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誓言 ~砂漠を渡る太陽は銀の月と憩う~  作者: 中山佳映&宝來りょう
シーズンⅢ(かえ担当)
17/66

第五話

蓮姫リョンフイ姐さん、睡蓮です。

 愛英ヨンエから姐さんがお呼びと聞いて、参りました」

「どうぞ、お入りなさい」


 睡蓮は扉を開けて、蓮姫の部屋へ。


 この酒楼へ来て、初めて引き会わされたときから、

 睡蓮は蓮姫に、親しみを覚えていた。


「名前に『蓮』を持つ者同士、仲良くしましょう。

 よろしくね、睡蓮」


 蓮姫は優しく、睡蓮を受け入れてくれたのだった。


 蓮姫には柚姫(ユヒという双子の妹がいた。

 蓮姫と柚姫は幼い頃、二人一組で奴隷市場に出され、

 熾烈な争奪戦の末に、女将が競り落とした、逸材。


 双子はどちらも利発で、舞の上達も早く、

 睡蓮がやって来た頃は、まさに二人の絶頂期。


 二人とも見目麗しく、鏡に映したかの如く、瓜ふたつ。

 けれど性格は、対照的。


「睡蓮、綺麗にしてあげるから、ちょっといらっしゃい」

 蓮姫に手招きされたと思い込んで近づけば、

 それは柚姫のほうで。


 柚姫のとりまき娘七人が待ち構える化粧部屋へ、

 引っ張り込まれた。



 娘たちは睡蓮を取り囲み、

 意地悪く忍び笑いをしながら、

 睡蓮の顔に、滑稽な落描きを施した。


 頬に渦巻き、額には波形の皺。

 まゆげは太く、げじげじに。

 くちびるは何倍も、厚ぼったく。


 ちぐはぐに結ばれた髪の束は、

 不恰好な金色の噴水のように、五箇所も作られ。


 睡蓮は、さんざん笑いものにされたのに。

「ありがとう」

 悪戯された顔で、にこにこと機嫌よく笑う。


 それまで、睡蓮に対して、

 なんとなく冷やかだった柚姫とその一派が、

 自分に構ってくれたのが、嬉しくてたまらない様子。


 愚鈍なまでの純真さを見せつけられ。

 娘たちは我に返り、良心の呵責に打たれ、

 互いに顔を見合わせては、赤面して、うなだれた。


 ひとり柚姫だけが、睡蓮の反応を、

 痛烈な皮肉と感じ、激昂。


「鏡をよく見なさいよ、馬鹿な子ね!」

「きゃあっ!」


 柚姫は睡蓮の髪を掴んで、鏡のほうへ首を捻じ曲げた。

 睡蓮は突然の暴力に怯え、悲鳴を上げた。

 そのとき扉が開いて、蓮姫が踏み込んできた。


「あなたたち、こんなことをして、恥ずかしくないの」


 威厳のこもったまなざしで、一同を見渡す。

 誰も、蓮姫と目を合わせることができなかった。

 柚姫、以外は。


「ふん、ほんの退屈しのぎよ。みんな、行きましょっ」

 柚姫は、わざと蓮姫に肩をぶつけて、出て行った。

 娘たちも、柚姫の後に続く。


「睡蓮、ごめんね」

 その内、二人が睡蓮に謝り。

 一人は頭を、もう一人は頬を、撫でて行った。


 蓮姫は睡蓮を見つめた。

 睡蓮は、つい先刻まで賑やかに、

 皆、楽しそうに笑いさざめいていたのに、取り残されたので、

 自分になにか落ち度があったのでは、と不安にかられ、涙ぐむ。


 蓮姫は睡蓮に近づき、

 珍妙に結ばれた髪を解き、

 顔の悪戯描きを丁寧に拭ってやってから、

 ゆっくり鏡へと向き直らせ。


「本当のおめかしを、教えてあげましょうね」

 鏡の中の睡蓮へ、慈愛に満ちた微笑を。


 同じ容姿、同じ環境にありながら。

 いつから、どうして、食い違ってしまったのか。


 睡蓮がやって来た頃には、すでに。

 双美人姉妹は、対立していた。

 というより柚姫が蓮姫に、敵意を燃やしていた。


 蓮姫が舞の稽古に励み、睡蓮たちを指導している間。

 柚姫は、とりまき連中と徒党を組んで、目下を虐げ。

 蓮姫が行儀作法を研鑽し、教養を深めている間。

 柚姫は秋波を送る男たちと戯れ、遊んで過ごした。


 二人の差は日増しに広がり。

 やがて、誰の目にも、明らかに。


 蓮姫が匂やかに花開くほど。

 柚姫は、捻じ曲がっていった。


 蓮姫の名声が高まるにつれ、

 焦りを紛らわせ、虚しさを埋めるために、

 柚姫は言い寄ってくる男たちと、

 片っ端から寝るようになった。


 悪評は、すぐに女将の耳まで届き。

 柚姫は、きつく諫められた。


「柚姫、おまえが軽はずみなことをすると、

 ここにいる娘たち全員が、

 そんな目で見られるようになるだろ。

 ここは売春宿とは違うんだ。

 これ以上、馬鹿な真似を繰り返すなら、

 出て行ってもらうよ」


 柚姫は屈辱に震えながら、女将の部屋を退き、

 その足で蓮姫の部屋へ。


 蓮姫は、今しがた活け終えた桃の花と、

 その枝ぶりを眺めていた。

 柚姫は、卓に置かれていた花鋏を掴むと、

 蓮姫の顔へ、振り下ろした。


 頬の肉が、裂けた。

 咄嗟によけなかったら、目を繰り抜かれていた。


 蓮姫は頬を庇い、よろめきながら部屋を脱出。

 その後を柚姫が、鬼女の形相で追跡。

 血染めの鋏を振り回しながら。


「ちくしょうっ、蓮姫、

 おまえが母さんに告げ口したんだろう!

 おまえなんか、死んじまえ!

