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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅦ(かえ担当)
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第九話

 睡蓮スイレンの寝姿を、銀月インユエは。

 おそらく一晩中でも、飽かず眺めていられた。

 消耗が激しいだろうから、それほど早く目覚めるとは、思っていなかった。

 だから、小半時も経たず、睡蓮がぱっちりと目をあけたときには、いささか驚いた。


「睡蓮、大丈夫かい?」

「……あ、あたし、どうして……あっ、待って、思い出したわ、銀月、ひどい!」

 のぞきこむ銀月の胸を、睡蓮はめちゃくちゃに打って拒絶。

 最初はおとなしく打たれていた銀月だが、頃合をみてゆっくりとのしかかり、おだやかに睡蓮の腕を封じた。



 怒りと悔しさで乱れた睡蓮の呼吸が肩にかかる。

 のしかかられてもなおその下で抵抗をやめない、やわらかくあたたかい、なまめかしい肢体。興奮した睡蓮の肌からは、麝香に似た体臭が漂ってくる。

 銀月の呼吸まで荒くなる。

 それは睡蓮を押さえ込むのが大変なのではなく、官能を刺激されているが故。


「あ、あたしに乱暴したら、母さんが許さないわよ、言いつけてやるから、銀月なんか、うんと叱られるといいんだわ、蓮姫リョンフィ姐さんだって、銀月をただでは置かないんだから!」


 蓮姫か、それはたしかに、厄介だな。

 銀月は苦笑をもらしつつ、睡蓮を抱きしめた。

 可愛い睡蓮。可哀想な睡蓮。

 自分ひとりでは、男の暴力に立ち向かえなくて、悔し涙に暮れながら女将や蓮姫を引き合いに出して。


 大切に守らなければ、たちまち壊れてしまう。

 かよわい、はかない、いとしい、花。

 きみを脅かすすべてから、守ってあげると誓ったのに。

 他ならぬこのわたしが、脅威になど、なっては決して、いけなかったのに。


「ごめんよ、本当に、すまなかった」

 煽られた官能は慈しみに凌駕され、小さい子をあやすように、髪をなでてやる。

 睡蓮はその感受性で、銀月の短い謝罪の言葉に含まれた意味をことごとく理解した。

 だから、おずおずと、和解を申し出た。

「……反省してる?」と問いかけて。


「してる、ものすごく」銀月は即答。

「じゃ、いいわ、許してあげる」

 あまりにもあっさりした言い方に、銀月は思わず顔をあげて睡蓮の目をのぞきこんだ。

「母さんにも姐さんにも、言わないでいてあげる、ふふっ」

 まだ涙のあとが頬に残っていたけれど、睡蓮は明るく微笑んで、銀月の鼻を軽くつまんで面食らわせる。


 そのすきに銀月の腕をすりぬけ、寝台からも抜け出して、頬に残った涙のあとを素早く拭い去り。

「お留守の間は、陽花楼へ帰っているわね」

 と振り向いた瞬間には、きっぱりと宣言。


「え、どうして、だって、先刻は、あんなに」

 あんなに嫌がっていたじゃないか、と言いかけた銀月をさえぎる勢いで、

「あれは、銀月があんまり横暴な言い方をしたから、頭にきて反抗しただけ!」

 腕組みをしてあごを突き出し、憤懣やるかたない、という、いささか大仰なそぶりをしてみせる。


「明華さんとは、まだまだこれからいくらでも仲良くなる機会はあるわ、だって同じお家で暮らしてゆくんですもの、だからそんなに焦ってはいないの、本当はちょっと里帰りもしたかったの、みんなといろんなお話をしたいし、それに……」


 きちんと、色事も、習っておこう。

 けだものな銀月も好きだって言っちゃったけど、本当は。

 まだ慣れてないだけかもしれないけど、とっても、痛かったわ。

 銀月は、できるかぎり精一杯やさしくしてくれてるのは、わかるけど。

 それでも、痛かったわ。そんなの、困るもの。


 陽花楼へ里帰りしたら母さんに相談してみよう。

 そうだ、いっそ一流の一牌イルペを紹介してもらうのは、どうかしら。

 いろんな手ほどきをしてもらって、旅から戻ってきた銀月をあっといわせるのよ、そしてあたしのほうが銀月をメロメロに……!


