるだけの力が残れば御の字だわね。
なんでこんなことになったのかなぁ。
わたしとしては、あまり過激な騒ぎは起こしてほしくない。が、こうなったらそんなささやかな願いはかなえられそうにない。
あの教師は詩乃美に真っ向から喧嘩を売ってきた。
詩乃美と相容れないというだけなら、今までに何人もいたけれども、仮にも教師があんな風に全身全霊で詩乃美を排除したがるというのは、やはりなにかありそうね。
考えられるのは…まさかとは思うけど。
「あの教師がワタシを攻撃したがる理由がわからないか、マヤっち」
半笑いでそう言ったのは、その日の下校時。
今日は加賀美君が一緒じゃない。なんでも急用ができたとかで、彼は大きな黒塗りのお迎え高級車に乗って、先に帰宅した。
わたしと詩乃美だけで駅へ向かうのも久々。
「んー、予想はつくけど、仮にも教師をやってる人間がそんなことを、ってところかな」
「ほう、さすがにマヤっちはそのあたり、鋭いな」
「じゃあ、やっぱり三門先生のターゲットは加賀美君なの」
準備室で、あの教師は苦々し気に詩乃美を睨んでいたが、その視線はちらりちらりと加賀美君に揺れていた。
詩乃美の半歩前で、彼女を守ろうとする位置を常にキープしている加賀美君は、どう見ても三門先生を完全に敵認定。
あれはどう見ても教師をじゃなく、三門先生個人を警戒した動きだったと思う。
「彼を取り込むために、詩乃美を排除しようとしてる?」
「その通りだ」
日本有数の大企業を有する名門家の御曹司。そんな生徒を抱え込めば、なにかしらの恩恵を期待するだろう輩は大勢いるが、まさか学校の教師だなんて。
「あの男の頭にあるのは、最早カジノでの勝利感と天使ちゃんな嬢への執着だけだ。どちらもカネが無ければ手も足も出ない所にある」
そうでしょうね。マジで鳥肌が立つ。
「加賀美グループから恩恵を受けられるとなれば、カネなんぞ天井知らずだろう。うまくすれば教師を辞めて加賀美に転職、お気に入りの嬢と結婚。なんて甘い夢を見ているんじゃないか、あのバカは」
いや、まぁ確かにその通りかもだけど、そうあからさまに口に出すのはちょっと。
「そのために、ワタシが邪魔なんだろう。良一は今、ワタシの言う事しか聞かないし、ワタシは教師に敬意は払うが信頼は置かないからな」
その通り。
詩乃美にとって教師という存在は、身近な大人・社会人ってだけ。無条件に従わないとならない、なんてことは考えない。
詩乃美に常識を教えた小学校教師にしたって、飽くまで人格者として個人を認めたわけで、教育者という立場を尊敬したわけじゃない。
「三門教諭は、適当な不祥事で生徒とその親を脅すところまで行っている。はっきり言って、もう救いようがない」
わたしが言うと、詩乃美は大きく頷く。
「このまま行けば退学だけじゃすまない少年院行きだぞ、とまで言ってるからな。アレはどう見ても教師の態度じゃない」
そのことは薄々わたしも知っている。
ただあの男は、やってもいない罪をでっち上げる、までは行っていなかったから、関係無い生徒の立場で無理に告発しようとは思わなかったけど。
「もしかして、加賀美君サイドにはもうその手の脅しを…?」
ささやかなことまで揚げ足をとっているなら、もうそのくらいはしていてもおかしくない。わたしが知らない間に、加賀美君にちょっかいを出してたんだとしたら。
「当たりだ、こっちはほとんど捏造で、まったく相手にされなかったらしいがな」
うわぁ。
天下の加賀美グループCEOに、教師の立場を利用して脅迫?