 おまえのせいで、おまえのせいであたしが、

 どんな気持でいるか……今こそ、思い知れッ!」


 逃げ惑う蓮姫は、いつしか階段の降り口へ。

 騒ぎを聞きつけた守衛の男が、柚姫を取り押さえた。

 柚姫は花鋏を蓮姫へ、投げつけた。

 凶器は蓮姫の膝の裏に、命中。

 蓮姫は階段を、下まで転落していった。


 蓮姫が意識を取り戻したときには、すでに。

 柚姫は酒楼から、追放されていた。

 女将がみずから手を下し、柚姫のかかとの腱を切り、

 奴隷商人へ売り渡し、何処かへ。


 酒楼は醜聞に揺れ、存続の危機に晒された。

 人気は急落、客筋は目に見えて悪化。

 舞手や接待係が涙ぐむほど下品な野次が飛ぶ始末。


 綺麗に遊びたい粋人からは敬遠され、秩序は乱れ。

 窮地に立たされた女将は、最後の切り札として、

 このとき弱冠、九歳の睡蓮を、花形に抜擢。


 睡蓮の目立つ外見は、群舞には向かない。

 初披露から花形として押し出すつもりでは、あったが。

 秘蔵っ子として、もっと大切に育てたかった。

 しかし、いかんせん、背に腹はかえられない。


「頼んだよ、睡蓮。

 まだ小さいあんたには、酷だけれど、

 蓮姫姐さんの代わりに、ここの看板を背負っておくれ」


「かあさん、あたし、平気よ。がんばります」

 平気なわけがない。酒楼の女たちを蔑み、

 舐め切った酔客の視線を浴びて踊るのだ。


 飢えた野獣の群に放り込まれるような、恐怖。

 並みの少女に耐えられる状況ではない。


 ところが、こと舞に関しては。

 睡蓮は、並みの少女では、なかった。


 幼く愛らしい容姿に、意外な舞の巧みさ。

 熟練の技。大人びた身のこなし。

 ものおじを知らぬげな、堂々とした、まなざし。


 まごうかたなき、立ち昇る気品、

 そこはかとなく漂う、色気。


 そしてなにより、睡蓮がふりまく、無垢な煌めき。

 人々の笑顔が見たい、

 喜んでもらいたいという真っ直ぐな意志は、

 波紋のように彼女の全身から放たれており。


 それは、下品で退廃的だった酒場の空気を、清めた。

 睡蓮の舞を見た大人の男たちは、

 皆一様に、性欲よりも、保護本能を掻き立てられた。


 こんな、いたいけな少女の前で、

 見苦しく酔い痴れたりは、できない、と。

 誰に注意されるまでもなく、彼らは理性を取り戻し、

 おのずと襟を、ただし始めた。 


 こうして、

 睡蓮の可憐で懸命な舞は、醜聞を徐々に鎮めた。


 一方、蓮姫の傷は、癒えなかった。

 顔も、足も。


 頬の傷は深く、一生消えない。

 膝の裏に刺さった凶器は腱を断裂しており、

 もう二度と、舞うことはできない。


