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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅥ(りょう担当)
34/66

第五話

 丸裸になった木々の間を風が渡っていく。

 蔡国のあるタリム盆地は果樹の栽培が盛んだが、今の季節は葡萄も、あんずも林檎も、無花果いちじくもすっかりと葉を落としている。

 その冷たい木枯らしの吹きつける砂漠公路をひと組の旅人が足早に歩いていく。

 いや、ひと組というのは語弊があるだろう。

 歩いているのは男だけで、女は男の懐に抱かれているのだから。


 旅人とはもちろん、柚姫ユヒ苦力クーリーの主従。

 二人は璃安りあんを大きく迂回し、阿媚あびの街へと向かっていた。

 阿媚の花街には陽花楼を追放された柚姫の恋人・セイが働いているのだ。


 思い起こしてみれば、青が璃安を追放されて二年と半。

 長い年月だ。小さな生き物であればその生涯を終えてしまうほどの。

 けれど、ようやく青に会える。

 彼の顔を見たなら、どんな苦労も一瞬で吹き飛んでしまうだろう。

 だから、柚姫は無理な要求と知っていても、苦力にもっと早く歩くように急かした。

 羽が生えた柚姫の心は身体よりも一足早く、恋人のもとに向かってはいたけれど。



 *****



 首都・璃安から東に十三里ほど離れた阿媚あびの街。

 その花街の、セイが死んだ場所に手をつくと聞こえてきた、最後の思念が。

 息絶えるとき、柚姫の名を呼び、柚姫の幸福だけを願った彼の想いが。


(柚姫、俺はおまえに出会えて幸せだった。

 あの日、交わした約束を果たせなかったのは心残りだが、お前は生きて幸せになるんだ。けして、復讐しようなどと考えてくれるな。俺はおまえに出会えて、心から幸せだったのだから)


 柚姫はその場を離れなかった。

 夕暮れとともに木枯らしが激しくなり、降り始めた氷雨がみぞれになっても、泣きもせず、喚きもせず、ずっと。

 くず折れたままの己が身体を苦力が雨風から守ってくれていることに気づくこともなく、ただただ放心し続けた。


 なぜなら、彼女の人生は青の死ととも終わってしまったから。

 人はおそらく、心から愛した人を喪った時に死ぬのだ。

 いや、身体は死なずとも心は死んでしまうだろう。

 だから、ここにいるのは柚姫の抜け殻でしかない。


 けれど、翌早朝。

 氷の柱になりかけていた柚姫に話しかけてきたものがいた。

 眼光の鋭い、辻占いの老婆である。


「起きなされ」


 彼女は柚姫に覆いかぶさった苦力を視線だけで追いやると、柚姫の肩を乱暴に揺さぶった。

 それでも、正気に戻らないと知ると、平手打ちを両頬に食らわした。およそ老人とは思えぬ力で。


 バシッバシッ・・・・!