「脅す相手を完全に間違えたな。あそこの家は、あれでなかなかシビアなんだぞ」
だわね。わたしも加賀美家の人々のことは多少ながら知っている。
「もし良一が逮捕されるようなことがあったとしても、冤罪でない限り優秀な弁護士をつけて終わりだ。自分のケツは自分で拭けと、余計な庇い立てはしないだろう」
全くその通り。
「あの男、破滅したいのかな」
「もうしてるさ。自覚がないだけだ」
「教育委員会はなにをしてるの。表沙汰になったら、教育界筋全体の大問題になるでしょうに」
「だからこそ下手に手を出せずにいるんだ。会社の機密情報を漏らすような脅しをしてると言ったろう、表沙汰になった時の影響が、ただの一教師の進退に留まらなくなってるのさ」
なんと。
「加賀美君自身は、それ知ってるの?」
「もちろんだ。入学直後から、あの手この手で擦り寄ってこようとする三門を鬱陶しがっていた。校長や理事に掛け合って、あの男が良一の――いや、我々とは直接関われないように担当や授業の調整をしてもらったくらいだからな」
あの先生が、今年の二年生とはあまり接点がないのはそのせいなんだ。
「なんであんな男が、生活指導なんてやってるのよ」
「裏カジノと違法店の嬢にハマる前は、実に真面目で優秀な教師だったそうだ。それこそ一昔前の熱血指導を地で行く仕事っぷりで、不良の劣等生だったのに彼の指導で更生して大学に合格できた生徒も多かったと聞いた」
それは…また、随分な転落っぷりで。
「ヤバい系の遊びとオネーサマにコロッと落ちて、最早這い上がるのは無理ってことか」
「同情はするが許容はできんな。結局は自分の行いだ」
あの男に恩義を感じているであろう先輩方には、つらい結果になりそう。
翌日から、学校では職員会議で自習になる授業が増えた。
そして週が明けた日、その知らせはオンライン朝礼で知らされた。
【この度、長らく我が校にてお勤めくださいました三門先生が、一身上の都合によりおやめになる事になりました。生徒の皆さんは今までの…】
教室の画面では校長先生が、つるりと禿げた頭に汗を浮かべながら全校生徒に長年勤めた教師の退職を告げている。
こんなことは本来滅多にあることじゃない。退職するにしても、本来なら三月の年度末までは待つのが定石なのに。
やっぱり、当初の想定を超えた騒ぎになったみたい。
「在職中に逮捕されるようなことがあれば、学校としてもマズい状況だからな。裏取り捜査が進んでいる最中に切り捨てたんだろうよ」
現在三門は恐喝と違法賭博、更には横領に強奪と、わたしが知ってた以上の罪科で捜査中。かなり証拠も上がってるので有罪は免れないと思う。
無事に戻ってきた真庭先輩の夫婦双晶を膝にのせて、詩乃美が晴れやかに笑っている。
「三門に脅されてた生徒とその親には、なにかフォローしたの?」
今回の騒動でわたしが動いたのは、三門の周囲と彼らがどこの機密情報を悪用しているのかの検証だったから、涙を呑んだ被害者たちの行く末までは見ていない。
そこは詩乃美と加賀美君に任せたんだけど。
「脅されてとは言え外に出してはいけない情報を出してしまったんだからな。それなりのペナルティは仕方ない。だがまぁ、できる限り穏便な処置で済ませるように手配した。ただし、万引や飲酒喫煙で脅されていた生徒たちには、ワタシからの釘を刺しておいた」
釘ねぇ。
この女が刺したって言うなら、下手に警察のご厄介になるよりおっかないことになってるんじゃないかな。
「あまりにも質が悪い者は、緑川警部に引き渡しておいたからな。ま、これで一件落着と言うところだろう」
「…水晶も戻ってきたみたいだしね」
本当に、どういう伝手と手段で取り戻したんだか。
「ああ、マヤっちのおかげだよ」
なんですと!?
「わたしが?なにをしたんだっけ」
「おいおい忘れたのか。三門がよく出入りしている質屋を突き止めてくれたのは、マヤっちじゃないか。あんな危険物まで扱うアンダーグラウンドな店をよくまぁ特定してくれたものだと、ワタシは感心しているんだぞ。さすがだな」
「…それほどのことじゃ」
パソコンで調べた事を深堀りすれば、大概の情報は手に入る時代だからね。
まぁ今回は色々ヤバい筋も絡んでたから、慎重且つ正確性も必要で、久々に本気を出したけど。
「どこぞに転売される前に乗り込めたのは幸いだったよ。三門の状況を教えてやったら、あっさりと返却に応じてくれたしな」
正直そこが謎。ああいう店が素直にブツを返してくれる訳がない。
でも詩乃美曰く、金は一切使っていないとのこと。
「どんな形であれ、金銭を介したら実験の主旨に反するだろう」
ですってさ。
「ところで、あの男が入り浸っていた賭博場とクラブはどうなったの?」
そっちも気になるけど、こっちも気になる。
「ああ、裏カジノと天使ちゃんな嬢がいる違法風俗店か」
言い方!
