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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅥ(りょう担当)
32/66

第三話

 恋人を失った柚姫は、来る日も来る日も反芻し続けた。

 幸せだった最後の夜を。青の求婚の言葉を。

 それは砂漠を旅するものが目印とする北辰(*1)のごとく柚姫を照らしたから。


 あれは、如月の凍えるような深更。

 出会い茶屋の粗末な寝台で。

 共寝の夢からいまだ覚めずにいる柚姫の頬をつつくと、青は思い切ったように口を開いた。


「俺と一緒にジュンガルに行かないか。

 俺の生家は梨を育てていてね。春になると真白い花が咲くんだ。

 お前と一緒にそれが見たい。

 うーん、そうだな。

 今すぐは無理だが、後二、三年もすればおまえを身請けするくらいの金が貯まる。そしたら二人で帰ろう、俺の故郷へ」


 照れ臭さげに鼻を擦すりながら青は言い、その言葉に目を瞠った柚姫は、一呼吸のちに恋人の胸に飛びついた。


「行くわ、ジュンガルに、あんたと一緒に。

 そこであたしはあんたの子供をたくさん産んで、そして年をとったら、ジュンガルの大地に還るの、あんたと一緒に」


「在天願作比翼鳥

 在地願爲連理枝」

【訳】天にありては願わくは比翼の鳥となり、 地にありては願わくは連理の枝とならん。


 長恨歌の一節。

 無学な男が一生懸命調べてくれただろう、求婚の歌。

 末永く仲の良い夫婦でいたいという気持ちのこもった・・・・。


 柚姫はその言葉を千の星のように胸に抱いて今宵も眠りにつく。

 絶対に果たすのだと、心に誓いながら。



 柚姫は、来る日も来る日も、青と逢うことだけを願い続けた。

 それには、足抜けすることが一番手っ取り早い。だが、今の柚姫から目を離すような間抜けな護衛は陽花楼にはいるまい。

 それに、万が一逃げおおせなかった場合、遊女に売られ、青に会うことが叶わなくなる。


 ならば、方法は二通りしか考えられない。

 どこぞの男の妾となり、その家を抜け出すか、房子の逆燐に触れ、再び奴隷となるかだ。

 だが、二枚看板である蓮姫と柚姫を、後進が育っていない現状で、妾に臨むものがいたとしても、房子が安穏と譲り渡すとは思えない。


 ならば、残された道は再び奴隷となることのみ。

 奴隷に売られれば自由はなくなるが、遊女や妾のように夜ごと男のおもちゃになることはない。

 それに、男は女を見下す生き物である。はかなげな女をうまく演じれば、すぐに警戒心をなくしてくれるだろう。そこが柚姫のつけ目だ。

 もちろん、奴隷商人どもに幾度か抱かれなくてはならないだろうが。


 けれど、よほどうまくやらねば、座敷牢に幽閉されるといった中途半端な罰ですんでしまいかねず、しかもほんのわずかも皆から疑われないためには長い時間が必要となるだろう。


 だが、柚姫はけして憶することがなかった。

 青と生きていくこと、それが彼女の人生のすべてだったから、行うことをためらうより、いかに行うかのほうが大事だったのだ。

 柚姫は来る日に向けて、着々と準備を始めた。青のことなどおくびにも出さず、少しずつ少しずつ、悪の道に染まっていったようなふりをする。

 そういった演技は頭の回る柚姫にとっては至極簡単なこと。

 陽花楼の、心のねじまがった仲間と徒党を組み、同僚や後輩を虐げ、諸芸を身に付けることを怠りさえすればいいのだから。


 途次、柚姫は自身のある資質に気付いた。

 例えていうなら、己の身が危ないと知りながらも、虫は火に慕い寄ってくる。それと同様に柚姫の周りにも何故か人が集う、底知れぬ奈落が口をあけているかも知れぬというのにだ。

寄ってくる人間は大抵、他となじめないものに限られていたが、柚姫は不思議と人を引き付ける才が己にあることを悟ったのだ。

 

