第九話
砂漠で対峙する、蓮姫と柚姫。
互いに、旅支度。
蓮姫はジュンガルから璃安へ、そして柚姫は璃安からジュンガルへ。
先に春男の手を借りて、砂漠に降り立ったのは蓮姫。
ここで会ったが百年目。
英愛の心の闇をつついて邪を引きずり出し、陽花楼へ火を放たせた礼は、きっちり返させてもらいたい。
白王から受け継いだ呪術のほども、試したくてうずうずしている。
逃げたほうが、利口。
柚姫の本能は、警告を発する。
優先すべきは、いまや、青の器を見つけること。
だのに。
柚姫は、苦力へと、手をのべた。降ろして、と。
苦力は戸惑いを見せたが、結局、柚姫の意向には逆らえなかった。
双子の姉妹は徐々に距離を縮めてゆく。
近づくにつれ、蓮姫の目には柚姫の背に、男の影が、ぼんやりと。
影は徐々に鮮明になり、今は亡き青の面影を認められるようにまで。
これも、白王の力を受け継いだ影響か。あの男、これほどの霊眼までも、持ち合わせていたのか。蓮姫は改めて、感嘆した。
青は蓮姫に向かい、なにごとかを訴えるようなそぶりを。しかし。
なにを言いたいのかが、伝わってこない。
『わたしが、出よう』
青の背後から、別の男が浮かび上がってきた。
『わたしは今、冰心と名乗っている。昔、房子に殺してもらった、しあわせな男の、なれの果てだ』
冰心はゆっくりと瞬きをした。
目を閉じて、再び開き、蓮姫を見つめる。それだけで。
蓮姫の脳に、一瞬にして、膨大な量の情報が流れ込んできた。
皆に「若様」と呼ばれ、大切にされてきた、生前。
両親のなれそめ、顔役と睡蓮。
夜の褥で、偽女王として君臨する房子。
魅了される冰心。
どうせ長くは持たない身、死ぬならこの女の腕の中でと決め、実行した。
満ち足りて、思い残すこともなくて、そのまま塵となって霧散してもよかったのに。
そうならなかったのは、やはり、どこかで。
房子に、未練があったからだろう。
塵となり、霧散しながら、いつも、房子の周りを漂っていた。
房子が死んだら、一緒に逝こう。
彼岸へ渡ってしまったら、もう戻ってこられないかもしれないから。
房子が死ぬまで、待っていよう。舞っていよう。塵と化して。彼女の周りを、ふわふわと。
房子は冰心に気づかない。それでいい。だのに。
冰心の思念が強すぎるのか、房子が鋭敏にできているのか。
あらぬ方をじっと凝視する癖のある、猫のように。
房子はときどき虚空をみつめた。その先には必ずといっていいほど、冰心がいた。
塵のままでいよう、そう思っていたのに。
思念を保ち続けるうち、誰に見えないまでも、いつしか冰心は生前と同じ姿を形成していた。
たいていは、房子のそばにいたけれども。
いたくない時も、あった。
房子が情事に耽っているときだ。
他の、男と。
死ぬまで女でいて、と房子に望んだのは、冰心自身。
恋をして、男たちを惑わせて、魅力的でいて、いくつになっても、と。
望みはした、たしかに。だけれども。
現場を、見ていたくは、なかった。
だからそういう時は、街中をあてもなく、漂った。
そのうちに、李家の庭で、ひとりの女と出会った。
彼女も死者で、木陰からそっと、愛する息子を見守っていた。
死者同士、交流を持つことは、稀だが。
彼女と冰心は、たまたま波長が合ったのか。
目が合っただけで、互いの事情が手に取るよう。
彼女の名は、月梅といった。
息子の胸に刺さった棘、彼女が刺した氷の棘を溶かしたいという悲願をもって、この世を離れられないでいた。
誰も勝てない恋の戦に身を投じ、争いの火種を残したままひとり世を去り生者をいまだ苦しめ続けている、という罪を消したいと。
冰心は約束した。
今は自分もまだ未熟だが、徐々に力がつき始めている。
力が増し、機が熟したら、きみに力を貸そう、と。
それから時は流れ、予想どおり冰心の力は増し、機も訪れた。
幸いにも、睡蓮という、稀有な器をもった娘が月梅の息子・銀月のもとへ。
一時、睡蓮の身体を拝借させてもらった。
それで、月梅の思いは昇華できた。
が、月梅はやはり冰心と同様、息子が死ぬまで現世にとどまる道を選んだ。
そして月梅に貸した冰心の力は、そのまま月梅に定着した。
月梅は冰心の力を得て、これまでよりも強くなり、陰ながら愛する者を見守り続けている。
