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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅦ(かえ担当)
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第十一話

 若き日の顔役は家業を厭い、恥じ、書斎に閉じこもりがちだったと言う。

 業を煮やした父親が、そんな彼をなかば無理やり宴の席へ連れ出した。

 そこで隣りに侍ったのが、伝説の一牌イルペ


 もとは別の名だったが、いつしかこう呼ばれるように。

 睡蓮、と。

 苦界に咲く、奇跡の花、と。


 身体が弱く、しかも耳が不自由で。

 歌舞音曲は、望むべくもなく、病弱なあまり性すら売り物にならず、意思の疎通は手話か筆談という煩わしさ、それなのに。


 彼女は、一流と認められていた。

 稀に見る美貌と、それを上回る気立ての良さで。


 彼女から酌を受ける、それだけのために。

 なみいるお大尽が、大金を積んだ。

 その宵は、花街一の顔役が、ふがいない跡継ぎへ喝を入れるために、大金を。



 甲斐は、あった。

 薬が効きすぎたかと、父親が後悔したほど。

 息子は豹変し。

 希代の一牌イルペ落籍のため、手段を選ばず。

 父親さえも、眉をひそめるような汚いやり口で、それを成し遂げ。


 苦界に咲く奇跡の花、睡蓮は。

 花街を支配する親の権力を笠に着た、我儘な若者の部屋で、籠の鳥。

 横暴なふるまいにより、彼の評判は地に落ちたが。

 いずれに身を置こうとも、睡蓮は、睡蓮であり続け。

 ただ、そばにいる男の目を楽しませ、心を潤すのみ。


 自分を獲得した若者へ微笑をむけ、酌をし、優雅な身振りと達筆とで静かに穏やかに会話を交わし。

 ときには碁盤の上で、対戦を。

 睡蓮は、意外なほど、強かった。

 何度目かの対戦で、彼はそれに気づき「手加減は無用だよ」と釘をさし。

 睡蓮は、艶やかに微笑んで頷いた。


 それが不敵な笑みだと思い知ったのは、ほどなく。

「……やっぱり、少しは、手加減をしておくれ」

 肩をすくめ、負けを認めた対戦者の潔さに、睡蓮は。

 無意識だったろう、ふふ、と、かすかな笑い声を、発した。

 仙境に遊ぶ、小鳥のさえずりのようだった。


 最初、強烈に魅了されたのは、彼のほうだった。

 恋に狂った、と後ろ指さされるほどに。しかし。

 彼ひとりを瞳に映しているうち、いつしか睡蓮も、彼を。


 彼の寝室へ、忍んで行ったのは、睡蓮のほうだった。

「いけないよ」と睡蓮の身体を按じ、必死で拒んだけれど。

 心底、恋焦がれた女性から、情熱的に、切実に、迫られては。

 到底、抗いきれるものではなかった。


 睡蓮は身ごもり、出産後、命を落とした。

 十七だった。

 死後、遺書が出てきた。


 あなたがいくら大切にしてくださっても。

 わたしは、あなたのおそばに、それほど長くは、いられません。

 だから、子供を、さしあげたかったの。

 女として。

 あなたの子供を残してから、この世を去りたかったから。

 どうか、産まれてくる子を、可愛がってください。

 わたしが生きていた証としても。


 彼は、遺言に従った。

 産まれた子は、睡蓮の気質をそのまま受け継いでいた。

 気質のみならず、体質も、外見も。

 違ったのは、性別と。

 幸いにも、聴覚に異常がなかったこと。


 彼は息子を溺愛して、育てた。

 いくら甘やかされようとも、息子は、それに溺れることはなく。

 彼が父親の跡を継ぎ、顔役として花街を背負い、商売上どんな所業に及ぼうとも、それを知ってか知らずか、注がれる愛情をいつも鷹揚に受け止め、謙虚に感謝を返していた。


 知ってか、知らずか。

 知らぬわけは、なかった。

 母、睡蓮は聡明だった。

