9.燦然と安寧
日本の外務省が正式に歓迎の意を表している外国王族に、どこまで喧嘩を売って良いものなのか、誰かご教授願います。
と言っても、応えてくれる人物なんていないんだろうな。――いたらいたで、問題ありだけど。
詩乃美が張り切りモードに入る時、それは新たな騒動の始まり。
「さて、まずは返信メールだな」
そう言って、ものすごい勢いでキーボードを叩き始めた。
「詩乃美、送る前にチェックさせてよ」
果たして、気遣いとか謙遜とかがズレまくっている人間が作成したメールを、そのまま送って良いものか。いや、絶対にマズいって。
「あ、スマン。もう送った」
ひえぇっ!
「こ、こっちにも寄こして、早く!」
ポン、と着信音とともに届いたメール。
一読して、意味を理解するまで約一分。
「おいマヤっち、どうしたしっかりしろ。すごい音がしたが、大丈夫か」
大丈夫なわけあるか!
「頭突きの練習なら、机よりサンドバックの方が良いぞ」
「…」
いっそ頭からサンドバッグに激突して記憶を消したい。
「詩乃美、あんた戦争でも起こす気?それとも日本がまたオイルショックでパニックになるのを見たいの?」
石油の輸入が停まったら、この世がどうなるかわかってんのか、この女は。
「どちらも楽しそうだが、まぁやめておいた方が無難だろうな」
「楽しくなぁい!無難ってわかってるんなら、なんでこんな脅迫文めいたメールを送るのよ。いや、見ようによっては宣戦布告よ、これは」
「なにを言う、ワタシはただの高校生、しかも未成年だぞ。国家を代表して宣戦布告など出来る訳ないだろうが。コレはただの抗議文だ」
「そういう問題じゃない!大体、抗議を伝える文書にどうして爆弾だのミサイルだのが出てくんの」
「ただの比喩表現じゃないか。それに、こういうことはインパクトが大事なんだ。それでなくともこっちは立場が弱いんだからな、言い分を聞かせるためには多少なりとも過激にいかないと、舐められて終わりだぞ」
「舐められてる方がまだマシ。相手は戦争上等の地域から来ているVIPなんだってば、あのボディーガード達はマジモンの戦闘員で、いつ実戦が始まってもおかしくないのよ」
「そんな気弱な事を言っていたら、この実証実験は成り立たん!アメリカ国歌だって、砲弾の飛び交い炸裂する中で、それでも燦然と翻る星条旗を称えて歌い上げているじゃないか。毅然とした態度で当たらなければ、向こうの下らん価値観で実験が台無しにされかねないんだぞ」
独立戦争の勇躍と個人の趣味を同一視するな。
「ここは日本で、我が国の国歌は愛と平和の永久を祈ってるの。大体アンタの実験は、交換主の価値観を検証するためでもあるんでしょう」
「日本国歌が長寿と安寧を祈念する唄だいうことは認めるが、昨日も今日も明日も平らかなばかりじゃ進歩というものが無いんだぞ。時には全てを賭けた運試しも必要だ」
いや国歌ネタはこの際どうでもいいのよ。
て言うか、アンタはしょっちゅうその手の大博打を打っては、周囲を引っ掻きましてるよね。しかも賭けネタは自分の持ち分だけじゃないし。
大体、平穏をぶっ壊そうとするような行動は慎んでもらわないと困るのよ、色々と。
確かにあの王子様の価値観は特殊だが、それはそれで受け入れるべきだと思う。
「それはそうだが、ワタシが懸念しているのは、あの王子が自分の物と国に帰属している物との区別が曖昧な点だ。送られてきた交換品のリストを見ると、外国要人への贈答品がかなり混じってるんだ」
それは、確かにマズい。先に伝えた禁止事項にも抵触している。
「それにだな、これはワタシの私見かもしれんが、基準が王子の現妻たちなんじゃないか」
ああ、確かに。
現物はいかにも女性が好みそうな贅沢品が多いし、それ以外でもデザインが女性向な物ばかり。
けれども、それはそれ。対応のまずさと過激さは、ほどほどに抑えておかないとヤバいって。
「とにかく、さっきのメールについてはすぐに訂正とお詫びを――」
遅いかもしれないけど、なんとかフォローをとPCに向かった途端、スマホが派手に鳴り響いた。
「――はっ、はい、もしもしっ!」
画面に表示された発信先名を確認すると、外務省の通訳さん。慌てて応答すると。
『和田さんですか。先ほど渡瀬さんからのメールを受け取りましたが――なんですかあれは』
「は?受け取ったって、あの、王子様宛じゃなかったんですか?」
