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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅦ(かえ担当)
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第十四話

 夕暮れ時。

 陽花楼へ戻ってきた英愛ヨンエは、睡蓮スイレンをひそかに呼び出した。

 裏庭へ。

 睡蓮は、親友の呼び出しに、なんの疑いもなく応じた。


 ただ、少なからず心配そうな様子で。

「ねえ英愛、大丈夫? なんだかいつもと違うような気がするわ。どこか具合が悪いんじゃないの? 英愛、いつもはもっときびきび動くじゃない? 話し方だってもっとはきはきしてて……」


 睡蓮は最後まで友を気遣うことができなかった。

 背後から、あろうことか陽花楼の護衛に襲われたのだ。

 昼間の英愛と同じように、布に仕込まれた眠り薬を、かがされて。



 いや、正確にはその男は、護衛の服に身をやつした、別人。

 昼間、英愛に付き添った者の服を奪い取り、英愛があらかじめ開けておいた裏口から進入してきた、柚姫ユヒの手先。

 裏口の門番は、すでに殴り倒され緊縛されて、物置の中へ投げ込まれ。


 そこへ馬車が現れ、ぐったりと正体をなくした睡蓮は、護衛の格好をした不審者に引きずり込まれ。

 英愛はひとり、裏庭に佇んで。

 ぶつぶつと、独り言を。

 睡蓮、おまえさえ、いなければ、と。


 それは。

 昼間、柚姫にこじ開けられた、英愛の心の中の、闇の扉の向こうから、湧き出てきた言葉。


「英愛……かわいそうな英愛……」

 手足を縛られ、寝台に横たえられた英愛が意識を取り戻すと、柚姫がささやきながら、英愛の頬を、撫でていた。

 やさしげに、でも、執拗に。


 一体いつから、そうされていたのか。

 ぞっとして、英愛は、まだ自由にならぬ首を必死に動かし、柚姫の手から逃れようと虚しくもがいた。


 熟しきった果実に似た、甘酸っぱい香りが辺りに充満している。

 少し首を動かしただけで、呼吸が荒くなった英愛は、その空気を鼻腔いっぱい吸い込む羽目になり、むせて空咳をくりかえした。

 柚姫の、いかにも楽しげな含み笑いが英愛の頭蓋に響く。


「英愛……」

 やめて。やめて。蓮姫リョンフィ姐さんと同じ声で呼ばないで。

 耳元でささやかないで。

 気が、狂いそう。


 かわいそうな、英愛。

『安心して、英愛。あなたに食指は動かないから』

 そう。

 蓮姫姐さんに言われて、あたし、悲しかったわ。

 とても、傷ついたわ。

 直後は、そうでもなかったけど。

 遅効性の毒みたいに、じわじわ、じわじわ、蝕まれていったわ。


 抜けないの、あの言葉が。

 錆びた釘を刺したみたいに、胸が痛むの。


 優しくて、凛々しい、蓮姫姐さん。

 昔から、憧れてた。

 認めてほしくて、褒めてもらいたくて、お稽古も一所懸命がんばった。

 でも。

 姐さんがいちばんに可愛がってたのは、いつも、睡蓮。


 こっちを見て。

 ねえ、あたしを見てよ。

『あなたに食指は動かない』

「いや……」


 英愛は絶叫した、つもりだったが。

 実際にその口からもれたのは、ため息に近い嘆き。


 蓮姫姐さんが、柚姫姐さんに傷つけられて。

 顔と足に深手を負ったとき。

 あたしも、お見舞に行きたかった。

 でも、勇気がなくて。行ったところでどうしたらいいか、なにを言えばいいのか、わからなくて。


 睡蓮は、ちがってた。

 邪険にされても、毎日、お花をもって訪ねてた。

 あげく、額に怪我までしちゃって。

 でもそれで、蓮姫姐さんは、ますます睡蓮を、溺愛するようになった。


 あたしだって。

 額だけじゃなくて、たとえ全身切り刻まれたって、それで姐さんの心が手に入るなら!

 だけど。

 実際には、なにも行動できなかった。

 臆病者。


 だって、あたしは。

 睡蓮みたいに、綺麗じゃない。

 あんな華は、持ってない。

 自信がないの。持てないの。どんなに努力しても、かなわないの。


 睡蓮が、銀月インユエ様と結ばれて、嬉しかったのは。

 これで、陽花楼の花形はあたしだ、あたしの時代だ、天下だって、そんな気持もあった。

 蓮姫姐さんにも、他のみんなにも、認めてもらえるって。だけど。

 違った。

 やっぱりあたしは、睡蓮になれない。

 お客さまの反応も、全然ちがう。

 あたしは、睡蓮のようには人々を魅了できない。

 誰も。蓮姫姐さんも。


 英愛の頬を、涙が伝う。幾筋も。

「かわいそうな英愛、あなたはいつまでたっても、二番手ね」

 柚姫が、その涙を舐め取る。

 蓮姫と同じ声で、同じ舌で、英愛をなぐさめる。


 わかるわ、英愛。

 あたしにも。

 あたしの上にも、いつも、蓮姫が、いたから。

「もう、なにもかも、壊してしまいたいわよねえ?」


 陽花楼なんか、燃えてしまえばいいのよ、そうでしょう?

「ええ、そうね、蓮姫姐さん、燃やしてしまいましょう」

 英愛のなかで、柚姫と蓮姫は溶け合い。

 柚姫の言葉と、蓮姫の言葉の境目が、あやふやに。


「ええ、そうね、蓮姫姐さん、燃やしてしまいましょう」

 柚姫に涙を舐め取られながらつぶやいた言葉を、裏庭でもつぶやき。

 英愛は、茂みから枝の束をむしりとり、火をつけた。

 それを、壁に、おしつけた。


 睡蓮は。

 暮れかかる薄暗い寝室、天蓋つきの豪奢な寝台に、そっと横たえられていた。

 黄金の髪が、透きとおるような肌が、淡い色合いの衣が、濃い臙脂色の寝台の上で、ほのかな輝きを放つ。


 丁寧に包装された、優美な花束のよう。

 無残に、散らされるために。

 あえて、清楚に整えられて。


 贅沢な家具調度の並ぶ室内。

 寝台の手前には、長椅子。

 長椅子の上には、夢龍ムロン

 着衣は乱れ、長い手足は椅子におさまりきらず、しどけなく端から垂れ下がっており。

 こちらもやはり、正体をなくしている模様。


 暮れなずむ薄暗い寝室。

 寝台には、睡蓮。長椅子には、夢龍。

 陽花楼は夕焼けと炎に炙られ。

 銀月は璃安りあんを離れ、旅の空。

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