「三門に捜査が入ったことで、とうとうそっちにも司法の手が伸びた。どっちも潰れたよ、と言いたい所だが、ガサ入れ前に看板を下ろして潜っただけだ。まぁ、来年あたりどこかで別な店名を掲げて再オープンするんじゃないか」
そっか。ああいう業界ではよくある話だわ、やっぱりそうそう綺麗にはならないね。
「ただし、稼ぎ頭だった天使ちゃんは、新規オープンには間に合わないだろうな」
「へ?」
「天使ちゃんは客と店を舐めすぎた。聞けば銀座に店を持つのが夢とかほざいて、店の勧告も聞かず客をつかんでは限度を超えて貢がせまくっていたようだ。おかげで破滅した男たちが山積みだ」
三門もその一人ってことか。
「かなり違法な店だけに、遠慮なく巻き上げていたみたいだな。もちろんそれなりにいい思いもさせていたんだろうが、限度ってものがある。今回の騒ぎも、元はと言えば天使ちゃんの無茶な営業のせいだしな、あれでは銀座どころか場末のホステスでも長続きしなかったろうよ。」
玄人の世界って、シビアだわ。
「で、彼女は今どうなってるの?」
「店を閉める際、嬢たちはつなぎを取れる状態で解放された。だが天使ちゃんは支配人を誑し込んで、店の売り上げまでガメていたのがバレたそうだ。当然かなりキツイお仕置きをされたらしいな」
「…」
「ああいう連中は女だからと容赦はしない。命こそ助かったようだが、人前に出れる姿かどうかはわからん」
完全に自分が所属してる組織を舐めてかかっていたんでしょうね。〝裏〟が付くような店を経営してる連中が、まともなわけないのに。
「ついでに言えば、裏カジノに三門を引っ張り込んだ友人とやらは、行方知れずだそうだ」
「!!」
「思っていた以上に裏組織にどっぷり漬かっていたようだな。泡を食って逃げたようだ」
逃げたって、行方知れずって、それは。
「…もしかして、組織の金をちょろまかしてたのがバレたとか」
「さすがマヤっち、よくわかってるじゃないか」
逃げきれるかなぁ。
しかしそれにしても。
「そんなにお金を掠め取られてて、その組織って大丈夫なの?」
「さて、そこは実力次第だな。まぁ、フロント企業は他にもあるだろうし、盗られたカネなんぞせいぜい一か月分の売り上げ程度じゃないか」
「お金が絡むと、本当に怖いと言うか、面倒くさいと言うか…」
どうしてみんな、ソレで命までも賭けるんだろう。
「だから言ってるだろう、この世のありとあらゆる文明の恩恵は、カネによって循環しているんだ」
「…」
「ワタシの実証実験にマヤっちがいい気分を持っていない、なにバカなことを、と溜息を吐いていることもわかってる」
気づいてたのか、まぁ、当然ね。伊達に長い事一緒にいたわけじゃない。
「マヤっちに苦労を掛けていることも重々承知しているが、それでも敢えて頼む。この実験に協力して欲しい」
「…」
「人が命を懸けているのはカネか、それとも人類が生み出した技術や技能なのか。衣食住を始めとした生きるために必要なもの、必要はないがなくてはならない物」
詩乃美の言葉に、ふざけや遊びはない。
「カネという仲介点を無くした時、それらはどうなるか。徹底的に検証したいんだよ、ワタシは」
渡瀬詩乃美の怖い所。
それは無茶苦茶な理屈を、物凄く高尚な目的と理想に変えてしまうという、訳のわからない強引さだ。これのせいで、何人が生き方を変えられたか知れやしない。
でも、多分。
その最たるものは、恋人になった加賀美君と――このわたし。
詩乃美に出会ってなかったら、自分にこんなことが出来るなんて思いもしなかった。それがどれほどあったことか。
本当に、一度知ったら病みつきになるっていう点では、この女はギャンブルや麻薬より質が悪いわよ。
一緒にするのは悪いけど、天使ちゃんといいコイツといい。
平穏から危険へ堕とすのは悪魔じゃないわね、きっと。