 双子の妹に、殺意を向けられ。生き別れ。

 花形の座は、異国の子供に、奪われた。


『今まであたしが、どんな気持で……おまえなんか、

 死んでしまえッ! 思い知れッ!』


 今なら、わかる。

 柚姫、あなたの気持が。

 睡蓮が、悪いわけじゃない。

 そんなことは、わかってる。

 だけど、どうしようもないの。

 憎らしくて。

 この気持を、どうすることも、できない。


「蓮姫姐さん、おかげんは、いかがですか?」


 睡蓮は毎日、花を抱えて見舞いに来た。

 蓮姫は、睡蓮を無視してやり過ごした。

 睡蓮をまともに見たら、憎しみにかられて、

 なにをしでかすか、口走るか、それが怖ろしかった。


 最初は、そうやって、やり過ごしていた。

 しかし、だんだん抑えが、きかなくなってきた。

 自分の顔が、柚姫に重なってくる。

 自分の心が、柚姫に酷似してくる。


 ある日、とうとう、爆発してしまった。


「うるさいわね、なんて無神経な子なの!

 花なんて、毎日毎日、

 一体どういうつもりで持ってきてるの、

 あたしの醜さを、あざ笑うために、

 嫌味でしてることなんでしょう!」


 自分でも驚くほどの怪力で、蓮姫は花瓶を片手で持ち上げ、

 睡蓮めがけて憎悪を込めて、投げつけた。

 花瓶は壁に叩きつけられて、砕け。

 砕け散った欠片が、睡蓮の額を、直撃。


 白磁の額に、一筋の紅。

 そこから血の雫が、滴り落ちる。


 悲鳴を上げたのは、蓮姫。

「ああああああああッ!」

 寝床から転げ落ち、這いずりながら、睡蓮のもとへ。


「姐さん、あたし平気よ。こんなの、ぜんぜん平気です」

 睡蓮は、痛みと悲しみを堪えようとして、

 堪えきれず涙をこぼし、

 それでも懸命に、ほほえんで見せた。

 蓮姫は、わななきながら、絶叫。


「誰か、だれか来て!

 睡蓮が怪我をしたわ、額を、額を切って……はやく来て!

 あああああっ、ごめんなさい睡蓮、

 あたしったら、なんてことを……だれか!

 睡蓮を助けて、睡蓮を助けてえっ!」


 自分が柚姫に殺されかけたときでさえ、

 これほど取り乱しは、しなかった。

 蓮姫は、心の膿を出し切って、おのれを取り戻した。


 床から離れ、気持を立て直し、

 以前から興味のあった占術を研究し、

 現在に至っている。


「……睡蓮、もっと近くに来て」

 旦那選びの書類選考をを中断させてまで、

 睡蓮を呼び出した蓮姫は、睡蓮を優雅に、手招いた。


 睡蓮は言われるままに近づき、

 促されるまま、蓮姫の傍に、跪く。

 蓮姫は、睡蓮の前髪を、かき上げた。

 睡蓮は、蓮姫をまっすぐ見上げ、微笑んだ。


「もう、ほとんど目立たないでしょう?