『外交の賓客に対する連絡を、直通にするわけがないでしょう。お教えしたアドレスは、私どものものです。いったんこちらで精査した後、領事館なり大使館なりの公式アドレスへ転送する手はずになってるんですよ』
知らず、大きな息が漏れた。
「よ、よかったぁ。あのとんでもメールは、まだ王子様サイドに読まれてないんですね」
『ええ、確かにわたしどもの所で止めてはいますがね。しかし、なんですこりゃ、喧嘩を売ってると言うより、最早呪いかなにかの域に達してますよ』
「すみません、すみません。ウチのアレは悪意があるわけじゃ――いえ、多少はあるかもですが、決して悪気ではないと言うか、あの子なりの真面目さと申しますか…。いえ、つまりはですね」
『…わかりました。貴女に文句を言っても始まらないことは、重々理解していたはずでしたが、すいません、渡瀬さんに連絡しても話にならないもので、つい」
一体いつ詩乃美個人と話をしてたのよ。
『このメールはこちらで消去しておきます。渡瀬さんには今後――』
「おう、わざわざ電話してくるとは、役人にしてはマメじゃないか」
突然横からスマホがひったくられた。
「し、詩乃美、なにを」
こっちの驚愕と戸惑いを他所に、詩乃美は滔々と外務省お役人との会話を進める。
が、その内容ときたら。
「メールはきっちり訳して転送してくれ――なに、どうして無理なんだ?そんな弱腰でかかれば余計に話がこじれるぞ、ここはあの勘違い王子に一発ガツンとかますところだ。――だから向こうが図に乗るんだ、いいか、次はそちら経由じゃなく、王子の個人アドレスに直接送るからな。――あのな、知らないわけがないだろうが。今回先にそっちへ届けたのは、一応筋を通したという体を取ったにすぎん、本来お役所仕事に気遣ってやる義理もないってことがわからないか。――おいおい、コレはワタシの個人的実験なんだぞ、別にどこかから報酬やら予算やらをもらってやってるわけじゃないんだ、なにをどう進めるかなんていちいち誰かの指示を聞く義理はないね。ああ?外交ルートの優位性なんてもんを一介の女子高生に求めるなんざ、どうかしてるぞ。ふん、結局自分の出世欲か」
うわぁぁ!
外務省のあの人は、決してやっちゃいけないことをやってしまった。
「いいだろう。そこまで言うなら、お望み通り王子の〝ご希望〟の品をやり取りしてやろうじゃないか。ただし、その後どうなるかは知ったことじゃないからな。せいぜい首を洗って待っているがいい」
ぽん!と、通話終了のボタンは押されてしまった。――って、それわたしのスマホ。
「マヤっち」
にやぁぁ、としか表現のしようがない嗤いを浮かべた魔女王――じゃなく、我が幼馴染。
「な、な、なにかなぁ」
いかん落ち着け。
ここで取り乱したら、事がますます…どうなっちゃうんだろうなぁ。
「外務省から直々のご依頼だ。ここは遠慮なく実証実験を行わせてもらおうじゃないか」
いえ、少しくらいは遠慮してください。
「いくら極上品とは言え、世界に二つとないってわけでもない石コロにここまでの価値を付けて下さるんだ。こちらもそれなりの誠意をもって当たらないとな」
誠意=大騒動のタネってのが、渡瀬詩乃美の真骨頂なのは、わたしがよーく知ってる。
「詩乃美、一応言っとくけど、あんまり世間を騒がすような――いえ、外務省をひっくり返すようなことは、やめておいた方が」
「おいおいマヤっち。ワタシはたった今、その外務省からケンカを売られたんだぞ。ここは最高額で買ってやらねば失礼ってものだろうが」
「で、出来れば最終特価のバーゲン価格にならないかなーって」
「ならん!更に色を付けて大盤振る舞いだ」
ああああ…。
この恐怖の売買を止められる。いや、多分絶対どう考えても、無理。
「わかった、わかったからちょっと待って」
ここで止めなきゃ、マジでヤバいわ。
仕方ない、あの通訳さんには色々思い知ってもらおう。
外務省の通訳さんからの連絡が、再びわたしのスマホにかかってきたのは、翌週のこと。
彼はわたしが電話に出ると、開口一番詩乃美が側にいるかいないかを問うた。
「今はわたし一人ですよ、他にほかに誰もいません。で、なにがありました?」
【なにって、和田さんはご存知無いんですか】
「ご存知ないです。詩乃美がああなっちゃったら、もう止める術なんてありませんからね。できるのは、やりすぎないように目を光らせてるか、なるべく早く事を済ませるようにするかの二択です」