「ふふ、ふふふふふ」

 突然わらいだした睡蓮に、銀月はぎょっとして、訊ねる。

「ど、どうしたんだ、いきなり」

「べつに、なんでもないわよ、ふふふふふ」

「目がすわってるんだが」

「そう? ふふふふふ」


「……なにか、よからぬことを企んでいるんじゃないだろうね?」

「あら、よからぬことなんか、企んでいないわ、ふふ、ふふふふふ」

 とっても、いいことよ、ふふふ、ふふふふ。


 ……なにかは、企んでいるわけだな。

 銀月は、前髪をかきあげて、どうにか気をとりなおそうと努めた。

 まあ、いい。泣かれるよりも、笑っていてくれたほうが、ずっといい。

 多少、不気味だが。


 おいで、と銀月が手をさしのべると。

 睡蓮は、不気味な笑いを可憐な微笑にかえて、歩み寄ってきた。

 そうして寝台の上でしばらく愛し合っていると。


 銀月は、睡蓮が泣きじゃくっているのに気がついた。

 官能に、感極まって泣いているのではない。

 行為をやめて、睡蓮の顔を両手ではさみ、紫の瞳をのぞきこむ。

「どうして泣いているんだ?」

「……言ったらきっと銀月は困るわ」

「今だって困ってる、理由をきかせてくれないか」


 睡蓮の口から出た言葉は、銀月の意表をつくもので。

「……淋しいの。はなれるのは、いや。もっと一緒にいたい。だって、せっかく、せっかく……」

 そんなこと、今まで言ってなかったじゃないか、やれ明華と一緒にいるだの、陽花楼へ帰るの帰らないの、散々もめたけれど、銀月と離れるのが淋しいなどとは、一言も……。


「ほらね、やっぱり、言っちゃいけなかった」

 困惑しきった銀月を見ると、頬にかかっていた手をふりほどき、睡蓮は寝床へ突っ伏した。

「銀月がいけないのよ、こんなの、わがままだってわかってるから我慢していようと思ったのに。言わせるんだもの、銀月が、銀月が……」

 銀月は愛おしさに突き動かされるまま、寝床へうつ伏せになった睡蓮におおいかぶさった。


「睡蓮……きみがわたしに言っちゃいけないことなんて、なにもない……なにも、ないんだ……」

 なんてめまぐるしく感情が動く娘だろう。

 泣いたり、笑ったり、怒ったり、からかったり、よろこんだり、淋しがったり。

 そのたびに、こちらまで、ふりまわされて。


 睡蓮の激しすぎる感情の起伏を、鎮めてやりたいとも願い、同時に。

 ずっと翻弄されていたいとも、銀月は思った。

 まるで、波に揺られているようだ。酔いそうだ。しかし、悪い気が、しない。

 睡蓮の感情に揉まれていると、生きている実感が、する。

 これまでにないほど、生きている、実感が。


「……じゃあ、もうひとつ、言っても、いい?」

 睡蓮がこう言い出したので、銀月は腹をくくって、いいとも、と頷いた。

 睡蓮は今朝、銀月と別れてすぐ、胸に湧き上がってきた不安を口にした。

 即ち、自分が銀月の重荷になってはいないか、と。


 銀月は睡蓮に上を向かせ、その目を見つめて、真剣に答えた。

「いずれ男は誰もが愛する者を背負って生きてゆく運命なのだよ、睡蓮。他の女を背負うくらいなら、わたしはきみを背負っていたい。他のだれにも、どんな男にも、きみを背負わせたくはない。たしかに、きみは宝物だ。宝物は、重いものさ。だからこそ、強くあらねばと思う。睡蓮、きみがわたしを、強くしてくれる。一人前の、男にしてくれる。わたしにとって、きみはただひとりの、女だ」

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