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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅨ(かえ担当)
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第七話

「すまん、この短剣はもう呪い道具としては使えなくなったのではないか?」

「そんなこと、どうでもいいわよ、ばか!」

 柚姫ユヒは、いまや苦力クーリーセイか判然としない男の膝へ抱きついて嗚咽した。

 立ち上がれなかった。腰が抜けていた。

「どうして……今まで……」


 どうして今まで現れてくれなかったの。反魂の術を覚えてから、何度も何度も呼んだのに、どうして応えてくれなかったの。

 まるで人ごみの中はぐれてしまった母親に、やっと巡り会えた幼児のごとく、責める口調で泣きじゃくる。

「ついこの間まで戦っていたんだ。自分が死んだとは知らないままで。あそこでは、そんなヤツがまだ大勢いる。戦って、倒れて、また立ち上がって、戦って、倒れて……死んだことに気づかないで、ずっと戦いに明け暮れていた」


「なら、どうして今になって、気づけたの?」

「それは、協力者が」

『わたしのことは、伏せておいてもらおう』

 苦力と青が混ざり合った男の脳裏へ、ふいに語りかけてきた、もうひとりの男。


「……協力者?」

 油断ならない光を瞳の奥に甦らせた柚姫が、聞き咎める。

 つい先刻まで、頑是無い子供のように身も世もなく号泣していたのに、この豹変ぶり。

 微妙な角度の差で千変万化の模様をえがく万華鏡のようだ。

 そういえば房子もそうだった。情事の直後けだるい色気を漂わせていたかと思えば、気に障る一言を発した途端、先の尖ったかんざしを青の喉元へ突きつけてきた。

 これだから女という生き物は。

 片時も、目を離せないほど、惹きつけられる。


『気まぐれな魔神、とでも言っておくんだね』

 青は男の指示どおり、柚姫に伝えた。が、柚姫は納得しない。

「その魔神とやらの、名前を教えて」

 青は託宣を乞うように虚空を見上げた。

 男はためいきをついて、その場で思いついた名を適当に名乗った。

 それを青は伝えた。

冰心ビンシンだ」


 柚姫は即座に「それは偽名ね」と見破った。

 青はふたたび託宣を乞い、その後、困ったような顔をした。

「いいわよ、言って」と柚姫。

『言いたまえ、わたしの考えをそのまま』と冰心。

「……おまえに使役されるのは御免だってさ」と、青。

 柚姫はニヤリと笑い、目を伏せた。お見通しか、とでも言うように。

「まあ、いいわ。青と会わせてくれたのだものね、お礼を言っておくわ、ありがとう、冰心」


 青に倣って虚空へ声をかける。

 あてずっぽうにちがいない、柚姫には見えないはず、なのに。

 柚姫はかなり正確に、冰心のほうを向いていた。見つめているかのようだった。

『おそるべき感覚の冴え。さすがだな』

 冰心は、青白い頬に苦笑いを浮かべた。


「冰心がずっとそこに居たって構わないわ、青、抱いて」

 柚姫の手が青の膝から上に伸びる。

「お、おいおい柚姫、待ってくれ、この身体は苦力のものなんだぞ」

「構わないわ」

「おれは構うんだ、苦力だってそうだ」

「苦力が? どうして構うの?」

「おまえ……まさか、苦力の気持ちがわかってないのか?」

「わかってるわよ、あたしが好きなんでしょ、だったらいいじゃない、ねえ苦力、そこにいるの? 青に身体を貸してくれてありがとう、あたしはいいのよ、一緒に」

「よしてくれ、頼むから、そんなこと言うのは、やめてやってくれ、苦力が悲しんでる」

「悲しんでる? どうして」

「苦力はおまえのこと、女神みたいに崇拝してるんだ。色恋沙汰なんて、あいつの頭には、ないんだよ。それに、おれだって嫌だ。おまえを苦力と分かち合うなんて。苦力でなくても、他の誰とでも、おまえを分け合うなんて、我慢できないんだ!」


 分け合うなんて、我慢できない。

 そうだ。分け合うなんて。

 柚姫の心は、過去へ滑り落ちた。


「よくやったね、蓮姫リョンフィ、柚姫」

 舞の稽古。褒めてくれる母さん。だけど。

 蓮姫、柚姫、って。

 いっつも、蓮姫、柚姫って。

 あたしは、あたしなのに。

 あたしだけを見て、母さん、あたしだけを。

 なんでも蓮姫と半分こなんて、嫌。

 とくに母さんを半分こなんて、嫌。


 他の子なんて、目じゃない。

 だってあたしたちが一番、上手なんだもの。

 そう、あたしたちが。あたしと、蓮姫が。

 でも、あたしと蓮姫だったら、あたしのほうが上よ。

 だって、お稽古すくなくったって、ちゃんとできるもの。

 蓮姫なんか、あたしの倍くらいお稽古して、やっとついてきてるのよ。

 気づいて、母さん。そのことに気づいて。あ、ほら、今のところ、蓮姫の足が出遅れたわ!

 やだ、蓮姫ったら、おんなじとこ、何回やっても、ちゃんとできない、ふふ。

 踏み切りが甘いから軸がぶれて、ふらふらしちゃうのよ、駄目ねえ、あたしはこんなにきれいに回れるのにあんたったらまるで


「柚姫!」

 ぱあん!

 ほっぺが鳴った。いたい。じんじんする。母さん、どうしてあたしをぶったの?