今回の場合は、その両方。おかげで匙加減が難しかったのなんの。
わたしの言葉に、通訳さんは絶句した。
そして、しばしの沈黙の後、とにかく一度会ってほしいと申し込まれ――いや、懇願された。あー、こりゃ大分やられたわね。
大分愚痴られるだろうなあとウンザリもしたが、放置するのもなんだかマズい。仕方ないので、翌日時間を取ることにした。
そして、次の日。学校が終わってから、制服のまま待ち合わせ場所へ向かう。
駅前のファーストフード店で待ち合わせるお役人と女子高生。
通訳さんはもっとこう、大人な人たちが集うようなお店にと言ったんだけど、そんな所へ制服とスーツ姿で待ち合わせたら、周囲にどんな目で見られるか。
とは言え、現れた外務省通訳さんの憔悴っぷりに、これはどこで待ち合わせても妙な勘繰りはされそうになかったなぁと思う。
「お待たせしました。お元気そう、ではないですね」
一応挨拶はしたものの、相手はそれどころじゃないとばかりに口を開く。
「どうして渡瀬さんを止めてくれなかったんですか。…目を光らせてたんじゃないんですか」
「ちゃんと見てましたよ。余計な所にまで波及しないように、犯罪行為にまで行かないようにって」
「そんな…じゃあわたしがどうなっても構わなかったって言うんですか」
「あのですねぇ」
そもそも詩乃美を怒らせたのは誰よ。
「こう言ってはなんですが、貴方詩乃美をご自分の実績づくりに利用しようとしてたでしょう。まぁそれだけならいいんですけど、あの娘のやることを自分のいいようにしようとして、大人だからって上から目線で命令口調で対応してたじゃないですか」
「…いや、それはそうでしょう。貴女方のような未成年は、ちゃんとした大人の指導を受けるべきです」
あーあ、それが一番の間違いだっての。
「それですよ、それ。自分が〝ちゃんとした大人〟だって自負する人ほど実際は〝ロクでもない年配〟だっていうのが詩乃美の意見なんです」
実際はもっと酷い言い様だけどね。とてもじゃないが、わたしの口からは言えない。
通訳さんは、もんの凄いしかめっ面に一瞬なり、次いで死にかけの魚みたいな目でうつむく。
「わ、わたしはこの国の、引いては貴女がたのためを思って…」
あー、〝ナントカのため~に〟だの〝ナニナニなんだから~しなさい〟は、詩乃美には逆効果そのもの、はっきり言って地雷だわ。
「その結果、どうなりました?」
「…職場での評価は下げられ、上司からは叱責され、妻が…出ていきました」
「貴方、相当やらかしてたですからね」
こちらの調査能力を舐めてもらっちゃ困る。普段はおくびにも出さないし、好き好んで誰かや何かを探る事はないけど、一旦探索モードになれば、それこそ下着のメーカーからよく買うコンビニ飯まであっという間に調べはつくんだから。
この通訳さんが行っていたアレコレは、裏も表も洗いざらい調べつくした。そして証拠付きでしかるべき所へと届けてあげたわ。
そう、実際に鉄槌を喰らわせたのは、このわたし。
止められないんだもの、ああなった詩乃美は。
出来たのは、代わりにわたしがやるからって提案だけ。
そりゃ気は咎めたけど、わたしじゃなく詩乃美が直接手を出してたら、この男は今頃こうしてまともに外出できるかさえ危うくなってたはず。
言わないけどね。
「そんな、誰だってやっていることだ。外務省という処は、他とは違う対応が求められるに決まっているだろう。関税に関する情報だって、優遇されてしかるべき企業も個人も多い。そ、それに、あの女はその筋のプロだ、変な素人女を相手にするより安全じゃないか」
慈悲のかけようもないわね。
これは詩乃美に好き勝手やらせてたら 、外務省そのものが醜聞で上を下への大騒ぎになっていたかも知れない。
政府機関にちょっかいを出すのはさすがにさせられない。
「第一、あのくだらない交換実験なんてものをやる方がどうかしているんだ。外国の要人が欲しいと言っているんだから、無償で融通するのが筋だろう!」
前半はともかく、後半についてはさすがにわたしも眉をひそめてしまう。
この男、思ったよりゲスだった。
「で、それをただの女子高生であるわたしに言って、どうしようっていうんです」
わたしはアンタの上司でも女房でもないっつーの。
「…君は渡瀬詩乃美に唯一意見できる人物だと聞いた」
へーえ、誰よそんなこと言ったのは。
「それで?」
