表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/2

後編

―――その日の夜。

咲耶は初めて和穂に電話を掛けた。

電話を取り次いだのは、お手伝いさんのような女性らしく、

そういった事実にも心が揺らぎ、受話器を握る手に力が入る。

しかし電話の向こうの和穂は、いつもと何ら変わらない。


「咲耶さんから電話をもらえるなんて、嬉しいです」


そう言って笑う。

雅耶から、あなたがどういう立場の人か聞いたの。

「小さい商事会社」なんて、とんでもなくて――

これ以上、和穂が咲耶の心に踏み込んでくる前に、

会わないことにするのが、正しい気がした。

雅耶にも、これからは彼を家に呼ばないようにと言おう。


「あのね」

「――今度は」


躊躇いがちな咲耶の口調に何か感じたのか、和穂が遮る。


「どこに行きましょうか」

「今度は――」


突然、電話で一方的に「もう会わない」と伝えるのは、

卑怯なことのような気がした。

武道を嗜む身としては、背後から不意打ちするようなことは出来ない。


「迎えに行くわ」


そして、きちんと話そう。

和穂がいつも、真直ぐに向き合ってくれたみたいに。

咲耶はそう決意して、もう一度だけ、のつもりの約束をした。


 * * *


和穂はあの日、咲耶の通う女子大の前で、

こんな風に居心地の悪い思いをしていたのだろうか。

だとしたら、本当に申し訳ないことをした、と咲耶は思った。

気にならない、と言っていたし、慣れてもいるようではあったけれど。

まだ、十分ほどしか経っていないというのに、

通り過ぎる学生たちの視線を痛いほど浴びて、

咲耶は、居たたまれないような気分になっていた。

圧倒的に男子学生が多く、好奇心に満ちた視線を咲耶に向けてくる。

しかし、もっと容赦ないのは女子学生からの視線だ。

「こんな所で、待ち伏せ?」と、わざと聞こえるように囁き、

クスクス笑いながら通り過ぎたり、咲耶の格好を無遠慮に眺めていく。


咲耶は急に自分の姿を意識した。

昨今流行のパーマネントヘアとは無縁の、真直ぐな長い髪。

それを左右ですくって、後ろでリボンで止めている。

身に着けている小花柄のワンピースにカーディガンは、

色もデザインも、通り過ぎる女子学生ほど洒落ているとは言えない。

待ち人は校門の奥から、雅耶と共に数人の華やかな女子学生に囲まれて現れた。


何故か、足が一歩後ろに退()けた。

――きちんと話さなくては。

そのために今日は待ち合わせたのだもの。

そう思う気持ちとは裏腹に、足は一歩、二歩、と後ずさる。

とうとう咲耶はくるりと踵を返して、駅に向かって走り出した。

何をやっているの私、と思いながら。


「咲っ!?」


背後で、雅耶の呼ぶ声が聞こえる。


「咲耶さんっ!」


もちろん、和穂の声も。

それでも。

咲耶は振り返ることも出来ずに、自分自身に混乱したまま走り続けた――


夕陽が、山並みを黒い影絵のように浮かび上がらせている。

巣に帰るのか、鳥たちが数羽連れ立って飛んでいく。

キィ、とブランコが鳴った。

結局、約束をすっぽかしてしまった。

咲耶はブランコの鎖に腕を絡め、ふう、とため息を吐く。

和穂はきっと、訳がわからないと首を捻っているに違いない。

私だって私がわからない。

俯いたままブランコを揺らすと、足元に、ゆっくりと人影が伸びてきた。

雅耶が迎えに来たのかもしれない。

この公園は、昔から咲耶が何かあると逃げ込む場所であったから。


「もう暗くなりかけているのに、

 こんな淋しい公園にひとりでいたら、危ないでしょう?」


その声に視線を上げてみれば、

隣のブランコに腰掛けたのは、和穂であった。


「雅耶が、きっとここにいるはずだと教えてくれました」

「……そう」

「どうして帰ってしまったんですか」