 碁盤上での、負け知らずな頭脳。

 息子は、その聡明さをも、受け継いでいた。


 顔役が、睡蓮をどれほど愛していようとも。

 彼女は彼岸へ旅立ち、顔役はいまだ此岸で煩悩に焼かれる身。

 最愛の女性が、生身で目の前にいるなら、まだしも、死なれては。

 心はともかく、成熟した荒れ狂う血潮を独りでは鎮められなくて。

 時折、どうしようもなく、女体を欲した。


 また、跡継ぎも、必要だった。

 いくら睡蓮とその忘れ形見を愛していようとも。

 花街の秩序を保ち続けるためにも、家は、つなげてゆかねばならず。

 だれがどう欲目に見ても、睡蓮の忘れ形見は子孫を残せず、当人も長生きをしそうになかった。

 結果として、最愛の息子の他にそれぞれ母親の違う三人の子供を、顔役は得た。

 頑健な次男と、利発な三男と、可憐な末娘。


 知ってか、知らずか。

 睡蓮の聡明さを受け継いだ彼が、父親の素行を知らぬわけはなかった。

 彼にとって、肉欲は命取りで、禁忌。

 自身では知りようがない蛮行、潔癖に頑なに、嫌悪もあらわに拒絶しそうなものだけれども、父親の獣性には、不思議と寛容で。

 兄弟たちとも、屈託なく交流を。


 房子パンジャの存在も、黙認。

 面識も、あった。


 房子は、この息子が、嫌いだった。

 父をよろしく、と口には出さないまでも、泰然とした微笑と、言葉よりも雄弁な瞳で語りかけてきた、初対面。

 房子の総身に、虫酸が走った。


 処女であり聾唖でありながら当代随一と謳われた一牌イルペ、睡蓮の忘れ形見。

 睡蓮の伝説を受け継ぐ、生きた証。

 女のように線の細い、身体つき。

 女よりも整った顔立ち。

 忘れ形見というよりも、まるで睡蓮の幽霊そのもの。薄気味が悪い。


 父の愛人である房子に対する、嫌味なほどの余裕。

 存分に愛された者が放つ、芳香。

 豊潤な醸造酒の如きそれは、房子にとっては、鼻持ちならない、腐臭。

 睡蓮の幽霊に、見下されているような気がしてならない。


 わたしの旦那様が、だれと戯れようとも、平気。

 何故ならば。

 最も愛されているのはいつだって、いつまでだって、このわたし、なのだから。


 もとより房子は顔役を、愛してなど、いない。

 けれど。

 負けず嫌いな本能を、ちくちくと刺激され、すこぶる不快。


 だから。

 ある夜、覗かれているのを承知で、見せつけてやった。

 彼の父親が、房子に弄られて、乱れ狂う様を。


 故意か、偶然か、そんなことは知らない。

 ただ、若様は、父親が、自分とそう変わらない年頃の小娘にいたぶられるのを、扉の陰で固唾を呑んで見守っていた。


 若様は、最後まで見ていられなかった。

 発作を起こし、倒れたのだ。

 その物音で、顔役は瞬時に淫夢から醒め、房子を突き飛ばして息子のもとへ駆け寄った。


 ちょっとした意地悪の代償は。

 完膚なきまでの、敗北。


 ほらね。

 旦那様がいちばん愛しているのは、この、わたし。


 苦しむ若様と、うろたえる顔役の傍らで。

 睡蓮の幽霊が、房子を見下して嘲笑う。


 もしかしたら、それは房子の心が勝手に作った幻に過ぎないのかも知れなかったけれど。

 ともかく房子は激しい後悔と自己嫌悪と虚脱感に苛まれ。

 騒ぎを聞きつけ、右往左往する使用人たちの間をよろよろとすり抜けて、立ち去った。

 このうえなく、惨めな気分で。


 これでは、まるで。

 睡蓮よりも、あたしのほうが、幽霊みたいじゃないか。

 若様を心配する連中の目には、あたしなんか、映っちゃいない。


 後日。

 若様はどうにか回復したと噂で知った。

 とりあえずは、房子も安堵した。


 それも、つかのま。

 回復した若様は。

 陽花楼へ、頻繁に現れるようになったのだった。

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