「女よ。おまえはここで死なぬ。

 おまえの生命いのちの火は尽きていぬのだから。

 思い出せ、己がすべきことを・・・・」


 平手が、それとも言葉が、正気を取り戻させたのか。

 柚姫は未だ視線の定まらぬ両目で、璃安の方角をゆるゆると仰ぎ見た。

 そして、びしょぬれの頭を大きく振ると、凍りついて回らぬ舌で叫んだ。


「あたしは、死なない。

 あたしの青は死んだのに、房子パンジャ蓮姫リョンフィは生きている。

 だから、あいつらに青とおんなじ、それ以上にむごい死を与えるまで死んだりしないッ・・・・!」


 老婆は柚姫の言葉にうなずくと、柚姫と苦力を己の小屋に連れ帰った。

 占術師の才を柚姫に認め、己の後継とするために。



 *****



 どんなにか辛かったろう、苦しかったろう。

 こんな場所に追いやられて。


 阿媚の花街は数年来、権力闘争の真っただ中であった。

 この世に人がいる限り、争いは絶えぬもの。

 特に男は、すべからく己が上でなくては気が済まぬ生き物だから。


「甲」と「乙」、それから「へい」。三つ巴の戦い。

 花街の利権が得られれば、莫大な富が懐に入る。それ故、だれも引くことをしない。


 セイ阿媚あびの街にやって来た時。争いは「甲」と「乙」、いずれかの楼主に定まりかけていた。

 けれど、青が紹介されたのは「丙」の楼主。

 そして、追い落とされたものがどうなるかは自明の理。

 青の主は、幾度も幾度も命を狙われ、結果、青は彼と運命を共にしてしまった。

 かほど腕の立つ青でも守り切れぬ程、襲撃は激しく度重なったのだ。

雇われたばかりの主なぞ放って逃げればよかったのに、青はそれをよしとしなかった。最後まで主を守り、そして死んだ。愛しい女の名を呼びながら。


 そんな一部始終をあの女が、房子パンジャが知らぬわけがない。

 すべて知っていて、阿媚に追いやったのだ。

 なぜなら、房子は男という生き物すべてを憎んでいるから。

 しかも、情人がほかの女に心を移したのだ、その憎しみはいかばかりだったろう。

 けれど、だからと言ってこんな死ねよがしのことをするとは、あの女は鬼だ、鬼に違いない。

 ならば、己も鬼にならねばならぬ。

 鬼に対抗するのに人のままではかなうはずもないから。


 柚姫は人としての情をすべて捨て、朝な夕なに占術師になる修行に励んだ。腕のいい占術師になれば、どんな権力者も思うがままだからだ。

 だが、それには場末の占い師ではなく、高名な占術師にならねばならぬ。ご用済みとなった後、消されぬために。


 それに、老婆の、夜語ヤゴという名の占術師の教えは誠に苛烈であった。

 己に戻る場所などない、けして後戻りはできないのだ、思い定めているものでなくば堪えられぬほどの。

 柚姫はどうしても高名な占術師となり、璃安に戻りたかった。顧客となった権力者の力を借り、陽花楼に復讐という楔を打ち込むために。

 そのためなら、なんじょう堪えられぬことがあろうか。


「柚姫、何をしているんだいッ!」


 夜語が呼ばう声にはっと顔をあげ、震える手をぎゅっと握りしめる。

 朝は未だ明けず。

 井戸端は真白く霜がおり、月は凍れる刃のよう。

 今日も一日が始まる。

 恐らく今日も、夕餉がとれぬほどくたくたとなり、苦力に抱き上げられて寝所に運ばれるのだろう。

 およそ占術とは、一見優雅に見えても、精神と肉体のギリギリの狭間で習得するもの。

 柚姫は何度も意識を失い、そのたび夜語に水を浴びせかけられながら、己の身体でそれと知ったのだった。


 だが、そんな決死の柚姫に学びとれないものなどなく、夜語の教えを乾いた地面が水を吸い込むように吸収した。

 そして、五年が過ぎる頃には、美しい神秘的な占術師として人の噂に上るほどとなった。


 冬枯れの阿媚の街角。その裏路地で、柚姫の繊手せんしゅが見事な手さばきで絵札を操る。その姿を見たいがために、男どもが順々と列をなした。

 けれど、女占術師はあくまでも冷静に五十六枚の札を並べ、客の未来を占うのであった。


 柚姫が夜語に弟子入りしてから七年。

 弟子にすべてを伝え終わったことに安心したのか、夜語は天へと帰り。

 柚姫は腕の立つ占術師として璃安の街へ舞い戻った。苦力とともに。

 占術師、それは奇しくも、姉・蓮姫と同じ生業(なりわい)であったが、柚姫の占いは人を正しい方向へと導くためのものではなく、人を悪しき方向へ、他人を陥れ、己が権力の座に座るために使われるものであった。


 そして、権力者に重く用いられるようになった柚姫は陽花楼に触手を伸ばし始める。陽花楼を、房子パンジャ蓮姫リョンフィを地獄に叩き込むために。

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