挿話2 逆風のロンド
娘がなにかを始めたってことは知っていた。まさかそれが、冗談抜きで国際問題にまで発展するとは。
これだから、人生って奴はは面白い。
昔、俺の生き方を激変させてくれた人に言われた。
「この世は結構面白い事が多いんだよ。でも、それは最初はただの種だ、育ててどんな花や実をつけるのかを確かめてこそ楽しめるんだ。物事を斜めに見ていたら、そういう楽しめる種を見逃してしまうよ」
ああ、本当にその通りだよ。
この世には、退屈せずに生きるための種がわんさかある。けど、そいつらが芽吹いてくれるかどうか、そして、どんな形に育ってくれるかは、最後の最後までわからねぇんだ。
俺自身の種は。
あんたがこの世を去った瞬間、どこの誰よりもおぞましい毒を持って花開くことが決まっちまったんだ。
初めてあんたが俺の所へ来た時、ひねくれてはいても毒なんぞ持っちゃいなかったんだと、今なら分かる。俺はただの、本当にただのガキだったんだ。
「はじめまして。話は聞いているよ」
あの、なんの苦悩も感じさせない穏やかな微笑み。
国内最高学府でも上位の学生、なんて聞いてたから、てっきりグルグル眼鏡のお固い野郎とばっかり思ってた。ところが現れたのは、どこまでもふんわりした優男。
「今日からよろしく、渡瀬中也君」
コイツが日本中でも指折りの大富豪、その御曹司だなんて、言われたって事実とは思えなかったな。
そんな彼が、どうして俺にかかわることになったのか。
信じられねぇだろうが、なんと俺の家庭教師として迎えられたからなんだ。
とは言っても、教わったのは国語算数理科社会じゃねぇ。
俺は、あの人に普通の生活をするためのノウハウを教わった。もっと具体的に言うと、一般的な小・中学生の在り様を習ったんだ。
我が家は、戦国時代から細々と忍び家業を営んできた一族だ。
ただし、本当に一つ家系のチンケなモンで、伊賀だの甲賀だのと言った、里ごと丸々の大手とは雲泥の差だ。
その分、依頼者の是非を選ぶこともせず、かなりえげつない仕事もやりこなして、法外とも言える報酬を分捕ってきた。
江戸時代、お家騒動あるところ渡瀬あり、みたいな評判を取っていたとかいないとか。
その辺は、部外秘ってことで勘弁してもらいてぇな。下手に先祖のやらかしをばらすと、歴史の教科書に、またうるさい物言いがついちまいそうなんでな。
今の世に、ウチみたいな代々続くヤバい家は必要ない――とは、言えねぇところが辛いよな。いやむしろ、現代だからこそ絶対に必要、って場合も多い。
忍びだのなんだのと言っても、つまるところスパイ行為なんだからよ。
だた、だからこそ、時代とともに仕事内容も変えていかにゃならん。
戦国や江戸の世なら簡単に暗殺に走ったらしいが、明治の中頃からは国の体制が整って、司法が大分うるさくなったせいもあり、主に情報収集がメインで、実際に息の根を止める案件は滅多に受けなくなったらしい。
もちろんその手の訓練は欠かさねぇし、やるとなったら殺しも含めて非合法なアレコレを躊躇なくこなす。
ただ、直接的な手法より、頭を使った間接的な方法を取る事が増えた
例えば、ターゲットの周囲を調べて、恨みを持つ誰かをそそのかす。寄っかかっている組織に働きかけて、飼っている不利益に気づかせてやる。
そういうので、案外あっさり事は済むんだ。
でねぇと、こんな家内制手工業みてぇな組織は生き残れねぇ。
現代となっては、誰それを消せ、といった仕事が来たとしても、命を奪うより社会的立場をぶっ壊す方に重きを置いている。その方がなにかと都合が良いしな。
本当に弾をぶち込んたり刃物を振るうような仕事は…まぁ、無くもないがってところだな。
そういうちょっと特殊な家系に生まれた俺は、義務教育期間であったにもかかわらず、ほとんど学校には行けない日々を過ごしていた。
それに異を唱えたのが、当主だった俺の祖父。
世間からほとんど切り離されて育てられるはずの子供に、なんと中学受験を薦めたのだ。
正直、俺は辟易した。
別に勉強が嫌だったわけじゃない、むしろその逆だ。当時の俺は、十歳そこそこでありながら、大学受験を楽々突破できるくらいの知能と実力を備えていた。
だが、祖父が言うには。
「もう陰に隠れるだけではやっていけん。本当の仕事と表の職業、両立させてこそ、これからの時代を乗り切っていけるのだ」
ということだったが。
俺は知っていた。当時祖父はとある時代劇にハマってたんだ。
表向きは同心だの何でも屋だの職人だのを営みながら、裏では晴らせぬ恨みを晴らす冷徹な殺し屋たちという内容で、結構人気を博し、後々までシリーズが何作も作られた。
自分もその気になれば同じようなことができることに気づき、乗っかりたかっただけに違いない。
で、既に成長を終えて可愛気が無くなった――いや、自分の趣味を理解してくれそうにない息子より、まだなんとでも指図できる孫に託したんだろう。
まったく傍迷惑な。
やりたきゃ自分でやれ、と俺がじじいの内心を暴露してやると、自分は既に取り掛かっていると自慢気に宣言しやがった。
真面目に家業に取り組んでいた親父を交えて、家庭内大バトルが勃発したのは当然だろう。
結果は、ばあちゃんとお袋の勝利だった――なんでだ?