逃げ出した(・・・・・)と言わないところが、和穂の礼儀正しいところだ。


「ごめんなさい」


和穂がふっと笑った。


「咲耶さんが俺のことを尋ねたと、雅耶から聞きました。

 貴女が、初めて俺に興味を示してくれたと喜ぶべきか、

 すっぱり切り捨てられるかもしれないと心配すべきか、

 少し悩みましたよ」


ギィッとブランコを揺らして、和穂は続ける。


「だから、こういった展開は想定の範囲内です」

「……そうなの?」

「当然です」


やけに自信ありげな発言に、咲耶はぷ、と噴き出した。


「じゃあ、この展開の結末はどうなるのかしら?」


和穂はやにわにブランコから立ち上がり、咲耶の前に回った。


「咲耶さん。

 前にも言いましたが、

 俺にはどうにもできないことで、俺を遠ざけるようなことはしないで下さい。

 それを知る前の俺と、それを知った後の俺と、どこが違うというんですか?

 俺は、今までと同じ、俺のままです」

「……私は、今までと同じ私じゃなくなったわ」


それはどういう意味? というように、和穂が首を傾ける。

君が現れてから、私は少し変なのよ。

自分の在り方に、疑問を持ったことなど、

不安を抱いたことなどなかったというのに。

君の存在が、私を揺るがすの。

それが、少し怖い。


「自分が、誰かに相応しいかなんて、考えたこともなかったのに」


咲耶が思わずそう呟くと、和穂は珍しく声を荒げた。


「俺に相応しいかどうかってことですか? それを決めるのは俺でしょう?」


ああ違う、別に責めているわけじゃなくて、と

和穂は、ぐしゃっと髪を掻き乱した。

咲耶は目を瞬かせた。

余裕のある態度を装ってはいるものの、

和穂の瞳も、自分と同じように不安に揺れている?

キィ、とブランコが小さく軋んだ。


「貴女ならきっと、

 切り捨てる時にも正面切ってバッサリだろうと思っていました。

 だったら、俺にも機会がある。

 その(やいば)、必ず(かわ)してみせる。

 この展開の結末は、まだ出ていませんよ。

 結末を出すほど局面は進んでいない」


瞳を不安に揺らしながらも、口にする言葉は、あくまでも強気で。


「そんな中途半端な勝負、咲耶さんはしないでしょう?」


和穂の背負っているものがどんなものであれ、

そんな風に、「最後まで勝負に付き合え」と言われたら。

咲耶は、ぐ、とブランコの鎖を掴んだ。


「……帰りましょう、咲耶さん」


いつも、咲耶の手を強引に取る和穂であったが、

今は少し離れた場所に立ち、手を差し延べている。

咲耶の意思で、その手を取ることを望んでいるのだ。


――僅か、三歩の距離。


ゆっくりと立ち上がった咲耶は、和穂を見た。


「すっぽかして、ごめんなさい」


それから和穂に歩み寄り、その手に自分の手を滑り込ませる。

咲耶の手が、そっと握り返された。


「……『七人の侍』を選んじゃうような私でいいの?」


君の周りにいる女の子ほどお洒落ではないし、

これからも、そんな風になれないと思うけれど。


「お勧めだって言っていたじゃないですか」

「そうよ、あれは名作だと思うの」

「確かに」

「少し長いけど」

「休憩が入って、驚きましたよ」

「でも、雅耶は何か言いたそうだった」

「俺がいいんだから、それでいいんですよ」


和穂はそう言って微笑んだ。

日が暮れて、空は藍色に染まり始めている。

リリリ、と、そこここで虫の音が響く。

そのままの貴女でいいんですよ。

そう言われたようで、咲耶は思わず頬を染める。


「『恐怖の報酬』っていう映画も、面白いのよ」


耐えきれない、というように、和穂は肩を震わして笑い出した。


「……なかなか手強いですね、咲耶さん」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