番外編 イノシシ娘の親友、観察する
今日中に間に合った……っ!
「あらまあ、仲が良いこと」
知穂がお菓子を貰って戻ってくると、柚希が翔の手を握り安心しきった顔で眠っていた。
思わず笑ってしまうと、翔はただでさえ愛想のない顔をさらにしかめ、ひどく機嫌の悪そうな仏頂面になる。
だが振りほどかない手と膝に乗せているくまのぬいぐるみのせいで迫力などありはしない。
知穂の視線の先に気づいて、翔は舌打ちしたそうな顔をした。それでさえ握った手を離さず、ぬいぐるみを柚希を起こさないようにそっと枕元に置く。
その仕草だけで十分、彼の持つ本来の人柄を知れるというものだ。
「お菓子とか貰ってきたのだけど、高坂くん、片手じゃあ食べにくいわね」
「………………いい」
知穂が声をかけると、翔は返事までに長い時間を有した。
その間に、彼の視線がなぜか知穂の背後に移ったのには気付いたが、詮索しないことにしておく。
翔の反応は人間に捨てられた警戒心の強い犬のようだ。
内気や弱気とは無縁そうな空気を出すのに、人と関わるのにものすごく敏感で慎重である。
話しかけられても無視されることがほとんどだが、無関心なわけではない。
目を合わせず口を開かず、だが耳は相手の言葉に傾けられているし、心はそのときどきで動いているようだ。
なぜそういう性格になったのか知穂は知らないし、それほど興味もない。
ただ、そんな彼が天真爛漫な柚希に引っ張られるように変わっていくのを見るのは少し楽しい。
飲み物を持ってやってきた柚希の母親が、部屋を一目見てため息をつく。
「まぁ、柚希ったら寝ちゃったの? せっかくお友達がお見舞いにきてくれてるのに」
「寝かせておいてあげましょう、おばさん。柚ちゃん、さっきより少し顔色良くなってるみたいだし」
「そうねぇ」
ベッドの横で布団に触れてないとはいえ、娘が初めてきた男の子と手を繋いでいるのに、その事については全く気にならないらしい。
流石は柚希の母と言えばいいか、どこか抜けている。
翔も同じ事を思うのか、微かに顔を強ばらせて目を逸らしていた。
つっこまれないのもいたたまれないが、下手に口を開けば藪蛇だと思うのだろう。
「柚希は眠っちゃているけど、良かったらゆっくりしていってね」
「ありがとうございます」
お礼を言う知穂に合わせるように、翔が浅く会釈をした。
全くの礼儀知らずではないところに一点加点と、勝手に心の中で彼の評価を上げる。
柚希の母親が飲み物を置いていなくなると、あからさまに翔の肩から力が抜けた。
思わず口元を緩ませると、気付いた翔が嫌そうに眉を寄せる。
「…………なんだよ」
「なんでもないわよ?」
「……」
ますます顔をしかめた翔は、無言で柚希の手を知穂に向ける。
「なに?」
「代われ」
知穂は笑って首を振った。
「駄目よ。柚ちゃんはあなたを選んだのだから」
柚希の頬には血の気が戻っている。
ときどき体調を崩す彼女の見舞いにくるたび、紙のように白い顔色に心配になるのだが、今回はいつもより大分マシなようだ。
きっとそれは、この少年のおかげなのだろう。
知穂は昔から、なぜか幸運に見舞われることが多い。まるでなにかに守られているように、不幸や不運は知穂を避けてとおる。
とても幸せなことであろう。実際よく羨ましがられる。
だが、不幸がないということは日々の生活に起伏が少ないと言うことだ。
いつしか何事に対しても、面白味を感じられなくなってしまったのは仕方のないことだろう。
そうすると自然、人は知穂から離れていく。気持ちの共有、共感は多感な年頃の高校生には大事なものだ。
幸運であること、不幸でないことが幸せではないと思い始めた頃、出会ったのが柚希だ。
人に壁を作らない柚希は、まるで心を剥き出しにしたまま生きているようだ。だからこそ傷つきやすく脆いくせに、それでも突き進むことを止められない。
純粋で真っ直ぐで、真っ直ぐすぎてどんな壁にも正面からぶつかっていく柚希。落ち込むときも喜ぶときも全力で感情を表に出す。
その暴走を見ているだけでこちらまで元気が出てくる。次は何をするのかと、見ていて飽きない。
共感の薄い知穂にむくれるくせに、決して呆れない。離れていかない。
まだ知り合ってそれほど経っているわけでもないのに、そう信じられた。
だからこそ、知穂もありのままの自分で柚希と接することができた。
そんな柚希が突然構いだした男の子。
彼の心が少しずつ解けていく様子は、自分もきっと同じだったのだろうと容易に想像できる。
柚希と翔の関係がどういったものか、知穂の知るところではない。
二人の間にこれからどのような感情が生まれていくのか、どのように関わり合いを続けていくのか。
それがどんなものになったとしても。
「高坂くん」
無言で顔を上げる翔に、笑みを向ける。
「柚ちゃんのこと、お願いね」
柚希の暴走しすぎるところを、おそらく知穂は止められない。止めないだろう。
けれど翔なら、きっと――――。
まだ見ぬその未来を横で見ていくのが、いまの知穂の一番の楽しみだった。
次話まで少し間が空きます。