 そして、一年がたち、柚姫は一六才となる。

 彼女の人を引き付ける資質はなおも磨かれ、陽花楼の仲間ばかりでなく、放蕩をしている大店の息子、与太者、護衛くずれなども柚姫を慕い、集まってくるようになった。

 柚姫は彼らと、昼間から酒を飲み、博打に興じ、阿片窟で阿片を吸うことを日常とする。

 けれど、柚姫はどんなに誘われようとも、そういった連中と枕を交わすことはなかった。

 表向き、どんな男とも寝る女と見せかけていたが、柚姫が男たちの誘いに乗ることはけしてなかった。

 時折、青に教え込まれた肉の誘惑が頭をもたげる日があったとしても、柚姫にとって男は青だけであった。


 再び一年がたち、柚姫一七才。

 ふとした油断がもとで、仲間のひとりが恋人の子を身ごもってし

まった。それと気づいた時には彼女の腹は丸々とし、誰の目にも妊娠が明らかである。もはや堕胎など考えられない。

 身ごもった踊り子は人に知られぬように、風邪だの月の障りが重いだのと言い繕っては舞台を休んでいたが、そういった言い訳にも自ずと限度がある。

 不審に思った房子に自室に押し入られ、臨月に近い腹を見られてしまえば素直に白状するしかない。己が習い事や踊りの稽古の一切を怠け、柚姫とともに遊び呆けていた事を・・・・。

 そして、それを聞いた房子が激昴したのは言うまでもない。


 翌日、女将・房子は柚姫を呼び出した。待ちに待った日がとうとうやってきたのだ。

 柚姫は我知らず緩んでくる頬をもう一度引き締めなおすと、女将の私室の扉を叩いた。もちろん、だくの返事が返るのを待ったりしない、思いっきり大きな音をたてて扉を開放する。

 その刹那、女将は窓の外を睨み、苛々と爪を噛んでいた。

 大きな物音に振り返った房子は、扉の内側に立っている柚姫を見つけると、唾をとばしてまくし立ててきた。


「柚姫、おまえが軽はずみなことをすると、ここにいる娘たち全員がそんな目で見られるようになるだろ!

 ここは売春宿とは違うんだ。これ以上、馬鹿な真似を繰り返すなら、出て行ってもらうよ」


 まなじりを吊りあげ、きつく戒めてくる房子を見つめながら、柚姫は内心快哉を叫ぶ。陽花楼を脱出する糸口ができたことを・・・・。

 とっさに屈辱に燃えた顔を取り繕い、房子の室から出て姉の私室へ。蓮姫がいとも優雅に花を生けていたところに飛び込んだ。

 彼女はいきなりの来訪者に驚いたものの、花を生ける白い手をとめはしなかった。いや、とめられなかったのだ。両手が咲き初めたばかりの桃花で塞がれていたから。


「うぉおおおッッ・・・・・・!」


 柚姫がわけのわからぬおたけびをあげる。

 蓮姫のところへ来たのは演技。姉の手か足にでも大傷を負わせ、陽花楼をまんまと追放される予定だった。

 それなのに何故なのか。柚姫の心を一瞬で覆いつくした憎しみは。


 もしかしたら、蓮姫が手にしていたのが桃花でなければ、ここまで激昴しなかったかもしれない。

 もちろん、青のために犠牲にしてきたものを悔やむわけではない。だが、『桃花の精』といった態の蓮姫を見た瞬間、取り返しようのない隔たりを思い知らされたのだ。かつてひとつの種だった自分たちの。

 そして、蓮姫はこれからも一点の曇りもなく咲き続けるだろう。顔だけは柚姫とほんの少しも変わらぬというのに。そんなことが許せるはずもなかった。何よりも柚姫がこうなった原因は蓮姫にあるのではなかったか。


「おまえもあたしと一緒に堕ちるがいいッ!」


 柚姫は卓子の上にあった花鋏を振り上げた、蓮姫の顔を目がけて・・・・。

 けれど、花鋏はとっさによけた蓮姫の目ではなく、彼女の頬を真一文字に切り裂いた。


「いやぁああッ・・・・・・!」


 本能のまま蓮姫は大きな悲鳴をあげ、椅子からふらふらと立ち上がる。すると、彼女の頬から噴き出した血が薄紅の桃花を毒々しい血の色に染めあげていく。

 それでも柚姫は、なおも蓮姫を追いかけた。恐怖のあまり悲鳴を上げ続ける蓮姫に煽られたように。


「ちくしょうっ、蓮姫、おまえが母さんに告げ口したんだろう!