顔中あざだらけにしたじいちゃんと親父と俺を正座させて、最強の女二人はこんこんと説教をかましてくれたのだ。
あれは未だにトラウマだ。
ぐうの音も出ない正論ではあるのだが、どうも納得できない。そんな理屈でもって俺たちを追い詰めるのが女だと、心の奥底に刻み付けられちまった。
おかげで、と言ったらなんだが、俺は、長い間独り身を貫くことになる。今の嫁に出会うまで、まともな恋愛すらできず、後腐れのない関係をちょいちょい繰り返すだけだった。
いや、単に面倒くさかったってのもあるが。
それはともかく。
ばぁちゃんもお袋も、俺はまともに進学するべきだという意見で一致した。
じいちゃんみたいな趣味で言ってるんじゃない。今後の時世と家業の兼ね合いを思えば、堂々と表社会で生きるスキルを身につけなければならないと、冷静に判断した結果だ。
そのために必須なのは、堂々と披露できる学歴だ!と、声高に唱えられてしまえば、反論のしようもなかった。
とにかくだ。
渡世人や無宿者がうろついていた時代はもう遠い。現代では、例え極道であってもしっかりした戸籍と、表に出すための立場が必要ってことだな。
まぁ、俺も一応同意はした。
実を言えば、普通に学校に通いたかったというのもある。なにしろ、表向きは親戚筋が経営する私学に通っていることになっているが、まったくの架空。
勉学は学校ではなく、家業の一環として習得させられた。おかげで厳しいこと厳しいこと。十かそこらで、大学入試問題をやらされるんだから、そのイカレ具合が分かろうってもんだ。
しかし、ここでちょっとした問題が出てきた。
こんな状況で育ってきた俺は、気づかないまま世間とはだいぶズレた子供になっていたワケだ。
改めて同年代の子供連中と学校生活をさせようとなって、ようやくその異常性を自他共に気づいたのだが、じゃあどうすりゃいいんだという具体的な解決方法はなかなか浮かばない。
爺さんや親父たちはそこそこ大人になってから世間へ出たので、周りに同年代のガキばかりという環境は想定外だったようだ。
婆ちゃんやお袋は普通の子供時代を過ごしていたから、そこへ俺みたいなズレまくった男児が混じった場合のドタバタをある程度は予測できた。
で、ウチの家族だけでなく、分家の連中までをも巻き込んだ一族総会が開催され、大激論の末に、俺は
取引先の息子による生活レクチャーを受けることになったのだ。
そして、彼は俺の前に現れ、様々な世間一般の子供について教授してくれたのだ。
正直に言おう。九ミリ拳銃の射撃訓練より、スーパーマリオをクリアする方が大変だった。一撃で相手の関節を外す技より、ルービックキューブの方が難しかった。拷問を耐え抜く訓練なんて、泥ケイの心理戦に比べりゃ羽根のくすぐり合いだ。
世の小学生とは、これほど過酷なノルマをこなさなきゃならんのかと、目からウロコがボロボロ落ちたもんだ。
その感慨を語れば、男親たちは感服の溜息を吐き、女親たちは頭痛をこらえる仕草をされた。
半年余りの苛酷な修練の結果、俺は五年生から小学校に転校生として潜り込み、中高大学までの一貫校に入学を果たして、大学卒業という経歴を手に入れた。
しかし、本当の転換。そのきっかけになったのは、誰あろう俺に〝普通の子供〟を教えてくれた彼だった。
「きっと君は誰よりも人の命を大事にしてるんだね」
そう言われた時の、俺の驚きをわかってもらえるだろうか。
大事にどころか、率先して刈り取っている稼業に生まれついた俺にむかってだぞ。
「あるわけないだろ、そんなこと」
呆れて言い返せば、ノホホンを絵に描いて額縁つけたみたいな笑みを浮かべて、あの人はおれに告げた。
「世の中のほとんどは、死を知ってるようで知らないものさ。あの戦争中でも、実際に頭上から爆弾が落ちてくるまで、厄が自分自身に降りかかって来るなんて思わなかった人がほとんどだったそうだよ」
