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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅥ(りょう担当)
33/66

第四話

 柚姫がけだもののような男から逃れて大きくため息をついたとき、パオは淀んだ空気に包まれていた。外はさわやかな春が訪れ来たというのに。 

 首を大きく伸ばし、暗闇に自分を助けてくれた者の姿を探す。

 すると、闇に慣れてきた目に飛び込んできたのは、異形の大男。

 七尺は超えているだろう、駱駝のように大きな瘤を背中に背負った男の姿は、柚姫を震えさせずにはおかなかったが、その瞳は絶望と悲しみに満ちていた。

 たとえていうなら、自分が望む全ては絶対に手に入らないのだと諦観しているような。

 だから、柚姫は彼に手を伸ばした。

 それは憐みからでなく、彼女がいまだ持つ、人であることの情から来たもの。

 柚姫は痛む左足を庇いながら、自身をつなぐ鎖が届く距離まで這いずって行くと、ためらうことなく声をかけた。


「どこか痛いの?」


 この際、かける言葉は何でもよかった。

 けれど、先ほどの泣き声があまりにも苦しそうだったから、痛いのかと声をかけてしまった。


「あっ・・・・!」


 刹那、少し離れたパオの入り口が風ではためき、束の間の陽光がお互いの姿を照らし出す。

 蓬髪の垢じみた異形の大男と、年若い絶世の美女を。

 二人はしばし声もなく見つめあう。


 柚姫と苦力の(クーリー)の出会い。

 それは愛の恋のという形からかけ離れてはいたが、運命の出会いと言えるかもしれない。これより二人は離れることなく生きていくことになるのだから。



 *****



「つッ・・・・!」


 柚姫の、引き攣れるように痛む左足。

 医者が『腱が切れている』と診断を下さずとも気づいていた。自らの足で走ることはもうないだろうと。

 あの女が、房子パンジャが、蓮姫リョンフィと同じ傷を柚姫に刻みつけることはたやすく想像できたから。


(重ね重ね腹の立つ女。これではすぐ逃げだせないではないか)


 大きく舌打ちをする。

 だが、“東の悪しきテングリ”は柚姫を見捨ててはいなかったようだ。苦力という頼もしい味方を与えてくださったのだから。

 檻に捕われた大男、苦力は、初めて優しい言葉をかけてくれた美女に瞬く間に心酔してしまった。まるで、女神にすべてをささげて信望する熱狂的信者のように。

 そして、柚姫は新たな陰謀を巡らせはじめる。


 自分はもう二度と走れない。

 だが、苦力ならば自分を背負って走ることも容易いはずだ。大きな包を震わせるほどの膂力を持っているのだから。

 しかも、大きな身体に不釣り合いな五才児程の知能。思い通りに動かすコマとしてはうってつけだ。


 だが、苦力だけでは足りぬ。

 奴隷商の護衛の中から、腕の立つ男を引き入れよう。

 自分と苦力をいまいましい鎖から解き放ち、ともに連れて逃げてくれるものを。

 そして、その男が女好きならなおいい。


 柚姫は己の価値を知リ抜いていたから。男がすべてを捨てても手に入れる価値があると思う女であると。

 花街にも稀な美貌に、女らしい丸みを帯びた肢体。

 しかも、三才の時から踊り子として舞台に立っていたのだ、どんな振る舞いが、どんな仕草が男の気を引くかわかりすぎるくらいわかっていた。

 そんな柚姫にとって、始終女に不自由している男を自身に惑溺させるなど至極簡単なこと。

 あとはこっそり男の耳元にこう囁けばいい。


『あたしが欲しいでしょ? 独り占めしたいでしょ?

 ならあたしを連れてここから逃げてッ!』


 だが、男が自分たちを連れて逃げる隙を作るには、突発的な事件が必要。

 奴隷商人どもが逃げた柚姫をすぐに追いかけることができないような事件が・・・・。

 柚姫は足の痛みで、うまくまとまらない頭に苛立ちながらしばし考え続けた。


 よしこうしよう。

 どうやらここの主は璃安での取引を終えて、他の街へ移動するらしい。

 とするなら、次の街に着くまで奴隷は入れ替わらない。

 ならば、扇動しよう。奴隷たちを。

 再びの自由が欲しくはないかと・・・・。


 柚姫は自身の“女”と余人を引き付ける資質。

 それを余すところなく使って、この場を脱出する謀略を企てた。

 もちろん、真実、護衛の男のものになる気などないし、奴隷たちを逃がしてやるつもりもない。

 そう、男も奴隷たちも柚姫が逃げるための道具。


(あたしは、もう一度青に会うためなら、どんなものも使う、誰だって利用してやる。神を裏切ることだって躊躇わない。愛する男の腕に再び抱かれる、そのためならば)


