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うさぎ、去る



「さてと、私もそろそろ行かないとね」

「えっ!」


 足下にいる白うさぎが急に言いだして、柚希は大いに狼狽えた。


「え、待って、え、……桃華、どこ行っちゃうの」


 泣きそうになる柚希を、桃華は呆れたように見上げた。


「どこって、成仏しにに決まってるじゃない」

「え、やだ、なんでっ」

「何でって。柚、あんたが言ったのよ。成仏しないと次の人生に行けないって」

「そうだけど」


 学校にいた幽霊に言った言葉だ。

 あの言葉にも、言ったときの心にも嘘はないが、それが桃華のことになると素直に頷けない。

 それが弱さだと分かっていても、目の縁に溜まる涙を飲み下せなかった。


「だって、もう? せっかく会えたのに」

「もうじゃないわよ。私が死んでから一年は経ってるのよ。私はね、あんたが心配で成仏出来なかったの。でももう一人でも大丈夫でしょ。自分の意思で生きていけるでしょ」


 桃華が死んで自分の存在理由が分からなくなった。

 でも、いまの柚希には桃華以外の生きたい理由が出来た。

 それでも泣き出しそうな顔の柚希を見て、白うさぎが腰に手を当てる。

 その仕草だけで柚希には自分と同じ顔の少女が呆れた顔で立っているのが目に浮かんだ。


(どうして中身が昴さんだなんて思ってたんだろう)


 こんなに近くにいた。いつだって気配を感じていた。ずっと守っていてくれたのに。


 太陽が、二つ並んだブランコの間から顔を出し始めた。

 曖昧だった空気がはっきりと目を覚まし出す。

 柚希も目を覚まさなければいけないのだ。桃華がいてくれる幸せな現実から。



「高坂翔」


 桃華が柚希の後ろに立つ翔を呼んだ。

 ここで自分に話しかけられるとは思っていなかったのか、翔が虚を突かれた顔をした。


「なんだよ」

「柚希のこと、頼んだわよ」

「……」


 即答を避けた翔を柚希は振り返った。

 この世以外のものまでも見通す彼の真っ直ぐな目が柚希を見ていた。

 力強さを秘めた綺麗な瞳。その中に自分だけが映っているような錯覚を覚えて、柚希は息を詰める。

 柚希が新しく生きたいと思うようになった理由。

 胸に込み上げてくるものがある。堪えきれず飛び出していきそうなその気持ちを、柚希はぐっと自分の内側に留めた。

 手放してはいけない、留めて積み上げて己を形作る糧とするのだ。

 柚希がしっかりと見つめ返すと、翔がふっと力を抜いた。

 強さと優しさと、それから何かが込められた苦笑。


「頼まれなくても、こんな危なっかしいの放っとけるかよ」


 どういう意味だ。

 文句を言いたい気もしたが、翔の声があまりにも柔らかかったので、柚希の口からは何も言葉が出てこなかった。

 桃華も似たような気持ちになったのか、呆れたように首を傾げた後、それでも納得したように頷いた。

 改めて、桃華が柚希を見上げる。


「柚希」

「なあに?」


 白うさぎがもふもふした両手を柚希に差し出してくる。


「ぎゅってして良いわよ」


 柚希は目を瞠った。

 もう二度と触れあえないと思っていた相手。

 温もりの共有は出来ないけれど、もう十分だ。十分、こんなにも心が温かい。


 柚希はいつもしているように白うさぎを抱きしめた。


「桃華、大好き」

「……ずるい。私が先に言おうと思ってたのに」

「知ってる」


 だから先に言ったのだ。伝えてもらうよりも伝えたい。

 大好きだ。これからもずっと大好き。共に生まれてきたことこそが何よりも幸福だった。



「大丈夫。怖くなったら目を瞑りなさい。そうしたら私に会えるでしょ」

「うん」

「ずっと一緒よ。生まれ変わったって、私の特別は柚希だもの」

「うん」

「大好きよ、柚。どうか幸せに」

「……うん」



 白い朝日が公園を包み込む。

 柚希は抱えたぬいぐるみがくたりとしても、ずっとずっと抱きしめ続けていた。





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