第二話
人は、砂漠というと砂ばかりの土地を想像するが、あながちそうとばかりはいえない。
特に、中華と蔡国の間に横たわるタクラマカン砂漠は、「一度入ったら出られない場所」の意を持つが、見渡す限り砂ばかりといったわけでなく、岩原や草原、低木の生息する地帯もある。
タクラカマン砂漠の上辺(天山南路)と下辺(西域南路)は、いわゆるシルクロードと呼ばれ、東西交通の要所であったが、乾燥がひどく、「一度入ったら出られない場所」の名の通り、多くの旅人を悩ませてきた
だが、崑崙山脈の雪解け水がワジ(涸れ川)となる夏期ならば、比較的容易い。そのため、夏期に旅をする商人は圧倒的だ。
それでも、夏のこと、中天にかかった太陽が遮るもののない砂漠に容赦なく照りつける。
そんな焼け付くような日差しの下、ワジに沿って西下しているのは、三十数人ばかりの一行だ。
彼らは、櫂王太后から、新天地検分の勅命を受け、カラコルム山脈の数十里下にある広大な土地を目指していた。
隊列の中には、新妻を娶ったばかりの李銀月の姿もある。
(いやになるくらい暑いな)
銀月は、駱駝の上で、“ガザ“と呼ばれる外套を頭の上までひっぱりあげると、はるかカラコルム山脈の尾根に首をめぐらせた。
ひときわ高い山の上には、真白く厚い積乱雲。
今朝、璃安を出発してきたときの数倍の大きさだ。
ワジが太陽に照り付けられ、次々と生まれた水蒸気が雲を膨らませたのだろう。
銀月の不安が、旅立ちと同時に膨れあがっていったように。
本当に、蔡の国民が移り住める新天地などあるのだろうか?
もしあったとしても、蔡と変わりない暮らしは営めるのだろうか?
そして、子供たちは新天地で屈託なく笑うことができるのだろうか?
銀月はそれが気がかりでならない。
母を亡くした十五才の頃。大伯父という後見が出来ても変わらず孤児だった。
たまに姿を見せていた父は、母が亡くなるとぷっつり銀月の元へやってこなくなったから。
もともと、妾・明華が采配をふるう李家で、母と銀月は厄介者。いないも同然の扱い。
元服の後、公に李家の嫡子として扱われるようになっても、それはほんの少しも変わらなかった。
新しく与えられた銀月の私室は、美しい調度が揃っていたし、部屋の隅では炭櫃に炎が赤々と熾っている。
しかし、『銀月、こちらにいらっしゃい』と、震える自分を抱きしめてくれる腕がなかった。まろい頭を撫でてくれる手がなかった。
『媽々(マーマ)・・・・・・!』
恋しさのあまり、亡くなった母を幾度も呼んだ。
我とわが身を抱きしめながら。
孤独は、夜毎、銀月を苛み、それでもおかしくならなかったのは、睡蓮との約束があったからだ。きみの傍にずっといるという。
だから、七年前、ロプノール湖の湖水が激減し、蔡国の滅亡の危機に気付いた時、いてもたってもいられなくなった。
天変地異が起きれば、まず「子供」が犠牲になる。
そして、もし、ホータンとの間に戦が始まりでもすれば、たくさんの子供が親を失い、銀月と同じように、睡蓮と同じように、いやそれ以上の孤独に泣く子供が溢れかえるだろう。
戦争が起こらないでよかった。
自分を抱くものが自分しかいない孤独を味わうのは自分だけでいい。
銀月は、大きく息を吐き出した。
「李くん、新妻のことを思い出したのですか?
