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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅦ(かえ担当)
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第十三話

 セイとの関係は、最初の頃は、よかった。

 それは、だれとでも、そうだった。

 出会いは、簡単。

 女将としての威厳に辣腕、気風のよいふるまい、妖艶な風貌、房子パンジャの情人として選ばれた男は、それを誇りにさえ、したもの。

 最初の頃は、皆。


 しかし、そのうちに。

 疑念が鎌首を、もたげてくる。

 房子は本当に、おれを愛しているのだろうか?


 第三者が周囲にいるときの睦まじさに較べ、ふたりきりでいるときの房子の淡白な、というよりいっそ冷淡な、その態度の温度差に、違和感をおぼえる。

 おれは、だれかの身代わりか?

 それとも、一時のなぐさみものか。



 たいていの男は、女を慰んではばからないのに。

 自分が慰み者とされるのは、我慢ならない。

 房子が好む、男らしさにことさら重きを置く青のような性質の輩には、余計に、屈辱。


 たとえば、花街の顔役の如く、上に立つ者は逆に、その重圧から解放されたくて、閨の中では支配されたがったりするものだけれど。

 青は、しょせんは、雇われ者。

 ならばせめて、閨の中だけでも、房子を支配できれば、ひそかに溜飲を下げられもするのだが。

 それも、かなわない。


 公衆の面前では房子も青を立て、なにかと頼りにするけれど、それでも。

 一部の男たちからは嫉妬まじりに「ヒモ野郎」と陰口を叩かれ、それは青の耳にも届いており。

 房子の裏表ある態度とも相まって、青は心中にかなりの鬱積を抱えていた。


 だから、つい。

 聞きかじった噂話を、無神経にも。

 房子に、ぶつけてしまったのだ。

 いつものように、おざなりな情事のあとで。


「おまえ、昔だれかを腹上死させたことがあるんだってな。ちょっと信じられないな、だっておまえって見かけによらず案外、淡白だし」


 房子は髪を束ねようと手にしていた簪を、青の喉元へ突きつけ。

「おまえおまえって気安く呼ぶんじゃないよ。それから二度とその話をするんじゃない。わかったかい、坊や」


 二人の間には、決定的な亀裂が。

 もう、潮時か。

 二人とも、そう思った。とはいえ。


 ただ仲違いをしたからという理由だけで青を追い出すのは、女将としてしめしがつかず、房子からは切り出しにくかった。

 青のほうから、退屈になったとか旅に出たくなったとか、なにか口実をつけて出て行ってくれないだろうか。


 房子の気持は青にも伝わった。

 そうするべきだろう、と青も思った。けれど。

 ここは、あまりにも居心地のよい、場所だった。


 信頼に裏打ちされた自由のもと、統率のとれた使用人たち。

 女将、房子が選りすぐって集めてきた、粒ぞろいの娘たち。

 汚泥の上にひろがる花園のような、陽花楼。


 離れがたかった。

 このなかに、ずっと、いたかった。

 陽花楼の一員として、この楽園を、誇りをもって、守っていたかった。


 愚かなことをした。一時の感情に、流されて。

 今からでも失言を詫びて、一使用人としてでも、置いてもらおうか?

 いいや、それはおれの意地が許さない。

 房子に頭を、下げたくはない!


 迷いが、青を引きとめ。

 心のすきまに、柚姫ユヒが、入り込んできた。


 あからさまな、誘惑を受けた。

 青にとっては、小娘のそれは、浅はかと、言ってもよかった。

 浅はかだけれど、切羽つまったなにかも、感じた。

 青は肉体の誘惑もさることながら、むしろそちらに、より強く引きつけられた。


 柚姫は、双子の姉妹、蓮姫リョンフィと共に、陽花楼の花形。

 房子の、秘蔵っ子。

 奪ってやったら、さぞや痛快だろう。

 房子に対する、復讐心も芽生えた。


 それに。

 房子との関係が冷え切った、今。

 少しでも、どんな形でも、陽花楼と、つながっていたかった。

 だから、あえて、誘惑に乗った。


 動機は、不純だった。

 だが、身体を重ねるごと。

 柚姫の一途な想いと、敏感にそして素直に反応する初々しい肢体と、胸に秘めた孤独、焦燥、閉塞感に共鳴し。

 青のほうも、やがて、恋の虜に。


「何故こんな真似を。あたしに対する当てつけなのかい」

 柚姫との関係が露呈して、房子にこうなじられたとき、青は反論しなかった。

 最初はそういう思惑もたしかにあったので、否めなかったし。


 柚姫のほうが誘惑してきたのだ、などと。

 女を悪者にした卑怯な言い逃れは、問題外。

 そのような恥ずべき行為は、断じてできない。

 柚姫を芯から愛していれば、なおさらに。


 また、まがりなりにも情人として暮らしてきた間柄、房子の性格は把握している。

 よしんば、卑怯な言い逃れをしてみたところで。

 小娘の誘惑に乗るとは何事か、諌めるのが本当ではないか、それが大人の男のすることか、と激昂するに決まっている。


 柚姫との純愛を正直に打ち明けたら、どうだろうか。

 いや、この冷たい女には、熱い恋心など、どうせ理解できはしない、と。

 説得は、はなから諦めた。


 一方、房子も忸怩たる想いを。

 よりにもよって、うちの花形に手を出すなんて。

 ここを出てゆく口実なら、もっと穏便なのを考えればよいものを。

 たしかに柚姫は、はねっかえりの問題児だが、だからこそ一層気にかけていたのに、その目を盗んで、こそこそと。

 あまつさえ、思春期の不安定な乙女心につけこんで、玩ぶとは、言語道断!