「頼む、これ以上告げ口をしないよう――いや、デタラメを上司に言わないように、妻に余計なことを吹き込まないように、君から」
あーあ、完全に口調が崩れちゃってる。
お偉い外務省の職員サマが情けないったら。
「これ以上って、もうこれ以上は無いと思いますよ」
「え、そうなのか」
「もうやらかしは全部提出済ですから。あ、奥さんに対してはその筋の弁護士さんとか紹介しますか?」
「――!、――っだぁからっ!」
「ご出世はもう絶望的かもしれませんけど、奥様との結婚生活はワンチャン修復の可能性があるんじゃないですか?女性とはきっぱり縁を切って土下座すれば、なんとか」
「無理だ…出世コースから外れた俺を、妻が許すはずがない」
あ、そっちなんだ。
「世知辛いですねぇ。玉の輿狙いの人ですか?」
「いや、妻は外務省でも上層にいる人の娘だ。義理の父も上昇志向の高い人だから、つまずいた者になど見向きもしない」
うっわ、そういうのって疲れそう。
「それで、殺伐とした夫婦関係に疲れて浮気した?」
「高校生がなにを言うんだ。大人の苦労も知らんくせに」
そういう問題じゃないでしょうが。
「その高校生にやっつけられて、更に別の高校生に救いを求めてる人の台詞ですか」
いやホントはどっちもわたしなんだが。
「――あの女は、便宜を図ってくれと差し出された玄人だ。どこからも誰からも文句の出ない、完全に同意の上での関係なんだ、だから」
「最低!こういう大人がいるから、アホな子たちがパパ活とかに走るのよ」
思いっきり顔をしかめてやると、通訳さんはガックリ俯いてしまった。
しかし、真っ昼間のファーストフードでする会話じゃないわね、これ。誰か聞き耳立ててなきゃいいんだけど。
「俺は、俺は悪くない…。一晩だけで済ませようとしないあの女や、自分たちの利益しか見えていない企業の連中が悪いんだ」
あー、はいはいソウデスカ。
もう出世がどうこうって言うより、お役人として残れるかどうかってところまで来てない、この人。
「だが、それとは別に、あの娘の実証実験とやらをなんとかしてくれ。親日産油国の王子相手に、とんでもないモノを交換品として指摘してきたんだぞ」
!!
ついに来た。
いずれこういうことになる、とは思っていたけど。
「とんでもないって、なんですか?」
通訳さんは、テ一ブルの上で拳を握りしめ、ワナワナと震えている。
「あ、あの娘は、あの娘は――」
はい、詩乃美はなにを要求したんでしょうか。
「あのエメラルドと同じ大きさの宝石を寄越せと言ってきたんだぞ!あんな大きな宝石がそうそうあるわけないだろうが」
「…はぁ?」
なにいってるんだ、この男は。
「あの、それって大きさだけなんですか?」
「そうだ、とんでもないだろう」
「いえ、別に。そりゃああの石は最高級エメラルドとしては破格の大きさでしたけど、同じ大きさだけでいいって言うんなら、半貴石とか、なんなら人造宝石でも構わないんじゃないですか?」
なにもダイヤだのルビーだのを指定したわけじゃない。って言うか、そのくらいの品なら、交換リストの中にもあったはずだけど。
「っつ、そんな…そんな訳が、ない」
「?どうしてです。詩乃美からなにか石の指定でもあったとか」
「いや、それはなかったが…。一国の代表が、そんなつまらない品を出せるわけがないと言うか、こちらとしても、それなりの、だな」
コイツは…。
「あのですねぇ、詩乃美がなにとなにを交換しようと、貴方には何のかかわりもないんですよ」
「それはっ…」
「たとえあの王子様が、国宝級のナンチャラを出してきたとしても、それは詩乃美個人の持ち物になるだけです。税金がかかるわけでも、お国が没収できるわけでもないってわかってます?」
「…しかし」
「なにより、どうせ次の交換品になるだけって、再三言ってますよね。それともなんですか、次の交換相手に貴方がなってくれるとでも?」
個人的には、あんまりなってほしくないな。それに。
「も、物によっては」
「難しいと思いますよ、あれで詩乃美は彼女なりの基準がありますから。貴方、かなり詩乃美の機嫌を損ねたようなので」
こういう勘違い系お偉いさん候補は、確実に詩乃美の逆鱗に触れる。出来れば、もう関わってほしくない。
「悪いことは言いません。これ以上貴方の生活や人生を壊されたくないなら、渡瀬詩乃美からは手を引いて下さい。職場での評価や奥様のご機嫌は、貴方自身が頑張ればまだなんとかなると思うので」




