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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅦ(かえ担当)
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第十二話

 顔役の愛妾、ならば箔だけれども。

 その息子までたぶらかした、と噂を立てられた日には、これはもう立派な醜聞。

 薄幸な娘たちの最後の砦となるべく築いた、陽花楼。

 女将、房子パンジャの評判が地に落ちれば、その砦も、危うくなる。


 小姓を引き連れ、正面きって店に現れ「房子を」と。

 呼ばれれば、傍に侍らないわけにはいかない。

 なにせ相手は、顔役の若様。

 あからさまに突き放せば、それはそれで、角が立つ。


「いい加減にしてくれませんか、若様」

 口元はにこやかに、瞳には刃の光をたたえ、若様の耳元で、ささやく。

 本人にしか、聞こえない小声で。


 若様は心底、傷ついたような顔をして房子の瞳を覗き込み「迷惑なの?」と訊いてきた。

 あたりまえだろ、と反射的に言い返したくなるのを堪え。

「少しは察してくださいよ。あたしは、あなたのお父様の女なんですよ。

 あなたはお父様に溺愛されているから何も言われないでしょうけれど、そのぶんこちらの立場がまずくなるんです」


「……わかった」と若様は返事をして、以来、店には現れなくなった。

 そのかわり。

 寝室へ、忍び込んできた。



 若様には、どんな罰を受けようとも、その望みを叶えようとする忠実な乳兄弟がいて。

 他にも、味方は五万といて。

 彼が「こうしたい」と一言、希望を述べれば、どんな手を使ってでも、それは叶えられるのだ。

 房子の寝室の扉でさえ、かくも容易に開く。


 身体は病弱、心は純粋。

 その支配力は、ほとんど魔王。

 とんでもない男に、魅入られてしまったものだ。

 房子は戦慄しながらも「一体、どういうつもりですか」と気丈に侵入者を睨みつける。


 どういうつもりも、なにも。

 男が、女の寝室に忍んできたとなれば、目的はひとつ。

「あなたを、抱きに来た」と、若様は、単刀直入。


「ふっ、そんなことが、あなたにできるんですか」

 お父様とあたしとの刺激的な場面を盗み見てさえ、倒れたあなたが、との意味を暗に含んで、房子は、鼻で笑ってあしらった。

 が、若様の次の言葉で、嘲笑は、凍りついた。


「うん、命がけだよ」

 気負いもなく言い、近づいてくる。

 房子は思わず、寝床の上で後ずさった。


「あたしは御免です、あなたになにかあったら、あたしがお父様に殺されます」

「そんなことには、ならない。手をうってきた。信じてほしい」

「信じられるもんですかっ!」

 触れようとする手を、必死ではねのける。


 ちくしょう、なんてことだ。

 房子は、膝を曲げ、上体を丸く縮めて、頭を抱えた。

 こんな、ひ弱な男を前に、このあたしが。

 まるで罠にかかった小鳥みたいに、怯えなきゃいけないなんて。

 なんたる、屈辱!


 房子は顔を覆ったまま「どうしてあたしなんですか、あなたの前で、あんなことをしたからですか」と訊いた。

「そうかもしれない」と若様は答えた。淡々と。

「あのことは、謝りますから、もう帰ってください、お願いです」無駄と知りつつ、懇願までしてみた。


 案の定、若様はそれに答えず、話題を変えた。

「房子、この命は、もう長くない。じっとしてても、もうすぐ消えてしまうんだ」

 房子は顔をあげて、自分の汚点をさらけだした。なんとしても、諦めてもらおうと。

「若様、あたしは不感症です、なにも感じないんです、子宮が壊れてるから子供もできない。女としては欠陥品なんですよ」


 若様は、ひるまなかった。

「それを言うなら、こちらこそ、男としては欠陥品だ」

 そして、房子の頤をとらえて、唇をかさねた。

 房子は、抵抗も、反応も、しなかった。

 離されてから「……だから、あたしを選んだんですか」と訊いた。

 そうかもしれない、と若様は、うわの空で答えた。


 理由など、きっと、どうでもよかった。

 房子も、もう、どうでもよくなっていた。

 結局、房子も、若様の、魔王のような支配力の虜に。

 このひとの、望みなら、それがたとえば自然の摂理に反していても、叶えなくては、いけないのだ。


 途切れ途切れの息の下から。

 房子、房子、と、歓喜の極みで若様は叫んだ。

 房子、来世でも、あなたを追いかけさせて。

 あなたを追っているときだけ、わたしは男でいられる。

 わたしがいなくなっても、女でいて。

 死ぬまで、死んでも、女でいて。

 恋をして、男たちを惑わせて、魅力的でいて、いくつになっても。

 今度ふたたび巡り会ったときも、わたしはあなたを、追いかけるから。


 そして、若様は死んだ。

 葬儀の後、房子は、顔役に呼ばれた。

 手紙を、見せられた。

 若様の、遺書だった。


「どのみち、あれは長くは生きられなかった」と顔役はぽつりとつぶやいた。

「房子、おまえは、あれの花嫁だ」とも。

「だからってあたしは、身を慎んだりしませんよ」房子は、傲然と言い放った。

 顔役は、房子の暴言に不快感を表すことなく、鷹揚に笑みを見せ。


「わかっている、遺書にもしたためてある、房子を束縛しないように、とな。ただ、おまえは息子が愛した女で、わたしにとっては、義理の娘となる。これまでのような関係ではなく、娘として接したい。この先、困ったことがあったなら、いつでも頼ってくるがいい」


 房子は、無言で、頭をさげた。

「もっとも、わたしのほうがこれからも、なにかと頼ることのほうが多いだろう。おまえの先を読む力は、たいしたものだからな」


 陽花楼は危機を脱し、それどころか、より基盤は堅固。

 顔役とは、情事ではなく、家族として、絆が結ばれた房子は、もう、完全に性を生業としなくてもよい身分になった。

 つまり、選ばれる側でなく、選ぶ側に。


 好きな男と、浮名を流した。

 選んだ男は、皆、どことなく、初恋の、かつての武術の師匠に似ていた。

 最後の情人、セイに至るまで、房子の男の好みは一貫していた。

 上に媚びず、下に威張らず、自由な風のような、飄々とした男。

 大柄で、おおらかで、たくましく朗らかな、好漢。


 房子の心を鷲摑みにしたまま世を去った、あの若様のような男は、慎重に避けた。

 もっとも、あの若様のような男は、そんじょそこらには転がっていなかったが。

「そうさ、あたしはあんな若様みたいな男は好きじゃない。あたしが好きなのは……」

 浮名を流すのも、若様の遺言を守っているからじゃない。

 自分の意志だ、と、ことあるごと、自分に言い聞かせていた。

 言い聞かせていないと、死んだ若様に肉体までもさらわれそうで、おそろしかった。


 ああ、だれか、あの若様のように、あの若様以上に、激しくあたしを求めてくれないだろうか。

 そうしてくれたら、あたしは、若様に奪われた魂を取り戻せるかもしれないのに。


「房子を束縛しないでほしい」だなんて、あんな遺書。

 あんたが誰より、あたしを束縛してるじゃないか、若様。


 結局。

 房子の魂を取り戻してくれる、生身の男は、現れなかった。

 それは誰にも、青にも、不可能なことだった。

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