第三話
「国移しって、大変な難事業よね?」
翌朝。
下着を身に着け寝台に腰かけて、乱れた髪を直していた睡蓮がこう切り出したので、銀月は肝を潰した。
普段から眠りが浅く、朝も弱い銀月だが、このときばかりは冷水をかけられた如く、カッと目を見開いた。
「ど、どうしてそれを!」
飛び起きた銀月に、きょとんとする睡蓮。
「だって、今おしえてくれたじゃない」
「いつ」
「今よ」
今だと。つまり、寝ぼけて、漏らした?
国家最重要機密を。
以前聞かされた悪友にして、かつての恋敵、夢龍の失態を思い出す。
お気に入りの一牌と床を共にした際、熟睡しているところへ話しかけられて、他の女とのあれやこれやを白状させられ、しかもそれを起きたときはまったく覚えておらず困惑したことがある、と。
その話をきいた銀月は、彼の迂闊を嘲笑った。
そんなことが、よもや自分の身に起きようとは予想だにせず。
おそろしい。
普段、張り詰めている反動なのか。
惚れた女の前では、これほど気を許すものなのか。
たしかに、国移しは次の段階に入っており、国民にどう知らせたものか、頭を悩ませてはいた。
恋しい女、睡蓮の存在とともに、銀月の脳裏を二分するほどに。
睡蓮への渇望が満たされた今、国移しについての憂慮が頭の大半を占めていた。
夢うつつのうちに、それを睡蓮に告白したのか。ありうる。いや、ありうるというより、もはや。
やらかしてしまった。
身体中の毛穴という毛穴から生気が空気のように抜けていく。そんな脱力感で、仰向けに倒れこむ。
自己嫌悪に陥り、交差させた両腕で顔を覆って、聞くのが恐ろしいが聞かずにいられぬ質問を口にする。
「……それで、わたしは一体なにをどこまで、きみに話した?」
「ええと……」
睡蓮は指折り数えながら説明した。
ロプノール湖の水位の異変、その原因、ホータン国との密約、ここ蔡の国主・櫂王太后による不退転の決意『戦火でひとりの民をも殺さぬ国』その実現に奔走する精鋭たちと銀月、今回の旅の真の目的、即ち……洗いざらい、だ。
銀月は寝返りを打ち、寝台に突っ伏した。
絶望に、打ちひしがれる。
「ねえ、一番の理由は、わたしのため、なのよね?」
そんなことまで口走ったのか、わたしは。
睡蓮の言葉に返答する気力すら、失せてしまっている。
「で、もっとも難しいのが、国移しの事情を国民にどう説明するか、どう納得してもらうか、なのよね?」
ねえ銀月、きいてる?
と背中をせっつかれ、ああ、と力ない応対をするのが、やっと。
やれやれわたしはそんなことまで……と、さらなる自己嫌悪に圧倒される。
「任せて」
「え?」
銀月は耳を疑った。
思わず半身を起こし、睡蓮をまじまじと見つめる。
「今、なんと言った?」
「だから、任せて。みんなの説得。いい考えが浮かんだの、ふふふ」
笑い事か。
みずからの失態、睡蓮の楽観的な言動、悪態のひとつも、つきたくなる。
「ではその考えとやらを、きかせてもらおうか」
捨て鉢な気分になって、かなり険のある皮肉っぽい調子で言ったのに。
睡蓮には通じなかったらしい。嬉々として、思いついた「いい考え」を滔々と語る。
「広 場でお芝居をやるの。国移しのいきさつを、わかりやすくまとめた脚本にして、陽花楼の踊り子たちに演じてもらうのよ。最後にわたしが口上を述べるわ。大丈 夫、任せて。あたしこれでも花形よ。ひとの心を虜にするのが生業なのよ。あたし以上の適役はいないわ。いい妻をもってよかったわね、銀月?」
にべもなく一笑に伏そうと身構えていた銀月だったが。
これは、いけるかもしれない、と徐々に思考と態度が改まっていった。
なんという大胆な、発想の転換。
根回しや密約などに明け暮れていた自分との、なんという相違。
国を動かすには、まず『上』を『理』で説得しようと銀月は考え、行動してきた。
睡蓮は人民、即ち『下』の意識を『情』で根こそぎ変えようとしている。
男と女。
豪商の御曹司と花街の踊り子。
なにもかも違いすぎる、銀月と睡蓮。
だからこそ。
足りない部分を、補い合える。
銀月がこれまでしてきたことも、決して間違ってはいなかった。
だが、ここに来て行き詰っていたことも、確か。
最後の詰め、肝心の一打、国民の説得をどうすべきか、そこに。
睡蓮の、斬新な発案が突破口を開こうとしている。
必要なのだ。
上も下も。
王も民も。
男も女も。
理も情も。
陰も陽も。
どちらか一方では、成り立たない。
それが、世の道理。
「きみは凄いな」
「えっ、どういうこと」
先刻、自分で「いい妻をもってよかったわね」などとうそぶいていた睡蓮だが。
それは無論、冗談で。
鼻先で笑われるのを覚悟というより期待していたのに。そしたら言い返してやろうと待ち構えてさえいたのに。
手放しで賞賛されて、却って鼻白んでしまった。
「きみは何度でも死んで、生き返ると言ったね」
「あ、ああ、ゆうべのこと? うん」
そんな、朝っぱらからそんな、濃密な夜の睦言を蒸し返されても。
睡蓮は頬を赤らめて、つとめて素っ気なく相槌を打った。
「きみは自分だけじゃなく、わたしも殺して、生き返らせてくれるんだ、何度でもね」
「そ、そうなの?」
「そうなんだよ、それに加えて今度は、国をも再生しようとしている。一体どこまで凄いんだ。きみはその女神のような身の内に、どれだけの力を秘めているんだろう。もしかしたら本物の女神なんじゃないのかい?」
銀月は睡蓮の頬を両手ではさみ、真正面から見つめて、言った。
「わたしは、本当に、良い妻を娶った」
えへん、そうでしょうそうでしょう、とおどけるつもりだったのに。
寝台に押し倒されて、のしかかられて、睡蓮は面食らってしまう。
「あの、あの、銀月、もう朝なんだけど」
「……だから?」
「えっ、だから、だからってなに」
「朝だから、しちゃいけないって?」
「えと、そうじゃない、そういうわけじゃないんだけど、あの……」
「ん?」
「……さすがに、おなかすいちゃった」
睡蓮の告白と同時に。
睡蓮の腹も、空腹を訴えて、鳴いた。




