第二話
一方、睡蓮は廊下を連行されている間中、バツの悪い思いをさせられた。
「あの、あの、これはちがうの、暴力とか、無理やりとか、そういうんじゃないのよ、全然とめたりしなくっても、いいですからねっ」との意思をこめて、廊下を行き交う使用人たちに必死で愛想笑いをふりまいた。
銀月を、悪者に見せちゃ駄目っ!
しまいには、離れへと急ぐ銀月に引きずられないように、むしろ寄り添ってでもいるかのように、睡蓮も早足でついていった。
もっとも、周囲の者は睡蓮が心配するほど、事態を誤解してはいなかった。
無理もあるまい。
銀月様の気持ちは、わからないでもない。
いや、むしろ。
心中察して、あまりある。
新婚早々、あの珠玉のような女性を置いて旅立っていったのだから。
お戻りになったとなれば、それは、ねえ。
睡蓮が爆発したのは、離れに着いて、ようやく手首を解放された後。
「もう、痛いじゃないの、銀月の馬鹿っ!」
相手の切なげな表情など、読んでいる余裕はない。
「明華さんたちにも、失礼だったわ。銀月ったら一言のご挨拶もなしで、いきなりあたしを連れ出して、李家の御曹司が一体どういう」
銀月も、相手の言葉など聞き入れている余裕はなかった。
言葉など。それよりも。
わたしは、こんなにも、きみに飢え渇いているんだ、睡蓮。
満たしておくれ。潤しておくれ。でないと、でないと、死んでしまう。
衝動のまま、小言を言い募ろうとする睡蓮のくちびるを塞ぐ。
あたしの話を、ちゃんときいてよ!
睡蓮は、ますます頭にきて暴れたけれど、やがて。
銀月の激情に圧倒され、なすすべもなく呑み込まれていった。
それは銀月自身にも、どうにも抑えられないほどで。
二人を隔てる衣一枚さえも、邪魔で。
もどかしさに耐えられなくて、引き裂いてしまった。自分のも、睡蓮のものも。
睡蓮は小さく悲鳴を上げた。あたりまえだ。こんな暴力にさらされて。
かわいそうに、さぞや怖い思いをしているだろう。わかっている。わかっているのに。
みずからの蛮行を、とめられない。
うなり声が洩れる。まるで獣そのもの。
『君はわたしをけだものだとでも思っているのか』
『ちがうの?』
以前かわした会話が、脳裏をよぎる。
そうとも、わたしはけだものだ。
『あたし銀月がけだものでも、好きよ』
本当に?
本当にそうなのか、睡蓮。
ならば、証を見せてくれ、今。ここで。頼むから。
銀月は睡蓮の両脚を強引に割って、秘所へ手を伸ばした。
そこは。
充分に潤い、あまつさえ。
蜜が滴っていた。
何故。
その秘密を解き明かしたくて、睡蓮のあごに手をかけ、瞳を覗き込む。
睡蓮は涙ぐんでいた。その様は、本来の何倍も幼く見えた。遠い昔、初めての出会い、往来でぶつかっていきなり号泣されたあの頃に逆戻りしたかのような錯覚にまで襲われる。
愛しい女の悲しげな泣き顔を見て、凶暴な欲望が一気に遠のいた。
女体が自分を守ろうとして、それで、こんなに濡れているのだ。
銀月は、そう解釈した。
「睡蓮、すまない」
「ちがうわ、わかるでしょ」
睡蓮は喘ぎつつ、銀月の指を奥へとさらに導いた。
恋しい男に激しく求められる快感。
それが睡蓮を恍惚とさせる。
先刻までの、頭でっかちで色気の欠片もない自分のふるまいを猛烈に悔やんでいた。
銀月をこそ、最優先すべきだったのに。
このひとの飢えを満たすこと、このひとの高ぶりを鎮めること。
このひとの、なにもかも全部、受け入れること。
それ以上の大事なんて、ないのに。
銀月が旅立つまえに計画した、あれを、睡蓮はひそかに実行していた。
つまり、一流の一牌を紹介してもらい色事の手ほどきを。
そんなもの、本物の銀月には通用しなかった。なにひとつ。なにもさせてもらえない。される一方で。だけれども。
そんなものなくても、もう怖くない、苦しくない、恥ずかしくもない。
どんなにどんなに乱れても、泣き叫んでも、銀月は受け止めてくれるから。
睡蓮は銀月の指から手を離し、銀月そのものを探り当て、握り締めた。
