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雨の音が止まらない



「――……ユ、……ズ……」


 柚希の哀願を込めた訴えに応えるように、罅割れた声が黒い影から発せられる。

 その幽霊はどろりとした邪気を纏ってどこが目や口かも分からない有様だが、その気配はしっかりと柚希を認識し、その声ははっきりと哀憎を込めて形を為した。


「ユ……ズ。ユ、ズ……ユル、サ……イ」


 くしゃりと柚希の表情が崩れる。

 彼女が泣いているのか、雨に濡れた景色の中では分からない。


「うん、うん。……桃」


 柚希が影に向かって両手を差し伸べる。幽霊からどす黒い邪気が意志を持って伸ばされる。

 翔はゾッとして一気に柚希との距離を詰めた。

 走りながらポケットに入れたままの手袋をつけ、邪気が彼女に触れる直前でその手を引く。


「何やってんだっ、この馬鹿!」

「…………高坂くん?」


 呆然とした顔で、ようやく柚希は翔の存在を認識したようだ。

 何が起きたのか分からないというような間の抜けた顔をする柚希をさらに引き寄せて、追いかけてきた邪気を逆の手で払う。

 手袋越しに触れただけだが、邪気からは見た目にそぐったどす暗い怨嗟の念が感じ取れた。

 指先がぴりぴりと痺れる。


「逃げるぞ」

「でも、待って……」

「いいから、早く!」


 彼女の言い分を聞いてはいけないと直感的に感じて、翔は掴んだままの柚希の手を引いて走り出した。

 歩道橋を駆け下りて柚希の体がある場所まで戻る。

 何か言いたそうにしている彼女を問答無用で体にたたき込み、その首にクロスを掛けると、近くまで寄ってきた幽霊を睨みつけた。

 少しの間こちらの様子を窺うようにしていた幽霊は、突如奇声のようなものを発した。

 その声が聞こえたのは翔だけではないだろう。

 それ以上にこの世のものではない高い音は超音波めいた力があったのか、いくつかの建物の硝子に罅を入れる。

 事故を野次馬していた人々も、それぞれが耳を塞いで体を折ったりしていた。

 キーンと耳鳴りが残る耳に、雨音が戻ってくる。

 一瞬の静けさの後、いったい何事だと騒ぐ声が聞こえ始めた。


 幽霊の姿はなくなっていた。

 翔はひとまず息を吐き出して呆然と座り込んでいる柚希を見る。

 いつからいなくなったのか、傍に白うさぎの姿はない。


「帰るぞ」


 問い詰めたいことがいろいろあったが、濡れた体をどうにかするのが先だ。

 彼女の腕を取って立たせる。

 体に力の入らないらしい柚希は翔の誘導に従順に動いた。

 俯く彼女の表情は分からない。顕わになった白い項に滝のように水が流れていた。

 雨に濡れたシャツが体に張り付いて、中に着ているのだろうキャミソールの線が見える。

 目を逸らそうとした翔は、透けた肌に見えたものに目を瞠った。



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