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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅦ(かえ担当)
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第六話

 成夫人、と呼ばれ、肩に手を置かれ、軽く揺さぶられて。

 明華ミョンファは自分が今、社交の場に身を置いていたことを思い出した。

 今は、昼下がり。

 ともに豪商を夫に持つ、令閨れいけいたちとの茶話会の席。


 睡蓮との邂逅は、今朝の出来事。

 以来ずっと、それが脳裏を占め、社交辞令が飛び交う退屈な会話の最中、つい夢想に耽っていたのだった。


 いけない、隙を見せてはならなかったのに。

 ここは上流階級や富豪の正妻たちの集う会。

 本来ならば明華は側室、立ち入れる場ではないのだけれど。


 夫、李水月リ・スウォルは明華の他に妻を持たなかったし、それに明華自身も本来、出自は確か、しかも生来の勝気と聡明をもって「正妻でない」という不利をはねのけ、並み居る令閨の間にあっても、決して引けはとらない気概と存在感を放ち、社交場で果敢に戦ってきたのだった。



 そうだ。

 たとえ水月の正妻だった銀月インユエの母、月梅ウォルメが生きていたとしても。

 この一見、華やかな、けれど陰湿で過酷な場に臨むなど、不可能だったにちがいない。

 あの引っ込み思案な、かよわい箱入りのお嬢さんには。


 わたしこそが、事実上、李家を支える妻なのだ、と。

 内外に、知らしめるため、明華はここでも、戦ってきた。

 睡蓮に、態度の軟化を無意識に促されたとしても、それはそれ。

 公式の場で、まだ鎧を脱ぐわけには、いかない。

 明華は気を引き締めなおし、無礼を率直に詫びた。


「無理からぬことですわ、ねえ?」

 明華の肩に手をかけて、現実に引き戻した右隣の令閨が、その手を離して含み笑い。

「ええ、聞いていましてよ」

 他の令閨たちが、目配せを受けて、話に乗ってくる。

「なんでも、花街を飛び回る夜の蝶が、お宅に入り込んだとか」


 ご心痛、お察ししますわ、と、左隣の令閨に手を重ねられ。

 明華は複雑な心境で、曖昧に微笑み、いつになくしおらしく、うつむいて見せた。

 本当は、振り払いたくて、たまらない。

 見え透いた、おためごかし。吐き気がする。

 あきらかに、明華の苦境を悦んでいるくせに。


 駆け引きとも飾り気とも一切無縁な睡蓮と、接したあとだけに。

 いつもは軽く受け流せる悪意でも、ことさら醜悪に感じられる。

 反撃はおろか、不快感を表さないよう努めるだけで、精一杯。


 そんな明華に助け舟を出したのは、茶話会の主催者、楊太々。

「今日は、あなたのために特別なお客様を招いておりますのよ、どうぞ、こちらへ」

 絢爛たる装飾品の数々を揺らし、楊太々は優雅に席を立つ。

 促されて明華も立ち上がり、後を追う。


 座を辞する前、ちらりと背後を振り向いてみた。

 主催者に置き去りにされようとしているのに、残された令閨たちは。

 かくべつ不満を示すでもなく、どこか意味深長な微笑を浮かべて、明華を見送っていた。


 薄気味悪さを覚えつつ、太々に従い、次の間へ足を踏み入れると、そこに。

 黒いチャドルで全身を覆った女が、待ち受けていた。

 大玉の水晶をのせた卓をまえに、座し。


 窓を閉ざした室内は、昼下がりの陽光を拒み。

 こころなしか気温までもが、なにやら寒気を感じるほど。

「あなたは、ご存知ではないでしょうけれど」

 明華を誘ってきた主催者は、チャドルの女の背後へ回りこみ、いかにも身内、という親密な空気を作りつつ、先を続ける。


「こちらは近頃、上流階級で評判の占術師ですのよ。この度わたくしの親戚が、宮中で異例の出世をしました、それはご存知よね? 実はこの方の貢献が大でしたの」

玉凰ユィフォアと申します、どうかお見知りおきを」

 占術師は、そう名乗ったが。

 黒いチャドルのその下は、柚姫ユヒだった。


 黒いチャドル、それは。

 奇しくも、かの二十三夜待ちに、双子の蓮姫リョンフィが銀月を誘い出した折と同じ。

 黒布を取り去ったなら、同じ顔が現れる。

 頬に傷が、あるか、ないか。その差のみ。


「お困りでしたら、わたくしが、お力になれるものと存じます、奥様」

 たとえば邪魔者の排斥などは、得意分野でございます、奥様の周りをうるさく飛び回る、いかがわしい迷い蛾の始末ならば、わたくしにお任せを……と、したり顔で続ける占術師へ、明華は。


