第六話
広場での本番。
試演からさらに七日を費やし、璃安の住民へ大々的な宣伝を。布令には「王太后お墨付き」の一言も、抜かりなく。その間、稽古もみっちりと重ね、より完璧を目指し。
その舞台は櫂王太后の御前で披露したものに勝るとも劣らぬ素晴らしさ。
感動さめやらぬ内に、芝居の女主人公である実在の睡蓮が登場。
故郷に帰りたい、璃安の、蔡国の皆と一緒に移り住みたい、と。
ただ率直に乞い願った、それだけで。
一国の命運が、定まった。
好評を博した芝居を、人々は何度も観たがった。
房子は陽花楼の見世用天幕で、再演をした。
天幕の前には演目を記した幟を立てた。
『誓言~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~』
連日、満員御礼。
睡蓮と銀月との終盤での二重唱『戦火でひとりの民をも殺さぬ国』は流行歌となるほどの人気ぶり。
見物料で陽花楼の賄いは十分足りた。
余剰は国移しのための寄付とした。
また、地方巡業も開始した。
主力部隊は連日の再演のため璃安を離れられず、予備軍を地方へ送り出したが、彼らとて先が楽しみな新人ばかり。貴重な経験を積んで力を蓄え、見世へ戻ってくるにちがいない。
地方巡業自体、異例だが、もっと異例だったのは。
少数とはいえ、それに国の守備隊が警護についたことだった。
陽花楼が一国の使命を帯びている、というなによりの証。
最強の、通行手形。
大河のうねりの如く、大団円へと流れてゆくこの事態のなか、方術師・玉凰こと柚姫は。
徐々に、追い詰められていった。
御史台の追求は予想外に厳しく、柚姫が手を貸してやった高官たちは、なんらかの咎を受け、次々と失脚。
強力な方術を操る術師、とはいえ道具の準備や精神統一など、どうしてもある程度の時間は必要となる。だのに、その機会もなく隠れ家をすぐに突き止められて逃走を優先せざるをえないのだ。
ついには場末の連れ込み宿へ、最後まで付き従ってくれた苦力と共に潜り込まねばならぬ始末。
「おのれ、おのれおのれおのれおのれッ!」
だれに復讐すべきなのか。
逃走の合間、とぎれとぎれにではあったが、柚姫は思案をめぐらせ続けた。
陽花楼には国がついた。いまいましいが手は出せぬ。相手が大きすぎる。
睡蓮は、もっと駄目だ。あいつめ、あの魔女め、国移しだと、そんなもの、もっと混乱をきたすはずなのに、そうなれば付け入る隙もあったろう に、あの女が一言発しただけで国民は一枚岩と化した。いや、岩というより、一匹の巨大な竜に。鱗の一枚一枚が個性を保ち、それでいて統率のとれた、しなや かな動きで天へと駆け上る竜の如く、国移しという目的に向かって、いまや一直線。
夢龍にも怒りの矛先が向いた。あの意気地なしめ、せっかくのお膳立てが、ぶち壊し。そんなだから最愛の女を奪うことすらできないんだよ、負け犬が!
英愛をも、口汚く罵る。使えない娘、もっとドロドロした感情があるくせに、いい子ちゃんぶって、おまえは所詮、蓮姫に可愛がられることしか頭にない独楽鼠みたいなちっぽけな存在なんだ。
もはや、やつあたりに近い。
巡り巡って結局、柚姫の憎しみは李銀月の頭上に。
李家の御曹司、睡蓮の夫。身分の差を越えて結ばれた相思相愛の。
夢龍を使った復讐を阻んだ敵として、占い札が示したのが、この男。報復の炎が胸に宿る。それに、睡蓮、あの魔女の宝を傷物にしたい。
充分な準備はできないから、大したことはできないが、それでもなんらかの禍は、くれてやりたくてたまらない。
これは柚姫の思考の、癖。
波紋のように、悪意を広げる。
憎い相手そのものに直接害をなすよりも、周囲に禍を置くことによって苦しめようとする。搦め手を好むのだ。それが結局のところ、最も標的にとっては痛い、 と知り抜いているから。なんとなれば柚姫こそ、生涯ただひとりの恋人、青を永遠に奪い去られたのだから。それは自分が死ぬよりも酷い運命だった。
「苦力、そのあたりに蠍はいない?」
突然話しかけられて、しかもその内容が突拍子もなくて。それでも苦力は柚姫に応えようと床に張り付き、蠍を探す。適当に調子を合わせて探すふりをするのではなく、真剣に。
