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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅨ(かえ担当)
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第八話

 やや時をさかのぼって、蓮姫リョンフィ柚姫ユヒと再会を果たすまで。

 蓮姫はジュンガルで、無為に過ごしていた。

 中華から来た医者は、いるには、いた。

 おそらく名医でも、あろう。

 だが、二度診察してもらったきり、蓮姫は会うのを拒んだ。

 懸想されてしまったからだ。


「あなたのその頬の傷など、わたしはなんとも思わない、そんなもの、あなたの美しさを少しも損なえるものではない」

 医者はそう叫んだが。

 その無神経ぶりが、癇に障った。

 これだから、男などというものは。

 声高に宣言すれば押し通ると思ってでもいるのか、愚かな。

 力任せで、心の扉が開かれるとは、限らない。

 ましてや蓮姫の心が、力などで強引に開けられるものか。


 加えて、璃安りあんから届いた便り。

 国移しのため上演された芝居。

 この目で見たかった。

 国移しへと導く睡蓮、久しぶりに舞台を踏むその晴れ姿や、芝居そのものも、さることながら。

 睡蓮スイレンの母を演じたという、英愛ヨンエの舞。

 あの娘は、蓮姫と同じ。才の不足を根気で克服した努力家。

 そして蓮姫を、慕ってくれている。見て欲しかったにちがいない。

 蓮姫も、見てやりたかった。


 なにやら、あの李銀月リ・インユエに、うまいこと丸め込まれて蚊帳の外へ追いやられた、ような。

 占い札は、それは蓮姫の邪推にすぎぬ、と訴えてはいたが。

 どうだか。真相は、わかったものではない。なんとなれば。

 ここジュンガルへ来てからというもの、それまで百発百中だった蓮姫の読みは、当てがはずれてばかり。


 中華からの名医とやらは、先述のとおり。

 そして肝心の方術師は、見つからず。

 水晶球、水鏡、占い札、暦、八卦、なにを駆使しても、春男(チュナン)陸史(ユクサ) に徒労を課すのみ。こんな失態は、いまだかつてない。

 苛立ちが重なり、酒量も増える。手下の二人が心配するほど。その心配すらも、鬱陶しい。

 今夜も二人を早々に追い払い、寝室でひとり、泥酔寸前まで飲み明かす気で杯を傾けていた。

 巨大な満月を、肴に。


 いつにもまして、月が、近い。

 こんな夜には、魔力も一段と強まる。

 方術を授かるには、絶好の機会なのだが。

 肝心の、方術師が、雲隠れ。

 通り名くらいしか、つかめていない有様。

「一体どこにいる、白王バイワン!」


 自棄が募って、杯を床に投げつける。

 沈黙の深さで、異変に気づく。

 こんな不穏な物音がしたら、たとえ深夜でも気配を察して駆けつけてくるはず。

 隣室に控える春男か陸史の、どちらかが。


「……切実な、呼びかけだな」

 控えの間から現れたのは、見知らぬ男。

 床に転がった杯を拾い上げる。

 長身。右目に眼帯。長い白髪がさらさらと肩から流れ落ちる。

 これが、白王か。


「二人に、なにをした」

「いちばんの気がかりは、それか。手下思いなことだ」

 答えろ、と蓮姫は目で脅す。

 侵入者はおもむろに杯を袖で拭い、酒を注いで飲み干した。

 それからようやく「眠ってもらっているだけだ、朝まで目覚めぬように」と物憂げに答えた。


「なんの用だ」たたみかけるような蓮姫の問いに。

「これは異なことを。用があるのはそちらではないのか」

 ぐっ、と言葉につまる蓮姫を興味深げに見下ろして。

「授けてやっても、いいぞ」と、男は言い、こう続けた。

「手っ取り早いのは、おれと交わることだが」


 なるほど。中華の秘術、閨房術(けいぼうじゅつ)の亜種か。

 蓮姫は納得した。蓮姫の頭は。しかし。

 精神と肉体が、それを拒絶した。

 受け入れられるものか。初対面の、しかも、男と。


「……他の方法で、願いたいものだ」

 どうにか平静を装って、交渉を試みる。

 が、唐突に出没した方術師・白王は、にべもなく。

「生憎と、他の方法をとるには、おれの方に、もう時間がなくてな」


 寿命か。

「察しが良いな。気に入った」

 ならば何故、もっと早くに出てこなかった?