彼自身は戦争を知らない。けれど、彼を育てたのは、戦地で泥土を這いまわったり空襲の炎から逃げ惑った経験を乗り越えた人達だった。
「だからね、命がどれだけ簡単に消えてしまうか、それを肌で知りながら見捨てない君は、とてつもなく優しい人なんだよ」
「ワケわかんねぇょ、俺は自分が死にたくねぇから生きてるだけで、殺すのは必要だからだ」
それ以上でも以下でもない。
「そんなのもったいないよ」
普通なら顔色変えて怒ったり怯えたりする場面で、あの人はにっこりと笑う。
「嫌いな奴をあっさり殺すなんて、本当に君は優しいね。僕だったらそう簡単には死なせないからねえ」
思わず、えっと声を上げてしまった。
「死なせちゃったらそこまでじゃないか。もう苦しむことも哀しむこともない」
それはそうだが。
「僕はね、虫酸が走るほど嫌いな奴には、できる限り苦しんで欲しいんだ」
「…」
「でもって、そいつがいっそ死にたいと嘆きつつも死ねなくて、のたうち回るところを見たいんだよ」
こいつは…。
そこでようやく理解した。この男は根っからのサディストだ。
見た目も普段の行いも、大体がほんわかした空気をまとっているが、その実自分の手がどれだけのことをやれるか、虎視眈々と機会を狙っているんだ。
まるで、猫科の猛獣だ。
一旦甚振りモードに入ったら、相手が死ぬか自分が満足するまで容赦ないだろう。
そしてもし、飽きが先に来れば、あっさり一噛みでとどめを刺すのだ。
今、俺には随分年下の嫁と、息子と娘がいる。
家を継がせるのは息子で、そのための教育も継承もほぼ済んでいるのだが。
どういう訳か、我が家の素っ頓狂な血筋が、娘の方に出ちまった。
百年も前なら、長男を差し置いて長女を跡取りにしていたんだろうが、この現代ではそれは無理ってもんだ――普通と逆だな。
俺の代から必須になった高学歴取得だが、まさか、次代から天元突破するとは思いもしなかった。
見た目穏やかで世の常識を弁えている長男は、現在理工学系で研究三昧の大学院生。博士号収得のため、白衣着て実験・論文の無限ループを繰り返している。
そんな表の顔を保ちつつも、我が家が代々続けてきた稼業もきちんとこなしている。
俺にとっちゃあいっそ羨ましいくらいの出来物だ。
だが、そのせいかどうか知らんが、一度敵認定して排除対象にしたものについては、事情を知る者すらドン引きするほどの苛烈さを発揮するんだ、これが。
家長とは言え、半分引退してる俺が知ってるだけでもかなりのモンだ。陰で息の根を止めた実績なんざ、数える気にもなれねぇよ。
文字通りお命頂戴した奴もいれば、社会的に抹殺された奴もいる。だが、そいつらと息子は全く関わりのない他人、或いは到底手が出せるような状況にはなかったと、公に判断されている。司法の目や手が向くことは絶対にあり得ねぇときたもんだ。
それどころか、裏家業とは真逆の組織に助力までしてやがんだからな。一体コイツはなにを目指してるんだか、我が子ながら謎だ。
だがまぁ、今の世の中そのくらいの方がいいだろう。
だから、息子に関しては心配は一切無い。今だって、家業の半分以上はあいつに押し付け――いや、任せてるんだからな。本当に、大丈夫なんだ。
つまんねぇの。
娘は曲者揃いの親族が泡を喰うほど、あれやこれやとやらかしてくれるのに、息子は逆にこっちが説教をかまされるほどなんだからな。
俺がずっと欲しかったのは、てめぇの息子からのじゃなく、あの人からのお叱りだってのによ。
ままならねぇもんだ。ウンザリするのに、つい聞き入っちまうのは、あの人の声や話し方にソックリだからだ。
血は遠いってのに、なんでそうなるかねぇ。