 柚姫は強く口唇を噛むと、高く顔を上げた。

 そのためには観察せねば、利用するに足る人材を。


 まず、腕の立つ護衛。

 主から信頼され、奴隷たちの見張りを任されている者がいいだろう。

 そして、数日に及ぶ観察の結果、柚姫は一人の男に狙いを定めた。

 売られたばかりの柚姫を役得とばかり凌辱しようとした、髭もじゃの、山道サンドという名の男に。

 なぜなら、彼は人一倍、己の容姿に引け目を感じているように思えたから。柚姫の経験上、そういった男ほど女に褒めやそされるとその気になりやすいのだ。


 果たして案の上だった。

 次の街への途次。

 具合の悪いふりで、男の胸に身を投げかけると、もともと柚姫に触手を動かしていた山道は、餓えた獣のようにむしゃぶりついてきた。

 けれど、どんなに覚悟をしていても背筋が震える。怖気がたつ。

 セイ以外の男に抱かれることは。

 たとえ、どんなに恋しい男に逢うためと己に言い聞かせてもだ。

 柚姫は嗚咽をおし殺すと、ひとしずく涙を零した。


 けれど、綿密なはかりごともどこからかほころびが出るもの。

 柚姫は山道との情事を苦力がくらい眼で見ていることに気付かなかった。


 そして、決行の日。

 月も見えぬ朔の夜。

 男どもは、商人たちも護衛たちも皆、正体をなくして眠りこんだ。

 山道が酒に入れた眠り薬によって。

 枷をはずされた十数人の奴隷たちが三々五々逃げていくのは璃安の街だ。


『あの街の人の多さなら、あなたたちを隠してくれるに違いないわ』


 奴隷たちを扇動した柚姫がそういったから。

 けれど、柚姫が目指すのは彼らと真逆なジュンガル。

 駱駝の上には柚姫と山道。その後に徒歩かちの苦力が続く。

 一行は砂漠公路を東へ向かう。


 柚姫はふと後ろ髪を引かれるように振り返り。

 奴隷達の行く末を思った。

 男どもが目を覚ませば、彼らが捕まるのは必定。

 大人数での移動は人の目につくものだから。


(皆で固まっていてはダメ。バラバラに逃げるのよッ!)


 柚姫は願った。

 彼らを道具のように使い捨てた己にそんなことを願う資格などないが、偽善以下の願いと知ってはいたが、それでも願った。

 彼らが無事に故郷に帰りつけるように。


 だが、心に大きく刺さった棘に捕われていた柚姫に思いがけないことが起きたのは翌日の深夜。

 当然とばかりに柚姫に挑みかかってきた山道を苦力が殺めてしまった。

 いや、殺す気などなかったろう。

 長い間、見世物として扱われてきた苦力は手加減を知らず。


「うおおおッッ・・・・!」


 怒りのまま、柚姫から山道を引き剥がした。

 けれど、山道はすごい勢いで岩にたたきつけられ、息絶えてしまった。


「いやぁあああッッ・・・・!」


 柚姫は絶叫した。

 奴隷商人のパオさえ出れば山道に用はない、いずこかの街で置き去りにするつもりだった。

 けれど、山道は今ここで、血反吐を吐いて死んでしまった。

 いや、殺されたのだ。

 柚姫はじりじりと後ずさる。

 山道の死体から、すさまじい力で山道を殺した大男から。


 苦力を力だけが取り柄の、図体が大きいだけの子供と、今の今までおもっていた。

 けれど、彼はそのありあまる力でいともたやすく人を害することができるのだ。


(あたしは苦力を見過っていた。

 彼はやはり、檻に入れられるべきけだものなのだ)


 柚姫は身体をガタガタと震わせながら、一刻も早くこの場から逃れたい一心で踵を返そうとした。

 けれど、不自由な左足が主人を裏切る。砂に足をとられてしまったのだ。


「柚姫さま。俺が恐ろしいのか?」


 つと、頭上から絞り出すような声が聞こえ、柚姫はおそるおそる顔をあげた。

 そこにいたのは、両手をぶるぶると震わせ、涙をふきこぼす苦力の姿だった。

 ああ、彼も同じなのだ、己の力に驚愕し、怖れおののいている。

 だとするなら、主人である柚姫がなすべきは、“しつけ”ではなかろうか。


「この馬鹿!」


 柚姫はゆらゆらと起き上がると苦力を叩いた。何度も、何度も。

 それこそ、自らの手が真っ赤に腫れあがるまで。

 五才児程度の知能しかない苦力は、己の所業がどういう結果をもたらすか考えることが出来ないのだから。

 柚姫は肩で息をつくと、すっかりしょげかえっている大男を見つめた。


「苦力、よくお聞きなさい。

 お前は知らないといけないわ、自分が他人と違うことを。

 見かけばかりではない、何もかもが。

 だから、これからお前はわたしに命令されたこと、それ以外は何もやってはいけないよ」 


 一語一語を言い含めるように聞かせてから、柚姫は苦力を抱きしめた。

 たまらなく哀れだったのだ。

 人として生きるすべも教えられず、誰にも愛されることなく生きてきたこの男が。

 そして、己のために心ならずも人を殺してしまったこの男が。


「ああああッ・・・・」


 柚姫は陽花楼を出てから初めて声をあげて泣いた。

 何もかもがやるせなく悲しかった。

 そして、ひとしきり泣いてから、苦力とともに山道を埋葬した。

 テングリの御許で彼が安らげるように祈りながら。


「行きましょう、苦力」


 柚姫は鞭をくれ、駱駝らくだを逃がしてやってから苦力に手を差し出した。

 なにせこの足だ、山道がいなくなればひとりで駱駝に乗ることはできない。

 苦力に抱きあげられた柚姫は彼の首に手を回すと、遥か東方を示した。


「あそこがジュンガル。青の(セイ)故郷よ」


 二人は追手を気にしながら、ジュンガルを目指した。

 奴隷商人がふたりをあきらめて追ってこなくなるまで。

 下世話に言えばほとぼりが冷めるまで、身を隠すために。

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