「おまえが焦れるのを、待っていた」

 なんのために。

「必要だったんだよ、その渇望が。どうしても術を手に入れたいという必死な思いがな」

 白王は蓮姫の傍らへにじり寄り、首をしめあげる格好で蓮姫を自分のほうへ向かせた。


 蓮姫のほうは、一言も言葉を発していなかったのに。

 会話が成立していた。

 それだけでも白王の実力のほどが、知れた。

 欲しい。この力。たしかに、喉から手が出るほど。しかし。

 男が、至近距離で自分を見つめている。それだけで蓮姫は吐き気をおぼえた。


 嫌でたまらない。それでも、目を逸らさず、蓮姫は問いただした。

「わたしの力を、封じていたな」

「ああ、おまえがジュンガルへ来てからこっち、ずっとな」

 欲しいだろう、この力、喉から手が出るほど。そうだろう?

 蓮姫の首にかけた手を、白王は蠱惑的に動かした。


「その力を授かれば、わたしは柚姫を封じられるようになるのか?」

「うまくすればな」

「うまくすれば、とはどういう意味だ」

「つまり、おまえが嫌々ではなく、本気で全面的におれを受け入れられる器になれるかどうか、ということだ」

 だから切実な渇望が必要だったんだよ。そうでなきゃおまえ、おれと寝るなんてできないだろ、と。

 白王の思考は、続いた。

 これは、白王とて蓮姫に悟られるとは心外だったらしく。


「なかなか、やるな。今度こそ、失敗しなくてすむかもしれん」と一人ごちた。

 それを蓮姫は、聞き逃さなかった。

「待て、しくじったことがあるのか?」

「というより、しくじったことしかない」

「なに?」

「逆にいうと、成功したためしがない」

「きさまっ!」

 蓮姫の怒りは頂点に達し、首にかかった白王の手を払いのけ、

「ふざけるな!」と一喝したが。

「ふざけてなどいない、おれには本当に時間がないんだ」と、真摯な答えが返ってきた。


「第一、だれかに術を授け終えているなら、おまえのところへ忍んできたりするわけないだろ、こんな厄介な、男嫌いのところへさ。わざわざ渇望を煽ってやったり、手間ひまかけてやってさ」

 拗ねたようにそっぽを向き、ぶつぶつと続ける。

 蓮姫は呆れて「一体いままで何人と試して、駄目だったのだ」と聞くと。

「男も含めてか」と聞き返すので、

「男とも試したのか」と、またまた呆れると。

「なりふりかまっていられないからな」と返ってくる始末。


 ぷっ。

 気の毒だが。不謹慎だが。

 蓮姫は、しまいには、吹き出してしまった。

「蓮姫」

 蓮姫が笑いたいだけ、好きに笑わせてやってから。白王は蓮姫の頬を両手で包んで、自分のほうを向かせた。先刻、首をしめあげた際とは打って変わった、やさしげな所作で。いっそ懇願でもするように。

「死 ぬのは仕方ない。無念なのはなにも残せず、死ぬことだ。おれは子も弟子も持たなかった。が、ことここに至って急にな、無念になってきたんだよ。おれはおれ の培ってきたものを継いでくれる誰かが欲しい。おまえ継いでくれよ。おれだってもうこんなことは最後にしたいよ。ていうか、もう余力ないんだよ。たぶんお まえで最後なんだよ。最後の、頼みの綱ってやつなんだ、おまえが。だから」


「ひとつ、聞く」

 蓮姫は白王をさえぎって、頬の傷を指し、これをどう思うか、と聞いた。

「べつに、なんとも」と、白王は答えた。

 それは、中華から来た名医の口から出たのと、さほど変わらぬ言葉だったが。

 白王の言葉は、医者のそれよりもずっと、不快ではなかった。


 白王は眼帯をはずし、隠されていた右目をさらした。焼け爛れてもう開けないまぶたが、そこにあった。

 これをどう思う、と白王は聞いた。べつに、なんとも、と蓮姫は答え、そこに触れた。くちびるで。

 術を授けたい者と、授かりたい者との間で儀式が始まり。

 終わった。


 翌朝。

 しらじらとした空気の中、寝台でひとり目覚めた蓮姫は。

 白王の力をすべて受け取ったのを、感じた。

 白王。もう会うことはない。もう、死んでいるかもしれないが。

 彼が持っていた力は、今、継がれて、ここにある。


 それにしても、肉体は、起き上がれないほど消耗している。

 蓮姫は、ぼそりと、つぶやいた。

「やはり、男は好かんな」

 いずれわたしも、だれかに術を譲るときが来るだろうか。

 来るな、まだいつかはわからないが、確実に。

 そのときは、できるなら、女を選びたいものだ。

 蓮姫は、まだなかば朦朧とする頭で、そんなことをとりとめもなく、夢想した。

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