「結構よ」

 我ながら、驚くほどに、ぴしゃりと拒絶。

 いかがわしいのは、あなたのほうよ、と喉元まで込み上げてきた罵声を、すんでのところで呑み込んだ。


 断るにしても、もっと注意を払わなければ。

 いかがわしくとも、この占術師は、茶話会の主催者であり、派閥の実力者でもある楊太々の肝煎りなのだ。

 太々の面目を潰すわけには、いかない。


「成夫人……」

 案の定、太々は、訝しげに表情を曇らせ、失望のまなざしを明華へ投げてくる。

「お心遣い、恐れ入ります。折角のお申し出ではございますが、太々」

 明華は深々とこうべを垂れ、太々へと最敬礼。


「この件につきましては、わたくしはみずからの手で決着をつけたいと、そう望んでおります。また、わたくしにはその力があると信じております、いいえ、信じたいのです。太々からご覧になりますれば、未熟なわたくしのいたすこと、さぞや危ういとは存じますが、どうか、わたくしの心情をお察しくださいますよう、伏してお願い申し上げます」


 楊太々は、深いため息をついた。

 そのため息は明華の背をなで、服の下に、うっすらと冷や汗が滲む。

「……わかりました。あなたがそこまで言うのなら」

 ため息のあと、長い沈黙が続いた、と感じたのは明華の気のせい。

 実際は、そう長い時間ではなかった。

 明華は深々と下げた頭をさらに、がっくりと垂らした。

 安堵のあまりの仕草だったが、礼を深めた、とも解釈できた。


 訪れた際と同様、楊太々の後に続いて部屋を出ようとした明華だが。

「……成夫人」

 占術師、玉凰に呼び止められて、つい立ち止まり、振り向いてしまった。

 無視すれば、よかったのに。

 玉鳳の声には、無視を許さぬ気迫があった。


「奥様は、もう睡蓮と、お会いになってしまわれたのですね」

 玉鳳の言葉に宿る毒気は、明華の神経を逆なで。

「あなたには、関わりのないことでしょう」

 楊太々の手前、声を荒げはしなかったけれど。

 小声ではあるものの、苛立ちもあらわに言い捨てて、去った。


 薄暗い部屋に一人残された占術師、玉鳳は。

 黒いチャドルの下で、誰にも知られず、柚姫に戻る。

「……睡蓮……」


 おのれ、どこまでも。

 なんと、忌々しい存在。

 成夫人が、冷静でなくて助かった。

 柚姫もまた、憤怒のあまり、冷静でいられなかった。


「奥様は、もう睡蓮と、お会いになってしまわれたのですね」

 とっさに口走ってから、内心、相当、焦った。

 何故、その名をまるで知己でもあるかのように気安く口にしたのか、と問い詰められたら、いささか窮するところであった。


「……睡蓮……」

 呪詛をこめて、その名をつぶやく。

 昔から、いけすかない娘だった。


 陽花楼へやって来た経緯からして、異例。

 誰も彼も、柚姫や蓮姫も、奴隷として売り飛ばされたのに。

 あの娘は、そうではなかった。

 奴隷商人から無償で譲り受け、しかも「大事にしてやってくれ」と言い渡されたと聞く。

 陽花楼の中でも、誰にでも好かれ、可愛がられ。

 女将の房子パンジャや蓮姫には、溺愛されて。


 房子は柚姫の最愛の男、セイを追放した仇敵。

 蓮姫は自分と同じ顔。

 自分と同じ顔の人間が、自分の敵、房子と同じように、睡蓮を溺愛。

 その光景は、柚姫の神経に障った。


 だから意地悪な真似もした。

 能天気な顔を、曇らせてやりたくて、なのに。

 あの娘ときたら、ちっとも堪えやしない。

 それどころか、味方をどんどん増やしていって。

 意地悪をすればするほど、こちらの分が悪くなるばかり。


 なによりも。

 睡蓮には、銀月がいた。

 李銀月。

 睡蓮の名付け親、兄がわり、豪商の嫡子、冴えた美貌の持ち主、そして。

 身分の差こそあれ、誰が見てもそうとわかる、相思相愛の睦まじさ。


 一方、柚姫は。

 生木を裂かれるように最愛の青と、引き離され。

 自分の不幸と睡蓮の幸運を、嫌でも見せつけられる日々は、さらなる地獄だった。


 今も、また、睡蓮は。

 柚姫の計画を、台無しに。

 銀月をこころよく思っていない継母の成夫人を使って、李家に潜り込んだ睡蓮を誘拐させ、催眠を施した夢龍ムロンの鼻先へ獲物さながら投げ出させる、というのが復讐の序章への筋書きだったのに。


 ええい、返す返すも業腹なっ!

 一から、練り直さねばならないではないか。


 おのれ、睡蓮め。

 あたしに言わせれば、あんたこそ魔女よ。

 ことごとく、あたしの邪魔をして。

 一体どうやって、長年の恨みに凝り固まった成夫人まで、たぶらかしたの。


 ちくしょう、一足おそかった。

 先に睡蓮と会ったが最後。

 まるで伝染病にかかったみたいに、皆あの娘の虜になってしまう。


 柚姫は歯噛みしながら、目の前の水晶玉を、砕けてしまいかねないような強さで、ぎりぎりと握りしめ、絶叫したい衝動を堪えた。

 ……落ち着け。

 機会は、まだある。

 落ち着いて、待つのだ。


 そうだ、今さら。

 焦ることは、ない。

 青は、もう、死んでいる。もう、戻らない。どのみち、取り返しはつかないのだから。

 じっくりと、練り直せばいいだけのこと。


 さて、どうしたら、あいつらを。

 より深い地獄の淵へと、引きずり込むことが、できるかしら?

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