  わかんない。かなしい。涙でちゃう。くやしい。はずかしい。だから逃げ出した。追いかけてきてくれるかと思ったけど、母さんは来てくれなかった。角を曲 がって待ってたけど、来てくれなかった。角からそっとのぞいてみると母さんは、べそかいてる蓮姫のあごを持ち上げてやさしく笑いかけて言った。

「たしかに舞の才は柚姫のほうが優れてる。だけど、あんたは柚姫に足りないものを持ってる。それはね、根気さ」


 わかんない。どうして上手にできるあたしを褒めてくれないで、できない蓮姫を励ましたりするんだろう。

 その日から、お稽古なんかばかばかしくなって、やめた。

 お稽古なんかしなくたって、あたし、できるもん。

 そうしたら、後ろにいたはずの蓮姫が、横に並んで。

 いつのまにか、あたしの前に、いた。


 なにもかも、面白くなくなって。

 なにもかも、どうでもよくなった。

 それで、やけになって、しちゃいけませんってこと、やってみたら。

 母さんが、こっちを見てくれた。

 なあんだ。

 悪い子になったら、見てくれるんだ。って、おぼえた。

 心配して。うんと気にかけて。あたしのこと。ねえ母さん、母さんってば。


 でもそうしてたら、匙を投げられちゃったみたい。

 ふん。いいもん。もう母さんなんか、いらない。

 あたしも、もう大人だし。

 言い寄ってくる男だって、いっぱいいるんだから。

 でも言い寄ってくる男って、みんななんか、ぱっとしない感じ。

 どうせだったらいい男を選びたいな、颯爽として頼もしくて、そう、母さんが選ぶ恋人みたいな。


 いっそのこと、奪っちゃおうかな?

 青って、かっこいいよね。

 誘惑の仕方だったら、わかってる。これでも花街育ち、陽花楼の花形よ。

 やってみたら、案外簡単に青は落ちた。

 あっけないくらい。こんなものか、つまんない、って思った。


 でも、男のひとに抱かれるのは、気持ちよかった。

 なんだか、絶対安心な巣のなかで守られてる雛になった気分。

 その気分をずっと味わっていたくて青に言ってみた「こんなもの、いくらでもあげるから、ずっとこうしていたいな」って。そうしたら。


「自分のこと、こんなものなんて言うな」って。

 このときからだった。青が大好きになったのは。

 あたしだけの、あたしだけの、男。

 やっと手に入れた。あたしだけのもの。

 うれしくて、泣いた。

 こんなに泣いたのは、きっと産声あげたとき以来だ、ってくらい。


 青は聞いた「おまえはどうして、そんなに飢えているんだ」って。

 舞の才に恵まれて、陽花楼の花形として活躍して、皆にちやほやされてるのに、どうしてそんなに愛に飢えているんだ、って。


「知らないわよそんなこと関係ないでしょあたしが飢えてると思うんだったらあんたが満たしてくれたらいいのよあんたをちょうだい全部ちょうだいあたしのからっぽの穴を全部あんたでいっぱいにしてよ」って喚いたら。

 青は笑って、そうだなって言って、あたしのからっぽの穴を全部、満たしてくれたんだった。


 昨日まで、母さんの恋人だった男が。

 母さんじゃなく、ましてや蓮姫でもなく。

 あたしを。あたしだけを。


「そうね、分け合うのは嫌よね」

 過去から戻った柚姫は、そう言い、しばし考え込んでいたが。

 やがて、ぱっと顔を輝かせ、

「じゃあ誰かの魂を追い出して、その身体に青を入れればいいのよ。任せて、ちょうどいいのがいるから。夢龍ムロンといって……」

「柚姫、駄目だ」

「大丈夫よ、あの男スキだらけだもの、もう一度かどわかすくらい、なんの造作もないわ、ねえ苦力?」

「そういうことじゃない、駄目だ、おまえに悪事をさせたりしない。それも、おれのためにだなんて、とんでもない。よしんば、その夢龍とやらをさらってきても、おれはそいつの中になぞ、入らないからな」

「なら、どうすればいいの? どうしたら、あんたの気に入るのよ!」


 青が乗り移った苦力を睨みつける柚姫。

 途方に暮れる青に、冰心が背後から、そっと耳打ち。

 それを青は柚姫に聞かせる。さも自分の提案であるかの如く見せかけて。

 それもまた、冰心の差し金。

「ジュンガルへ行こう。おれの器は、そこで捜せばいい。あそこの暗黒街には、生血をすするような非道なやり口で女を食い物にする人間のクズがいる。少なくとも五、六人はな。始末の悪いことに、どいつもこいつも外見だけは、すこぶるつきの男前だ。

 その内の一人だったら、世の中から消えてしまってもおれの良心は痛まん。

 そうしないか、柚姫?

 色男がよりどりみどりだぞ。その中から、おれの器を選んでくれよ」


「……わかったわ」

 そうと決まれば、もうここに長居は無用ね、と。

 柚姫は旅支度を始める。

 いずれ御史台に追われる身、青と再会できた今、なお囚われるわけにはいかぬ。

 旅立つならば、早いに越したことはない。

 手早く荷物をまとめ、宿をひきはらう。


 長かった夜が、明けようとしている。

 朝の出発は、砂漠越えには不向きだが、却ってそれが盲点にもなろう。

 追っ手の裏をかくにも好都合。

 柚姫と苦力は調達した駱駝の背に乗って、見えない青と冰心を道連れに、ジュンガルへ向けて旅立った。


 ほどなくして。

 朝焼けに染まる紫の地平線に、人影が。

 二人の男を従えた、一人の女。

 黒いチャドルを取り去ると、そこに現れたのは。

 柚姫と同じ顔。頬に傷。

 蓮姫。

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