 おまえなんか、死んじまえ!

 おまえのせいで、おまえのせいであたしが、どんな気持でいるか。

 今こそ、思い知るがいい!」


 柚姫が血に塗れた花鋏をふりあげて絶叫する。

 それは今この時のことでなく、二年前姉に浴びせてやりたくてたまらなかった言葉。

 表向き、青のことは忘れた振りでいたから、憎しみは封印されたかのようにみえていたろうが、柚姫は片時も蓮姫を憎いと思う心を消しはしなかった。

 なぜなら、蓮姫が自分たちの仲を女将に言いつけさえしなければ、今もなお柚姫と青は幸せに暮らしていただろう。彼に守られて何の憂いもなく。これほどに我と我が身を汚す必要などこれっぽっちもなくだ。


 柚姫は手すりにすがって螺旋階段を降りようとする蓮姫をとうとう踊り場で追い詰めた。

 けれど、騒ぎを聞きつけた守衛が遅まきながら三人がかりで柚姫を抑えつけにかかった。柚姫はそれに全身で抗う。


(あたしの恨みはね、あんたの頬を切り裂いたくらいで収まるもんじゃないのよ!)


 柚姫は自分の腕をつかんだ男の足を思いっきり蹴りつけると、男の手が一瞬緩んだすきに蓮姫に花鋏を投げつける。

 それは螺旋を描き、願いどおりに蓮姫の足裏に突き刺さっていく。


「ぎゃああああっっ・・・・・・!」


 蓮姫は大きな悲鳴をあげて、螺旋階段をまっさかさまに転げ落ちていった。階段に敷かれた絨毯より真っ赤な血潮を滴らせて。


 柚姫はその後のことをあまり覚えていない。

 双子であるゆえんか、蓮姫と同じように己も気絶してしまったから。




「へへへっ・・・・」


 どのくらい気絶していたのだろう。柚姫は野太い男の声と、双乳を痛いくらい鷲掴んでくる腕にふいに覚醒させられた。

 いや、胸の痛みばかりではない、身体中のどこもかしこも痛かった。特に左足の腱が引き攣れるように痛む。

 柚姫がようよう瞼を開くと、飛び込んできたのは野卑な、女をものとしてしか見ない男の目。情欲一色の。


「げへへっ・・・・」


 まごうことなき恐怖。

 髭もじゃの男が満足に動かない足を引きずり後ずさる柚姫に下卑た笑いを浮壁、迫り寄ってくる。


 びりッッ・・・・!

 丸太のような手に襟元を破られ、ソッチマ(*1)が柚姫に代わって大きな悲鳴を上げた。

 万事休す。

 青のために守ってきた貞操をこの男に散らされるのだと、柚姫は半ば覚悟した。

 その時だった、奥の大きな檻から獣のうなり声がしたのは。


「うぉおおおおッッ・・・・!」


 暗闇の一番奥。

 檻に捕らえられた大きな猛獣がうなり声をあげながら、檻を揺すりはじめた。

 包(パオ*2)全体をも揺るがす大きな音に、外にいた男たちが包の中に集まってくる。

 刹那、柚姫を犯そうとした男が盛大に舌打ちをし、柚姫の肩を大きく突き飛ばして離れていった。


「あああっ・・・・」


 突き飛ばされた痛みより、安堵とないまぜになった不安にさすがの柚姫も泣き崩れた。

 おそらく自分の願った通り、奴隷商人に再び売られたのだろうと、理解してはいたが、女性としての生理的嫌悪感が理性をたやすく裏切る。


 柚姫はひげ男が離れていく足音を聞きながら、奥の檻に目を凝らした。そこには柚姫を助けてくれた恩人がいるはずであった。

 次第に目が暗闇に慣れてくる。

 そこにいたのは猛獣などでなく、雲を突くような大男であった。背にある駱駝のような瘤が彼を怪物のように見せている。

 彼の名は苦力クーリー

 やがて柚姫の無二の腹心となる男である。

 だが、この時の柚姫は立て続けの恐怖にすっかり腰が抜け、阿呆のように茫然と座り込むばかりだった。

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