それだけで、不覚にも、銀月はのけぞり目を閉じて、精を放つのをこらえなくてはならないところまで昇らされた。
今度は睡蓮のほうが、余った片手を銀月のあごに当て、こちらを向かせる。
その手をうなじにすべらせて引き寄せ、くちびるを重ねる。
誘うように。
いや、まぎれもない誘惑だった。
銀月はあっけなく屈服し、身勝手と謗られても弁解できないほどの性急さで睡蓮を貪った。
もうこのまま、けだものと化したまま、二度とヒトには戻れないのではないかと思った。
そして、それでもいい、とも。
睡蓮も、同様。
快楽に溺れながら、銀月のすべてを無我夢中で、全身全霊で受け止め、応える。
そう、小賢しい手練手管など、覚えたものの必要なかった。
銀月のなすがまま、素直に翻弄されていれば、それだけで。
なにも、難しいことなど、なかった。
半狂乱の睡蓮は、とぎれとぎれにうわ言を繰り返す。
「ぜんぶ奪って。銀月の好きなようにして。めちゃくちゃにしていい。殺してもいい。あたしは死んで、何度でも生き返るわ。あなたのためだったら、それができる。何度でも殺して、何度でも生き返ってみせるから!」
もう二度とヒトに戻れないのでは、と最中は本気で覚悟していたとしても。
現実には無論、そういうことは起きず。
ふたりはもつれあって奪い合い与え合い、世界の果てまでいって、戻ってきた。
ヒトとして。
魔法の時間は過ぎて、ふたりは寝台のなかで、まどろむ。
睡蓮などは、もはや半分、夢の中。
「夕食を食べそびれてしまったな。お腹すいてないかい?」
と銀月が訊いてみると。
「ううん、それより、ねむい」との返答。
「おや、めずらしい、食いしん坊のきみが」
と、からかい半分に頬をつつくと。
「なによ、いじわる」
銀月の鼻をつまんでやろうと、手を伸ばしてくる。
銀月は笑って、その手を阻む。
兄妹のような、たわむれ。
他愛のない、会話。
そんなものが、何故こんなに楽しいのか。
睡蓮は、睡魔に意識を持っていかれそうになりながらも、会話を続けたがった。
「ねえ、銀月、あたし銀月が旅立ってまもなくの頃、夢を見たの。
銀月が枕元にいて、あたしを見つめていたわ。
で、あたしは聞いたの、これは夢なの? って。
そしたら銀月はね、夢だよ、って答えたのよ、ふふ、おかしいでしょ」
それは夢でなく、現実の出来事だった。
あの夜。
媚薬をかがされた夢龍のもとへ、睡蓮が投げ込まれた夜。
すぐにまた発たなくてはならなかったけれど。
ひとめ寝顔をみて、安心したくて、ひそかに寝室へ立ち寄ったのだ。
なんの拍子でか睡蓮は目をあけて、こちらを見た。
銀月はその額へ、おもむろに接吻を落とした。
そのとき睡蓮はたしかに訊いた「これは夢なの?」
銀月は答えた「夢だよ」
睡蓮は忍び笑いをもらし、すぐまた目を閉じた。
ふふふ、おかしいの、夢だって、ふふ。
そして安らかに、再び眠りの世界へおちていった。
「それは、おかしな夢だね」と。
語りかけた銀月の言葉は、睡蓮の耳に届いたろうか。
微笑したまま、睡蓮は寝息を立てていた。
銀月は半身を起こし、むきだしの肩に掛布をかけてやる。
本音をいえば、もっと見ていたかったが。
風邪をひかせてしまってはいけないな、と理性を働かせた。
頬杖をついて、睡蓮の寝顔を見下ろしながら、しばし感慨にふける。
信じられない、今まで離れていられたなんて。
きみを邪険に扱って、純情を袖にして、他の女と戯れていた過去があるなんて。
笑わせる。
こんなことで、睡蓮が穢れるなどと、思い込んでいたなんて。
こんなことで、睡蓮を汚せるなどと、思い込んでいたなんて。
穢れるどころか。
睡蓮は、穢れた銀月を、浄化してくれる。
抱くことで、抱くたびに、何度でも。
過去の過ちを清めて、新しく生まれ変わらせてくれる。
何度でも死んで、何度でも生き返る。
睡蓮はそう言った。
だが、それだけじゃない。
睡蓮は銀月をも殺し、そして生き返らせてくれるのだ。
何度でも。