 大事な娘を、傷物にされた。

 しかも一時とはいえ、このあたしが見込んだ男に。

 あたしの男を見る目も、ずいぶんヤキがまわったもんだ!


 房子は、柚姫が誘惑した事実を知らない。

 いつの世も親というものは、わが娘に対して、見る目が甘い。

 裏切られたという怒りに目がくらみ、陽花楼はおろか、ここ首都、璃安りあんからも追放、という厳罰を、房子は青に下した。


 そう、房子は柚姫が誘惑した事実を、知らない。

 柚姫の初恋を無残に打ち砕いた、とも露知らず。

 初体験の幸と不幸が、柚姫と房子の間を深く隔てた。


 そう、房子は知らなかった。

 青の諦念は、ある意味、的を射ていた。

 房子には、柚姫の恋心を、真には理解できていなかった。


 その無理解が後々、房子と陽花楼に災いをもたらすとは、思いも及ばず。

「睡蓮、じつはもう一人、お客様がいるんだ」

 入れ違いに英愛ヨンエを見送った睡蓮へ、房子は満面の笑みをたたえて告げる。


 睡蓮。

 李家の若様がこの娘をそう名づけたときは、内心とても動揺した。

 当時まだほんの少年だった若様が、伝説の一牌イルペ睡蓮を知っているはずはなく、単なる偶然だとわかっていてもだ。


 睡蓮。

 同じ名を冠し、同じく当代随一と謳われる大輪の花として苦界に咲き誇りながら。

 この睡蓮は、なんと健やかで、輝かしいことか。

 身勝手な見解なのは百も承知だが、今となっては、なにやら罪滅ぼしができたような安堵感すら、こみあげる。


「え、お客さま? どなた?」

 房子の心境など知る由もなく、無邪気に、英愛が乗った馬車が見えなくなるまで手をふっていた睡蓮が、房子を振り返ると。

「俺だ」

 房子の背後から、背の高い、黒ずくめの男が。


「……とう、さん……」

 紫色の瞳を大きく見開き、呆然と睡蓮が、つぶやく。

 男は、ばつが悪そうに苦笑してみせた。


 内密に、何年も、房子とこの男は、連絡を取り合っていたのだ。

「もうそろそろ、睡蓮の前に姿を見せてもいいんじゃないかい?」

 睡蓮の里帰り前に、房子がこう持ちかけると。

「ふ、今さら、どの面下げて、会えるというんだ」

 男は一笑に伏そうとしたが、房子はこう説得した。

「今だからこそだよ、旦那。好きな男と結ばれて、めでたくあの娘は一人前の女になった。わだかまりを解くには、今をおいて他にないと、あたしは思うんだがね」


 今回、房子の読みは正しかった。

「父さん!」

 茫然自失の状態から抜け出した睡蓮は、喜びを全身からあふれさせ、駆け寄って、抱きついてきた。


 先刻、英愛を受け止めた睡蓮は、今度は懐かしい養父の腕に、抱きとめられて一回転。

 見守っていた周囲からも、祝福の歓声が上がる。


 睡蓮と養父との再会で、陽花楼全体が至福に包まれてから、しばらく後。

 招待された富豪未亡人邸の一室を控えの間としてあてがわれた英愛は、鏡におのれの姿を映し、服装や化粧の乱れを細かく確認しつつ。


 頭の中では音楽を流し、舞の手順を反芻することに余念がなく。

 鼻歌を歌い、舞の身振り手振りを実際に軽く復習したり、夢中で準備をしていたものだから。


 すぐには、気づかなかった。

 背後に立つ、女の存在に。

「英愛」と、呼ばれて初めて、はっとして振り向くと、そここは。


「……蓮姫、姐さん……?」

 どうして、ここに蓮姫姐さんが?

 いいえ、このひとは、蓮姫姐さんじゃない。だって、頬に傷が、ないもの。

 では、では、このひとは。


 柚姫、姐さん!

 思わず、後ずさると。

 鏡にぶつかる前に、男にぶつかった。

 鏡の前には、異形の男が立っていた。


 柚姫の忠実な下僕、苦力クーリーが。

 悲鳴を上げる寸前、英愛は苦力に口をふさがれた。

 英愛の口をふさいだ布には、眠り薬が仕込んであった。

 英愛は、自分の口からくぐもった弱々しい声が漏れるのを、遠くで聞いた。

 そして、暗闇がおとずれた。

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