 お化粧してれば、全然わかりません。

 古傷だし、もちろん、痛くもなんともないし。

 蓮姫姐さん、あたし、全然平気です、本当ですよ」


 平気、ぜんぜん平気。

 睡蓮の口から、何度この言葉を聞いたろう。

 人一倍傷つきやすいくせに、弱音を吐かず強がって見せる、娘。


 天性の舞の才能に、たゆまぬ努力。

 天使の気性、素直な気質、ひとたび舞台に立てば、

 圧倒的な存在感、観衆を魅了する艶やかな、華。


 この美点の数々が何故、恋愛に活かされないのか。

 不器用で、臆病な、親愛なる妹、睡蓮。


「ねえ睡蓮、わたしたちは皆、あなたの幸福を、願っているのよ」

 蓮姫の、この一言で、もう睡蓮は泣きそうになった。

 つい先刻も、英愛に言われた、胸に染み入る言葉。


「あなたに犠牲になってほしいなんて、

 これっぽっちも思ってやしないわ。

 母さんだって、わたしだって、皆そうよ」


「あたし、犠牲になるつもりなんか」

「銀月様を、お呼びしているわ。中庭で、あなたを待っています」


 睡蓮は思わず立ち上がり、後ずさった。

「あたし、行きません」


「睡蓮、いずれ決着はつけなくてはならないのよ。

 銀月様への気持をひきずったまま、

 旦那様を選ぶなんて、その方にも失礼ですよ。

 いっそ潔く、当たって砕けていらっしゃい」


「そんなこと、簡単に言わないでください姐さん。

 だって当たって砕けたら、とても痛いんですよ」


「知っているわ。砕け散る痛みは、わたしもね。

 あなただって見たでしょう、わたしが砕け散るところを」


 わたしはあなたに花瓶をぶつけ、花瓶を砕き、あなたを傷つけ。

 膿んで淀んだ心も、そのときに砕けた。

 あの苦い「死」がなかったら、再生できていなかった。


 蓮姫は安楽椅子から立ち上がり、

 杖をついて足を引きずりながら、睡蓮のもとへ。

 睡蓮の頬を、いとおしげに撫でる。


「中庭へ、行っていらっしゃい。

 今なら、まだ遅くはありません。

 ここで待っていますから、結果はどうあれ、

 必ず戻ってくるのですよ、睡蓮」


 あのときあなたが捨て身で、わたしを助けてくれたように、

 どんなにあなたが傷ついても、わたしはあなたを癒すわ。

 必要ならば、身体ごと、なぐさめてあげるから。


 蓮姫に背中を押され、睡蓮は部屋を出た。

 不安げに何度もふり返りつつ、それでも中庭の方へ。


 蓮姫は机に置いてあった二十一枚の絵札を手に取り、

 慣れた手つきで裏向きのまま机上に広げ、混ぜ。

 そのなかの一枚を、表に返す。


 死と再生を暗示する、絵札。


「睡蓮……」

 蓮姫は、安楽椅子に座りなおし、

 まんじりともせず、睡蓮を待った。


 睡蓮は、戻ってきた。

 失意にうなだれ、泣きながら。

 蓮姫は、両腕をひろげて、迎えた。

 睡蓮は、蓮姫の腕に飛び込んで、嗚咽をもらした。


「……後悔、していますか?」

 蓮姫の問いに、睡蓮は泣きじゃくりながらも、

 いいえ、と答えた。


「後悔は、していません。

 届かなかったけれど、伝えられてよかったと思います。

 父さんのときみたいに、ひきずらないでいられるから。

 もう、これで、思い切れるから」

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