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イノシシ娘、安眠を得る


 やっと柚希が彼の姿を幻覚でも幻聴でもないと理解したのは、一応気を遣って部屋に入ってこなかった翔を知穂が手招きし、彼女が自分の居た場所を彼に譲ったあとだ。

 部屋の外から柚希の母に呼ばれた知穂が出て行く。

 開けたままのドアからお菓子だ飲み物だと話している声が聞こえてきた。

 部屋に翔とふたりきりになった柚希は、自分の部屋に男の子がいるのを不思議な気持ちで眺めた。


「お見舞い、来てくれたの?」

「ああ」

「ねえ、どうしてさっきからこっち、見ないの」

「……寝起き顔、見てもいいのか?」

「あー、うー」


 よくないかもしれない。

 柚希は枕で顔のほとんどを隠しながらも、ちらりと横目でベッドサイドに座り込む翔を見た。

 彼は桃華のベッドに寝かせられた白うさぎを見ていた。


「それ桃華、……去年に死んだ姉のぬいぐるみなの」


 柚希の言葉に彼は相づちを打たなかったが、彼女は構わず手探りで自分のぬいぐるみを引っ張り出して、それで背を向けて座る翔の頭を叩いた。


「おい」

「これがわたしのぬいぐるみ。可愛いでしょ」

「……知らねえよ」


 押しつけられた白くまを訝しげに見る翔に、思わず笑みが零れる。

 ふと訪れた沈黙に、台所で話しているのだろう知穂と母の声がする。

 先に口を開いたのは翔だ。



「あんた、あと一週間は回復すんのに時間が要るってよ」

「い、一週間。せ、成績が」

 これは本格的に拙い。

 打ちひしがれた柚希は、そこで翔の言葉に首を傾げた。



「あれ、高坂くん昴さんのところに行った?」

 そうでなければ、彼に柚希の回復状況が量れるはずがない。

「……ああ。あいつと喋るのはなんであんなに疲れるんだ」

「分かる分かる。なんでだろうね」



 柚希は重い頭を、それでも何度か縦に振った。

 会話が噛み合わないわけでも、酷い言葉ばかりを投げられるわけでもないのに疲れるのだ。

 無意識にか、溜め息を吐いた翔はくまのぬいぐるみを胡座を掻いた膝の上に乗せている。

 そのミスマッチ感に思わず忍び笑いが漏れてしまって、柚希は慌てて比較的動く手で口を覆った。

 しかし、気分を悪くするかと思った翔は、なにかを考えているのか眉を寄せている。

彼はその表情のまま言った。


「俺や笹間みたいなのは、あんたにとって栄養剤みたいなもんなんだろ」

「え?」

「死神が言っていた。いまの相澤は養分を取られたような状態だから、外から補充してやれば早く良くなるんだってさ」

「それで、知穂を誘って、お見舞いに来てくれたの」

「……一応、俺も無関係じゃないし」


 愛想の欠片もない横顔は、けれどまったくもう恐いと思うものでもない。

 もっと愛想があればいいのにとは思うが、愛想のいい翔を思い浮かべることも出来ないほど、柚希にとっては見慣れた翔の表情だ。

 柚希は口元に当てていた手を、後ろから彼の顔の横へにょっきりと出す。


「手、握っててくれる?」

「……」

「栄養補給!」


 酷く難しい顔でこちらを振り返った翔が、嫌そうに溜め息をついたあと、手を握ってくれる。

 彼のこの表情は、一種のパフォーマンスなんだと柚希には分かってしまう。

 だって本当に嫌なら、彼は手を伸ばしてなどくれないだろう。

 だから柚希はにやけそうになる口元を布団で隠して、重い瞼を下ろした。

 繋がった手からなにか温かいものが流れ込んで、柚希の欠けた部分を満たしていってくれている気がした。




 その後、本格的に寝入ってしまった柚希に手を離してもらえず、くまのぬいぐるみを抱えたまま固まってしまった翔は、戻ってきた知穂に意味深に笑われたとかなんとか。




ここで一区切り!

明日、番外編をUPしたあと少し小休止に入ります。

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