「ああごめんなさい、いるわけないわよね。じゃあ蠍じゃなくてもいいわ、一番いいのは蠍だけど、なんでもいい、なるべく気味の悪い虫を捕まえてきてちょうだい、一匹でいいから、早くね」
苦力はうなずき、部屋を出る。呂律の回らない舌で、ぶつぶつと独言を吐きながら。
蠍。蠍。蠍がいなければ他の気味わるい虫。蠍がいちばんいいんだけど、いなければ他の虫、早くね。
以前にも柚姫の命で、もっとおぞましいものを調達してきたことがある。たとえば処刑された極悪人の遺体の一部。あのときは墓を暴いた。それに比べれば蠍の一匹くらい、なにほどのこともない。
苦力を見送った柚姫は、水鏡の用意をする。
銀の盆に水を張り、香油を数滴たらし、特別な呪を刻んだ短剣でかき混ぜ、波紋を八個こしらえる。
次に紙を切って人形を作り、李銀月の名を記す。
作業の間じゅう、呪歌を口ずさみ。
苦力が虫を見つけられないなんて心配は、少しもしない。
実際、ほどなくして。
苦力は戻ってきた。布でくるんだ一匹の蠍を手にして。
「よく見つけてきたわね、えらいわ苦力」
布の上から呪文をかける。布をひらくと硬直した蠍が出てきた。
苦力は顔面蒼白になって、蠍を指差し、かぶりをふって、おろおろと何事か弁明しようと口をばくばくさせた。
「いいのよ苦力、わかってるわ。この蠍は生きて動いてた。本当は今だって生きているわ。あたしが魔法をかけて、動かなくしたの」
恐慌をきたしかけた苦力を落ち着かせてやってから、柚姫は銀月の名を書いた紙人形を水鏡へ投げ入れ、そこへ蠍を乗せた、すると。
「きゃっ!」
柚姫の思惑では、蠍は人形とともに水底へ沈むはずだった。ところが蠍は急に意識を取り戻して暴れだし、水滴を柚姫の顔にかけ、水盆から飛び出して遁走を謀った。
「苦力、それを始末して! 殺して! 踏み潰して! 早く! 絶対に逃がしては駄目よ、呪いを返されたわ、その蠍は死ぬまであたしを狙うようになった、だから始末して、早く!」
あたしの呪いを撥ね返すなんて。柚姫は真相を探ろうと水鏡を覗き込む。するとそこには、女装した銀月が。いや、これは。銀月本人でなく、銀月に生き写しの女。銀月の、いまは亡き母か!
死者に守られているとは。
しかも、この死者は、つよい。
生きていた頃よりも、数倍。
ひとくちに死者といえども個体差は千差万別。早々に彼岸へ旅立つ者もいれば、いつまでも此岸にとどまり続ける者もいる。此岸にとどまり続ける者のなかで も、姿を見せるもの、見せぬもの、見せたいのに見せる力のない者、見せたくないのに見えてしまう者……。生前は頑健だったけれど死者となれば霊力に欠ける 者、逆に生前は病弱だったのに死して後、この世に影響を与えるほどの力を持つ者も。
この女。銀月の母親は。つよい。
方術に長けた柚姫が、金縛られて動けない。
水をたたえた盆の底から、なにかが浮かび上がってくる。薄紅色の、花びら。
梅の、花びら。
柚姫の額を、脂汗が伝う。
苦力が声を発した。警戒を促すうなり声。それで金縛りが解けた。はっとして振り向いた先には、件の蠍。捉え損ねてつまずいた苦力が悔し紛れに床を叩く。それを弾みに立ち上がり、蠍を捉えようとするが。
蠍は柚姫の裳裾へ跳躍し、四対の足を高速で動かして柚姫の喉元へ駆け上がってきた。
「ひいいいいいっ!」
闇雲に喉元をかきむしり、なんとか蠍を床に落下させた。
だが蠍は、あきらめない。逃げようとした柚姫は足がもつれ、床に倒れ伏す。
蠍が二度目の跳躍をした。柚姫は目を閉じ、胎児のように丸くなって恐怖に怯え竦んだ。
今度こそ、逃れられない!
そのとき。
タン、という音が間近に聞こえた。おそるおそる目を開いて音の方を見やると。
蠍が床に、短剣で串刺しにされていた。
「……苦力?」
柚姫は訝しげに、苦力を見上げた。短剣を使うなど、およそ苦力らしくない。しかも、これほど鮮やかに操るとは。
見上げた苦力は逆光に照らされて、普段よりも背筋が伸びているように見えた。
こんなに、すらりとしていたかしら?
柚姫は目をすがめ、逆光を透かして苦力の表情をうかがおうとした。
「無事か、柚姫」
頭上から声をかけられ、手をさしのべられて、柚姫は驚いた。
苦力の口から明瞭な発音が出たことに、なによりこの声。この声は。
「青……ッ!」
柚姫の両眼から、大粒の涙がこぼれ出た。




