第四話
睡蓮の狙いどおり。
その夜を境に、璃安中が浮かれ騒ぐ。
舞姫・睡蓮を射止めるのは、誰か?
早速、あちらこちらで賭けが展開。
まずは、書類選考。
睡蓮が舞台上からばら撒いたビラが、応募用紙。
人々は、それに群がった。
別途に台へ用意してあった用紙も、見る間に消え失せた。
応募〆切は、それから三日後の正午。
果たして、〆切当日。
酒楼の事務室の机には、書類の山が。
「睡蓮、どこにいるの?」
親友・英愛の呼びかけに、
書類に埋もれた机の向こうで、ひらひらと手のひらが舞う。
英愛は机を回り込んで、睡蓮のもとへ。
睡蓮は椅子に腰かけ、書類からは目を離さず、
月餅を、ぱくついていた。
先刻、声で返事をしなかったのは、
口がふさがっていたからなのか。
「太るわよ」
「平気よ」
呆れ顔の英愛の忠告も意に介さず、
飲食と書類選考にいそしむ、睡蓮。
「脅しじゃないわよ。『ながら食べ』は太るのよ。
食べるか読むか、どちらかにしなさいよ」
そこまで言われて、ようやく睡蓮は顔を上げた。
片頬に、月餅の欠片が。
英愛は自分の頬を指差し、
「ついてるわよ、ここ」
指摘と反対側へ手をやる睡蓮へ、
「そっちじゃないってば。ああ待って、
取ってあげるから、じっとしてて」
「……どうも」
口の両端を、きゅっと上げて、
愛想笑いをしてみせて、
再び睡蓮は視線を、書類へ。
「ねえ睡蓮、本当にこれ全部、読むつもりなの?」
「うん」
「だって、大半は冷やかしなんでしょう?
駄目でもともと、みたいな」
「うん、まあね。
でも、こういう文があったりするから、
あだやおろそかには、できないのよね」
英愛に、今しがた読み終えた書類を一枚、渡す。
たどたどしい筆跡。
『スイレン、ぼくはまだ八歳の、子供です。
ビンボーだし、
リッコウホするシカクがないのはわかってるケド、
スイレンがこの手紙を読んでくれると思うだけで、
ぼくはドキドキして、
とてもしあわせなキモチになれます。
ぼくがスイレンをしあわせにしてあげたいんだけど、
ムリだから、せめて、
スイレンがしあわせになりますようにと、
おいのりします』
「まあ……」
と言ったきり英愛は、絶句。
「ねっ?」
睡蓮は英愛から文を受け取り直して、
丁重な手つきで、既読の箱へ。
「他にも、可愛いのがあったわよ。
『スイレン、お兄ちゃんを紹介します、
あたしのお姉さんになってください』って。
十二歳の女の子からよ。
あたしって案外、若年層に人気があるのね」
そりゃ精神年齢が一緒だもの、
人気もあるでしょうよ。
英愛は、とっさに浮かんだ意見を、
口から飛び出す寸前で、呑み込んだ。
まったく。
顔も身体も、これほど妖艶になっておきながら。
中身は、まるっきり昔のままなんだから。
無邪気で、おおらかで、けなげで。
皆に心配をかけたくなくて快活にふるまっているけれど。
嘘や隠しごとは、不得意。
「英愛や母さんや、他の皆には、
本気の候補者の書類だけを読んでもらうように、
ちゃんと選ぶから、もう少し待っててね」
「そりゃ、待つけど……」
「待つけど、なあに?」
「本当に、この中に銀月様は、いないの?」
書類の山を指差して、英愛が訊く。
紙面に走らせていた睡蓮の目が、止まる。
不覚にも、一瞬、固まってしまった。
取り繕おうと、つとめて明るく、
「言わなかったかしら?
銀月は、そんなんじゃないって」
ほらね。
ほんと、本心を隠すのが、下手。
シラを切る睡蓮に、英愛の怒りが爆発。
「いい加減にしてよ。
あんたとあたし、何年の付き合いだと思ってるの。
あんたの心は澄み切った湖みたいに透明なんだから、
いくら深みに沈めたって、丸見えよ。誤魔化せないわよ。
銀月様は、
あんたにとって特別な男のひとなんでしょう?」
「でも銀月はあたしのことを、そんなふうに思ってないわ!」
この騒動が、銀月の耳に届いていない筈がない。
街中が浮かれているのだ。
銀月は知っていて、名乗りを上げてくれなかった。
これが、現実。
銀月の、答え。
「それで、あきらめるの?」
「……仕方ないじゃない」
「情けないこと、言わないでよ!」
英愛は睡蓮を強引に立ち上がらせ、
その肩を掴んで、揺さぶった。
「仕方がないですって?
酒楼の花形、天下の舞姫、睡蓮が、
死力を出し尽くしもせずに、
本気の恋をあきらめて、
泣く泣く他の男に身を投げ与えようと言うの?
そんなこと、許せないわ。
もっと自信と誇りを持ちなさいよ。
あんたは、ここの皆の憧れよ、希望の星なのよ。
最愛の男ときっちり結ばれて、幸せにならなきゃいけないのよ。
あんたが幸せにならなきゃ、あたしは嫌よ!
そんなの絶対に、嫌なんだから!」
「英愛……!」
睡蓮は感極まって、英愛に抱きついた。
「英愛、あたし、しあわせよ。
大好きな親友が、こんなに思ってくれていて、
幸福じゃないわけが、ないじゃないの」
英愛は、もどかしさに歯がみをして、
首を大きく横に振る。
女同士の友情と、男女の恋愛は別物よ、おばかさん。
睡蓮は、天然だけに、手強いわ。
手強いと言えば。
銀月様も、相当なもの。
睡蓮も、因果なこと。
よりにもよって、何だってあんな、
一筋縄ではいかないような厄介な相手に、惚れるわけ?
「……蓮姫姐さんが、お呼びよ、睡蓮」
英愛は、睡蓮の肩をぽん、と叩いて、
ため息まじりに、ここへ来た用件を、ようやく告げた。
「姐さんが?」
英愛の首に巻きつけていた腕をほどいて、
英愛の目を見つめ、睡蓮が訊き直す。
蓮姫は酒楼お抱えの、占術師。
女将や酒楼の娘たちの悩みに耳を傾け、
的確な占い結果と忠告で、
皆から全幅の信頼を寄せられている。
稀に、得意客の相談に乗ったりもする。
睡蓮や英愛よりも一代前の花形であり、舞の師匠でもあった。
唯一の肉親に凄まじい憎悪を向けられ、
顔と足に深手を負わされ、引退を余儀なくされた。
その後、占術を学び、潜在能力を開花させた、才媛。
睡蓮も、英愛も、実の姉のように蓮姫を慕っていた。
昔も、今も、変らずに。
蓮姫のもとへ向かう、睡蓮の後ろ姿を見送りながら、
英愛は思わず、ひとりごちる。
「頼みましたよ、蓮姫姐さん」
恋に臆病な睡蓮を、どうか勇気づけてあげて下さい。




