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イノシシ娘、気づかぬ振りをする




 目を開けて見えたのは、仄明るい闇だ。満天のというには数の少ない星が視界を埋め尽くしている。

 また寝ている間に体から抜け出してしまったらしい。

 夜空の中に投げ出されたような景色を見るのは初めてではないが、非現実的な空間が柚希の脳をいまだ夢うつつな状態に留めている。


 あの日から、目を覚まして振り返る現実は、いつだって寂しい。








 青く澄み渡るほどに晴れたかと思えば雨が続き、空が泣き止まないと嘆いたときには光が差している。

 最近はそんな不安定な天気が続いていた。

 いまは、昼休みにもかかわらず、教室内の電気は点けていなくてはいけないような空模様だ。

 柚希は行儀悪く箸を咥えたまま、ぼんやりと窓の外を眺めていた。


「柚ちゃん、午後の社会の小テスト勉強してきた?」

「んー」

「そういえば、女子バレー部がまた勧誘に来てたよ」

「んー」

「部活いまからでも入ればいいのに。柚ちゃん運動神経だけはいいんだから」

「んー、ん?」


 いまさりげなく失礼なことを言われた気がした。

 にこにこと笑っている知穂に首を傾げると、傾げ返される。

 少し悩んで、柚希はまあいいかと思った。

 知穂の言うことは失礼だろうがいつでも概ね正しい。

 弁当箱に残っているいんげんのベーコン巻きを口に入れる。


「柚ちゃんって、雨の日はいつも以上にぼおっとするね」

「ん」


 知穂に頷いて、箸を咥えたまま咀嚼した。ベーコンの塩味が美味しい。

 そこでまた思考が停止する。

 雨がサッシを叩く、リズミカルな音が鼓膜を震わせている。


「ぼけっとしてると、喉刺すぞ」

「……っ、ぅぐ」


 知穂とは違う低い声に話しかけられて、柚希は噎せた。

 箸を口から外して振り向くと、翔が呆れた顔をして立っている。


「高坂くん」


 雨の中、柚希が会いに行った日からか、学校でも翔の方から話しかけてくるようになった。

 世間話をするわけでもなく挨拶程度だが、自分から話しかけることが彼にとってどれほど勇気がいることか、いまの柚希は知っている。

 翔は通りすがりに一声掛けただけのようで、そのまま教室を出て行った。たぶんトイレか自販機だ。


「すっかり仲良くなったのね」

「うー」


 微笑ましそうに言う知穂に唸って返す。

 翔は最初の頃からは考えられないほど心を開いてくれていると思う。

 話し方、会話の持続性、ちょっとした目元の動きから頬の緩み方。

 端から見ると相変わらずのぶっきらぼうだろうが、いつも一緒にいる柚希や、柚希の傍にいる知穂には分かるほどの変わり様だ。

 逆に柚希はここ最近、少しばかり戸惑っていた。

 彼の姿を目で追ってしまう頻度が増している気がする。急に声をかけられたり目が合ったりすると胃の辺りがきゅうっと絞られるような感じがした。


「……きっと変なもん食べたんだ」

「なにが?」

「なんか最近、お腹とか胸とか痛いの。急に体温あがったりしてる気がする。病気かな」

「ああ、お医者様には治せない病気ね」

「え、そうなの?」

「だってそれって、高坂くんといるときに発症するんでしょ」

「んー、それだけじゃないけど、いるときが一番多いかな」

「柚ちゃん、ベタねぇ」


 可笑しそうに笑う知穂に、柚希は首を傾げた。

 数秒の思考の回転の後、彼女の言いたいことが分かって、柚希は椅子を蹴倒すように立ち上がった。


「ない! 違うもん。ない、ない、ない、ないっ」


 ぶんぶんと首を振ると、脳がシェイクされてしまったのか目が回った。

 くらくらしながら椅子に座り込んだ柚希に、知穂が肩を竦める。


「そこまで力一杯否定されると、高坂くんが気の毒ね」

「え?」


 何故だ。考えれば行き着きそうな答えに慌てて目を瞑る。

 考えては駄目だ。答えを導き出しては駄目だ。だって柚希には、その先はないのだから。

 だから何も気づかない振り。分からないと暗示を掛ける。


 雨音がいつの間にか止んでいた。今日はバイトが出来そうだ。





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