鳴り物入りで迎えた美女ですから、心配でならないでしょうねぇ~」
隣の駱駝の上から、綜官吏が銀月の溜め息を聞きつけ、からかい混じりに言っってくる。
綜水楊―――――― 。
ロプノール湖で出会った工部官吏のひとり。
綜官吏は、無口で無愛想な銀月に何くれとなく声をかけてくれる奇特な青年である。銀月も夢龍に対してほどではないが、彼には屈託を持つ気になれない。ずんぐりとし
た体付きが、警戒心を薄れさせるからだろうか。
だが、綜官吏は、温和な外見とは裏腹に次期工部侍郎に目されている優秀な人物。たまの登庁の際、彼の出自や姿形を侮った他部署の官吏たちをやんわりやり込めている場面に幾度となく出くわしたものだ。
「よーし、止まれ・・・・」
銀月が「そんなことは考えていません」と返そうとした時、最前列の護衛兵が手を上げ、隊列を止めた。
銀月も慣れない駱駝の手綱をあわてて引いた。
「ここで昼食とします」
護衛兵の声に周囲を見渡すと、なるほど低木が木陰を作っていて休憩を取るにはもってこいである。
護衛兵の合図と同時に、官吏どもが引き連れてきた従僕たちが我先に場所取りを始める。なんとも慌ただしいことだ。
銀月は、パンと干した果実の昼食を受け取ると、皆から離れ、カジのそばの木陰に腰を下ろした。
「いい場所を見つけましたね」
綜官吏が、銀月の隣に当たり前のように腰を下ろし、同じように昼食を広げる。二人は、しばらく無言で質素な食事を続けた。
川風が心地よく、暑苦しい外套を脱いだ二人の頬を撫でていく。気心が知れた間柄ならではの穏やかな時間だ。
「きみは何故、召し使いをひとりも連れてこなかったのですか?」
璃安一の貿易商の子息が、という言葉を言外に含んで綜官吏が訊ねた。
「わたしはおまけですからね。
おまけがおまけを連れて来るなど愚かの極みです」
すると、綜官吏は、銀月を異民族でも見るように見つめ、そして、次の瞬間、大きく声を張り上げた。
「銀月、きみは間違っている!
七年前、いち早くロプノールの異変に気づき、綿密な調査を行なっていたのは、きみではなかったのか。
わたし達は、きみに声をかけられなかったらここにはいない。いまだ、ロプノールの湖畔か、ホータン国あたりでうろうろしていたはずだ。
そして、いかに櫂王太后陛下が戦禍をお避けになりたくとも、戦しか我が国を存続させる道はなく、多くの民が命を落としただろう。
銀月、きみは、何万もの民の命をその手で救ったのだよ。それでも、自分をおまけなどというのかい?」
一息にまくし立てた綜官吏は、ぽかんと口をあけたままの銀月の肩を強く掴んだ。
けれど、銀月は返事を返すことができない。普段穏やかな綜官吏が激昂したせいでなく、自分が重大事をなした自覚が全くなかったせいで。
「無自覚だったのかい? きみらしいな。
今だってみんながきみを頼りにしているのを知らないのだろう?」
「・・・・・・!?」
銀月は、再び声を失った。
彼の言うとおり、少しも気づいていなかったから。
民間人の自分が「新天地検分」の旅に加えてもらえたのは後見人である大伯父の威光だとばかり思っていた。その上、人付き合いの悪い自分が、他人に頼られるなど頭の片隅にもない。
(こんなわたしでも誰かの役に立つことができるのだ)
言葉に出来ないほどうれしい。
銀月は、残りの干しなつめを口に放りこむと、初めて会った時のロプノール湖の空のような晴れやかな笑顔を綜官吏へ向けた。
けれど、銀月に笑顔を向けられた綜官吏は全身が心臓になったような動悸に襲われた。
仲間内で花街の一牌より数倍美しいという評判の男が満面の笑顔を向けてきたのだ、平静でいられるわけもない。
綜官吏は「こっちも無自覚なようだね」と小さな声でつぶやき、そして、
「そろそろ出発しましょう」と、あわてたように腰をあげた。
「えっ・・・・?」
銀月が訝しそうな顔を綜官吏に向ける。昼食が始まってからまだ小半時も経っていなかったのだ。




