イノシシ娘、学校に忍び込む
家に帰って夕飯を食べ、お風呂に入って宿題を諦めた柚希は、二十時には電気を消して布団の中に入った。これで親には寝ていると思われるだろう。
体から抜け出した柚希の霊体は制服姿だ。
一日の生活の中で一番馴染んでいる服装で、かつ制服で抜け出すことが多いかららしい。
潜在意識の中で思い浮かべる自分の姿が霊体の基本だ。
柚希は家を出て学校までの道を走った。
自転車に乗れないのが難点だが、代わりに霊体だと運動による肉体的疲労はない。だからいつまでも走っていられる。
翔に言われたとおり一応昴には相談したが、案の定「安定のお馬鹿と阿呆具合には感服します。まあせいぜい喰われないように頑張ってくださいね」と言われただけだった。
昴の援護は望めそうにない。
それでも本当にいざとなったら助けてくれるかもしれないが、とりあえずひとりで頑張るしかないだろう。
そう思っていた柚希は、校門の所に立っていた翔に目を丸くした。
「遅え。来ないかと思っただろ」
「え、いや、なんで居るの? 高坂くん」
「……あんたが目を付けられたのは、俺にも原因があるからな」
「え?」
そんなものあっただろうか。
首を傾げる柚希に、翔は顔を顰めて溜め息を吐いた。
「学校で幽体離脱したの、あれが初めてなんだろ」
確かに学校内で霊体になったのはあのときだけだ。
翔に出ろと言われなければ、これからもそんな機会はなかっただろう。
しかしそれは結果論だ。翔が原因だと言われればそうかもしれないが、もしかしたら、なにかの拍子に霊体になっていた可能性もある。
「そんなの、気にしなくていいのに」
「……いいから、さっさと行くぞ」
さっさと歩いて行く翔に、納得しかねる思いながらも柚希も続く。
翔も一度家には帰ったのか、いまは学校規定のブレザーの代わりに黒いパーカーを着ている。
それがすでに真っ暗になった校内に溶け込んでしまいそうで、柚希は思わず寄り添うように彼の真横を歩いた。
部活でまだ下校していない生徒がいるのか校門は開いていたが、学校内に明かりはほとんどなく、時折ぼぅっと灯る蛍光灯と非常口の明かりが不明瞭な闇を照らして中途半端な視界を確保していた。
下駄箱で靴を履き替えるか悩んだのか、一度足を止めた翔が、結局上履きを出しながら口を開いた。
夜の学校に侵入しているので、ほとんど囁き声だ。
「夜に幽霊をまじまじと見るのは初めてだけど。なんとなく、いま相澤に実体がないってのは分かるかもしれない」
いや、幽霊ではないし。というツッコミは黙っておく。
彼に吊られるように柚希も声を落とした。
「どういうこと」
「いやにはっきり見える。こんだけ暗いのに、制服の皺まで見えるってのは普通じゃねえだろ」
「おぉ!」
感嘆の声を上げる柚希を一瞥して、翔は先に立って教室に向かう。
「つまり死神が言っていたのは、こういうことなんだろうな。経験を積んで、自分なりの見分け方を見つけろって」
「昴さんの言うとおり?」
「癪だけどな」
嫌そうに顔を顰める翔に、柚希はくすくすと笑った。
「早く見分けられるようになるといいね。そうすれば友達も作れるよ」
「どうだか、それとこれとは別だろ」
「えー、そんなことないよー。高坂くん優しいし、本当の高坂くんを知ったらみんな友達になりたがるよ」
「……巫山戯たことばっか言ってんな」
さらに嫌そうに眉を寄せた翔だが、横を歩く柚希からは仄かに赤く染まった耳が見えた。
どうやら霊体である自分も、夜陰の暗さはそれほど意味を為さないようだ。
(照れてる、可愛い)
こんな素敵な男の子を、柚希しか知らないなど勿体ない。
早く彼が自然体でみんなの中に溶け込めれば良いのにと心から思う。