陽花楼に忍び寄る、柚姫の魔手を冰心が知ったのは、不覚にも。
陽花楼が燃え落ちた後、だった。
房子は皆の前では気丈に振舞っていたけれど。
夜中、ひとりで瓦礫の中にうずくまり、燃え尽きた木箱の残骸をなでて、泣いていた。
そのなかには、冰心がかつて「若様」と呼ばれていたとき身に着けていた袖が片方、入っていた。
それは開けられることなく、引き出しの奥に追いやられ、忘れ去られているように冰心には思えていたが。
決して、そうではなかったと。
燃やされて、なくなって、初めて知った。
「房子」
声をかけても、震える肩に手を置いても。
「房子」
背中から、抱きかかえても。
房子には、冰心が、わからない。
「柚姫……」
今まで冰心の目には、ほとんど房子しか映っていなかったから。
思い出すのに少し、苦労した。
あの娘か。たしか、双子の。
遠ざけねば。房子から。二度と房子を悲しませたりしないように。
どうすれば。
青の存在を思い出すのにも、また苦労した。
房子の情夫など、あえてろくに見もしなかったから。
冰心は青を探して、かつてないほど遠出した。
そして、青を見つけた。みずからの死も自覚せず、課せられた使命をいまだ忠実に守って主に仕え、戦っては倒れ、戦っては倒れを繰り返していた。
そして最期には必ず、柚姫の名を呼び、果てる。
冰心はその無間地獄から青を救い出し、柚姫に会わせ。
青の器を見繕って青を現世に復活させ、柚姫と二人、苦力を従え、ひっそりと暮らさせようと画策していたのだった。
なるほど、と蓮姫は得心した。
そして、その案に乗ることを即決した。
柚姫には、青という要石さえ与えておけば。
暴れだすことは、ないのだ。
愛する義妹たち、睡蓮や英愛を利用して、房子への復讐に燃え、陽花楼に仇をなした柚姫。
実の、双子の妹だけに、姉としてその罪を決して許せはしない、と。
直前まで本気で思っていた、けれど。
それはまた、白王から授かった術の力を試したい、という身勝手な欲と、紙一重。
『どうした、おれから受け継いだ力、大嫌いな男と寝てまで得たこの力、使ってみたくないのか?』
白王の囁きが、体内から湧いてくる。それに応じてやるのが、なんとも癪だった、というのも復讐を思いとどまった理由のひとつ。
もしもわたしが男であったなら。
持てる力を駆使せずには、いられないだろう。
だが、わたしは女だ。
もっと、かしこく、ふるまえる。
相手をねじ伏せる力を持っていたとしても。
もっと良い解決策があるならば。
眠らせておくことができるのだ。たとえ倒せる力を持っていたとしても。
敵ではなく、自分自身を封じる強さ、それをおまえに教えてやろう、白王よ。
それに。
たとえ甘いとなじられようと。
やはり、柚姫は、どこか、可愛い。
直接、顔を合わせてみると、なぜか、どうにも、憎みきれない。
「どこへ行くの、柚姫?」
まるで通りすがりの挨拶のようにさりげなく、蓮姫は声をかけた。
「関係ないでしょ、あんたには」
柚姫の返答を、懐かしい、と蓮姫は思った。
関係ないでしょ、あんたには。
何度、その言葉を投げつけられたことか。
「そうね、関係ないわね」
道中気をつけて、とさえ、付け加える蓮姫。
目顔で春男と陸史を呼び寄せる。
何事もなく、通り過ぎようという意思表示。
どういう風の吹き回し?
柚姫は、なにやら薄気味悪さを感じたものの。
この機に乗じぬ手はない、と。
同じように苦力を手招いた。
互いに牽制しながら、それでもどうにか無事に通過しようとした、そのとき。
早足の馬が、西のほうから。
またたく間にそれは目の前に迫り。
黒ずくめの男が馬上から、鞭を振り上げた。
「きゃあっ!」
柚姫の首にまきつける目的で。
とっさに苦力が手首でそれを受け止める。
骨がきしむ、いやな音がした。
苦力はそのまま鞭を引き寄せ、男を馬上から転落させる。
男は砂上を横に転がり、地面に足裏をつけて止まると、すっくと立ち上がった。
手には、抜き身の半月刀。横転の間に、抜いたもの。
鞭の巻きついた手首を押さえてうずくまる苦力。
「苦力!」
苦力を庇ってその背にかぶさる柚姫。
柚姫の頭上へ、半月刀を振り下ろす黒ずくめの男。
二人の間へ割り込み、柚姫を背に、男の半月刀の前へ身を投げ出す蓮姫。
寸でのところ、刃の先が蓮姫の額で、止まる。




