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イノシシ娘、雨の音を聞く

 


 柚希の自転車を押す翔の横で借りた傘をくるくる回しながら、柚希は取り留めのない思考を繰り返していた。



 傘を叩く雨の音。

 幽霊の見える翔に奇異な目を向ける通行人、やってしまった。

 意識なくふわりと抜け出してしまった自分の体、分かってる。

 翔の母の怯えた目、そんな顔しないで。

 住宅街に蹲っていた幽霊。

 整理された翔の部屋。一気に走って体に戻った。

 迷子のような翔の顔、大丈夫だから。

 ボールを受け取れなかった子供。

 自転車、疾走する風景。


 目に入って染みた雨が。

 克服してもらわないとと言う昴。

 白うさぎのぬいぐるみ、お揃いのくま。


 体温を奪っていく雨。雨の音が……――。




「悪かったな。変な気、遣わせて」

「……え?」


 急に声をかけられて、柚希は咄嗟に反応できなかった。

 なにを言われたのか、思考を回す。


「雨の中、来させて悪かった」

「あ、え? あ、そんな謝らないでよ。私が好きでやったことだし、もともと私がふらふら体を抜け出して徘徊してなければ高坂くんに迷惑もかけなかったんだし」

「徘徊って、お前な」


 呆れたように言う翔に首を竦める。同時にいつも通りな彼に内心ほっとした。

 霊体の柚希と話しているのを母親に聞かれたときの、彼の傷ついた顔が柚希の心臓を酷く貫いた。

 あのとき、気づいたときには自分の体に向かって走っていた。

 言葉だけじゃない、気持ちだけじゃない、ちゃんとした自分の体で翔と向き合いたかった。

 傍にいたかったのだ。たとえ雨に濡れたのだとしても。

 

 くしゅりとクシャミをした柚希に、翔が顔を顰める。


「着替えはないにしても、やっぱ、少しうちで休んでいくんだったか」

「いや、こんなびしょ濡れな状態でお家に上がらせてもらうのは申し訳ないよ。このパーカーだけで十分です」


 投げつけられたパーカーは、いまは柚希の体を覆って温めてくれている。

 彼女には大きすぎる服は、そのまま翔の優しさのようだ。

 彼の抱える傷をずっと包み込んできてくれていたパーカー。

 カシャンという音がして、柚希は目を瞬いた。

 翔が自転車のストッパーを立て、傘を畳んでいる。

 いつの間にか雨は止んでいた。

 昼間に寄ったのよりも大きな公園、その中を横断する道をふたりは歩いていた。

 左右に並ぶ街路樹から、まだぽたぽたと水滴が落ちている。

 翔にならって柚希が傘を畳んでいる間に、彼は近くにあった自販機から温かい飲み物を買ってきてくれる。

 ホットレモンとお茶のペットボトルを両方突き出されて、柚希は咄嗟にお茶を取った。


「あ、お金」

「いいよ」

「そういう訳には、……って、持ってきてないし」


 衝動でここまで来た柚希は、財布はおろかスマートフォンも持っていない。

 がっくりと項垂れる柚希に、翔が苦笑した。


 ――笑み、純粋な楽しさや喜びからではなくとも、初めてまともに見る翔の笑顔だ。


 いつも仏頂面な少年の笑みは驚くほど柔らかくて、柚希は目を丸くしてしまった。

 見惚れたと言ってもいいのかもしれない。






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